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第二十一話 相克

 森を出てから、荷車での旅は、想像していたよりずっと大変だった。


 ぬかるみにハマれば、車輪を押し出すだけで一苦労だ。

 道が少しでも荒れていれば、荷車はガタガタと揺れて、その振動が腕と腰にじわじわ溜まっていく。


 同じ距離でも手ぶらで歩いたときよりも、明らかに疲労は大きい――というのが、正直な感想だった。


 はじめての市場調査から一月ほど経過していた。


 あれから準備を整えた俺たちは再び街を訪れた。

 あとに聞いた話では街の名は「ビッケス」というらしい。


 街に着くころには、すっかり日が落ちていた。

 商会はすでに店じまいしていて、扉も固く閉ざされている。


 仕方なく、その夜は街はずれで簡単にキャンプを張り、翌日を待つことにした。


 明日は朝から忙しい。今のうちに英気を養っておかなければ。


 ◇


 翌朝、ビッケスの街は、相変わらずの喧騒に包まれていた。


 賑やかで、人通りが多い。

 威勢のいい客引きの声と、行き交う荷車の軋む音が、朝からごちゃまぜに響いている。


 ようやく本格的な取引ができる――そう思うと、胸のあたりが少しだけ浮き足立っていた。


 商会の前まで行くと、扉はもう開いていて、荷の出し入れをしている使用人たちの姿が見えた。


 「おや、以前干し肉を持ってきた行商の若いのじゃないか」


 カウンターの奥から、見覚えのある男が顔を上げる。


 「覚えててくれたんですね」


 思わず一歩、前に出た。


 「おまえのその黒髪は目立つからな。記憶に残りやすいんだよ。

  で、また売りに来たのか?」


 からかうような口調に、少しだけ肩の力が抜ける。


 「こちらでは干し肉を、と思って持ってきたんですが、今回は他にもいろいろ仕入れました」


 俺がそう切り出すと、男は少しだけ目を細めた。


 「ほう。なら、ちょっと見せてもらおうか。

  質のいいものがあれば、買い取りも考えさせてもらうよ」


「ぜひ! 店の入り口に荷車がありますので、ご覧になってもらえればと思います」


 外を顎で示すと、男は面倒くさそうに立ち上がりながらも、口元だけはわずかに笑っていた。


 「じゃあ、見させてもらおうか」


 ◇


 一通り、事前に目星をつけていた商会をまわる。

 干し肉を卸した店、薬草を買い取ってくれた店、そのついでに新顔の商品たちも順番に見せていった。


 新しく持ち込んだ品の相場も、今回の取引である程度は調べがついた。

 店ごとの買い取り価格の差も、前より冷静に見比べられる。


 仕事は上々だと言っていい。


 以前より持ち込んだ量が多かった分、受け取った金もまとまった額になった。

 掌に乗せた銀貨と銅貨の重みが、前回とは違う「仕事をした実感」として伝わってくる。


 「これなら、やれそうだ」


 一通りの取引を終えたあと、思わず小さくそう呟いていた。


 まだまだ学ぶべきことは多そうだ。

 それでも、今日は確かな手応えがあった。


 かなり手間はかかっているが、間違いなく稼げている。これならフィーレアの言う「備え」になるだろう。


 金という形になって、それが実感として胸に重く載ってくる。

 

