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第十八話 喧騒

 街の空気は、村とはまるで別の世界だった。


 行き交う人ごみが、途切れることなく通りを流れていく。

 荷車を引く男がいて、手籠を抱えた女の人がいて、走り回る子どもたちがいる。

 通り沿いには露店がずらりと並び、焼いた肉の匂いやスパイスの匂いが入り混じっていた。

 木の看板を掲げた大きな建物も見える。商会だ。出入りする人の服は村の老人たちとは違って、どこか「金の匂い」をまとっているように見えた。


「……ほんとに、別世界だな」


 思わず、心の中でつぶやく。

 村の静けさと、ここにあるざわめき。その差が、目にも耳にもはっきり刺さってきた。


 腰の書板を取り出して、視線を落とす。


 干し肉。薬草。塩。布。簡単な道具。

 集落で何度も話し合って決めた取引内容が、簡潔な言葉で刻まれている。


「まずは、相場だ。買い取り額を聞いて回る」


 隣で歩いていたリオンが、ひと言だけ告げる。

 いつもの淡々とした声だけれど、今日は少しだけ慎重さが混じっているように聞こえた。


「はい」


 短く返事をして、俺は人ごみの中へ歩き出した。



 最初に入ったのは、通りの角にある中くらいの商会だった。


 木の扉を押して入ると、店の中には棚が並んでいて、袋に入った穀物や布の反物、金物の箱が積まれている。

 奥のカウンターで帳簿をつけていた男が、顔を上げた。


「いらっしゃい。今日はどんなご用ですかな?」


 俺は、集落で決めた通り「行商人」として名乗る。


「近くの村から来ました。干し肉と薬草を仕入れています。買い取り額を伺いたくて」


 男は「ふむ」と一度だけうなずき、カウンターから出てきた。


 干し肉の包みをほどいて見せると、指で押して硬さを確かめ、鼻を近づけて匂いをかいだ。


「保存はよさそうだな。味は……まあ、見た目通りってところか」


 そう言いながら、男はざっと計算するように目を細めた。


「一本銀貨一枚、といきたいところだが……ウチじゃ干し肉は余ってる。出せてせいぜい銅貨八枚だな」


 銅貨八枚。

 村で塩一壺と小麦少しを交換していた量と、頭の中で比べる。


 薬草の束も見せる。男は葉の端をちぎって匂いをかぎ、舌の上にほんの少し乗せる。


「咳に効くやつか。街じゃよくある薬草だが、質は悪