 荷車の上には、もう売れる在庫は残っていない。


 そろそろ切り上げようか――そう思ったときだった。


 視界の端をかすめた景色に、自然と目がいった。


 思わず息を飲み、その場で固まって動けなくなった。


 視界に入ったのはボロボロの服を着せられた、獣人の子どもたちの姿だった。


 鎖でつながれ、一列に並ばされて歩いている。

 手首から足首へと続く鉄の輪が、歩くたびにかちゃり、と乾いた音を立てた。


 その目には、生気というものがまるで感じられなかった。

 濁った水面のように、ただどこか遠くを映している。


 ――あれが、この世界の現実なのか。

 森の外で生きる獣人たちの姿は想像していたよりも悲惨なものだった。


 話では、聞いていた。

 森の外で生きる獣人は殺されるか、奴隷にされるかの二択だと。


 けれど、実際に目の前で見せつけられると、言い様のない気持ちにさせられる。見ていて愉快なものではなかった。


 ――どうして、あんなことができるんだ。

 この世界の人間って、なんなんだ。


 「アイト。切り上げるぞ」


 俺を呼ぶ声で我に返る。

 リオンがいつの間にか隣に来ていて、俺の肩に手を置きながらそう言った。


 リオンにもあれは見えているはずだ。だが、動じている様子はない。


 「……はい」


 短くそう返事をして、荷車を動かそうとしているリオンのほうへ足を向ける。


 もう一度だけ、振り向いた。


 けれど、さっきまで鎖につながれていた獣人の奴隷たちの姿は、もう人混みの向こうに消えていた。


 胸の奥に、うまく名前のつけられない重さだけが残ったまま、俺は荷車の取っ手を握った。


 ◇


 街を出る頃には、日が暮れかけていた。

 以前とおおむね同じスケジュールだ。


 道端に荷車を止め、リオンは手慣れた様子で焚き火の準備を始める。

 枯れ枝を集め、火打ち石を打つ手つきに、迷いはない。


 「どうした。浮かない表情をして。仕事は上々だったろう」


 火を起こしながら、リオンがちらりとこちらを見る。


 「……いえ、なんでもないです」


 そう返すしかなかった。


 あの光景は、この世界では“当たり前”の光景なのだろう。

 道行く人々は、鎖につながれた獣人の子どもたちに、興味すら示さなかった。

 リオンも、あれを見ても、とくに動じた様子はない。


 だからおそらくここで、あの奴隷の子どもたちの話をしたところで、意味なんてないだろう。


 ただ、今はその事実が、どうしようもなく気持ち悪かった。


 「なんで、あんなひどいことができるんでしょう……」


 気づけば、口をついて言葉がこぼれていた。


 「……さきほどの奴隷たちの話をしているのか?」


 リオンが、火にくべた枝をひとつ押し込んでから、ゆっくりとこちらを見る。


「俺には理解できません。なんであんなことを」


 言いながら、自分でもうまく言葉をまとめられていないのが分かった。

 胸の中でぐちゃぐちゃに渦巻いているものを、そのままぶつけているだけだ。


 「獣人への差別は、今に始まったことではない。

  気が遠くなるほど昔から、ずっと行われてきたことだ」


 リオンの声は、いつも通り淡々としている。


 「それは、人間のおまえもよく知っていることだろう?」


 「……俺にとっては、違いますよ……」


 言い返すように、言葉が出た。


 「俺にとっては、あんなの当たり前じゃありません。

  あんなものを“当たり前”だなんて、思いたくないです!」


 いつの間にか立ち上がっていて、声も荒くなっていた。


 しばらく沈黙が落ちる。

 焚き火のはぜる音だけが、やけに大きく聞こえた。


 「……すみません。大声だしたりして」


 我に返って、俺はあわてて座り直し、頭を下げた。

 

 「リオンさんは、あれを見て……なんとも思わないんですか? 同族のはずでしょう……」


 しばらく焚き火の音だけが続いたあと、リオンが静かに口を開いた。

 

 「あの子たちは見ず知らずだが、同族だ」

 

 炎を見つめたままの横顔で、淡々と言葉を紡ぐ。

 

 「同族が虐げられているのを見て、不愉快にならないと思うか?」

 

 叱るような口調ではなかった。

 責めるでもなく、ただ事実だけを確かめるような声音だった。

 

 「手の届く範囲であれば、手を差し伸べることはできる。

  だが、俺がひとりで街の中で暴れて、あの子たちを助けられると思うのか?」

 

 焚き火の火がぱち、と弾ける。

 

 「もし仮に助けられたとして――

  そのあと、あの子たちのその後の安全を、俺が保証できると思うか?」


 「……すみません、俺が浅はかでした」


 ようやくそれだけを絞り出すと、リオンは首を横に振った。


 「気にすることはない。俺は、できることとできないことを、ただ天秤にかけているだけだ」


 焚き火の火をじっと見つめたまま、少しだけ間を置いてから、続ける。


 「俺には、集落がある。

 恩もあり、思い入れもある。

  俺の手の届く、唯一の場所だ」


 ゆっくりと言葉を選ぶようにして、リオンは言った。


 「だから俺は、集落さえ守れれば、それでいい」


 リオンは、現実を見ているだけだ。


 人ひとり――それも獣人でできることには、限りがある。

 あの子たちはかわいそうだ。だけど、助けるのは現実的じゃない。

 

 自分に出来ることと出来ないことは冷静に見据えなければ、ならない。


 リオンはきっと、そのことを骨の髄まで知っている。


 「……リオンさんの言いたいことは、よく分かります」


 俺もそうだ。

 俺も今は、集落の人たちが一番大事だった。


 俺がこうして街に繰り出して取引をしているのだって集落のため、大事な人たちのためにやっていることだ。

 出来ることを出来る限りやっている。


 あの子たちはかわいそうだと思う。だが、構っている余裕などない。自分たちのことで精一杯だ。


 そう、自分の中で言い聞かせ、折り合いをつける。

 

 焚き火の火がぱち、と小さく弾ける。


 頭ではそれで納得したつもりだった。

 それでも、さっき見た鎖の音だけは、耳からどうしても離れてくれなかった。



 ◇


 翌朝。

 火の跡をならし、荷車の点検を終えてから、俺たちは街道へと歩き出した。


 出発の準備が一段落したところで、ふと思い出す。


 昨日、ビッケスの街の中で見た、人間の子どもたちの姿だ。

 店先を駆け回り、叱られて笑って、菓子を握りしめてはしゃいでいた、小さな背中。


「リオンさん」


 歩きながら、俺は口を開いた。


 「街で、人間の子どもたちが走り回ってるのを見ました。

  ああやって、獣人たちも、街の中で――楽しく買い物したり、遊んだりできたらって」


 言葉にしながら、自分でもそれがどれだけ遠い話かは分かっている。


 「いつか、そんな未来が来たらいいなって、思います」


 リオンはすぐには答えなかった。

 しばらく無言で歩いたあと、前を向いたまま、ぽつりと言う。


 「……そうだな。そんな未来が来れば、それは素晴らしいことだ」


 それだけ言って、また口を閉じる。


 俺も、それ以上は何も言わなかった。

 けれど、胸の奥に小さく灯ったそのイメージだけは、消さないでおこうと思った。

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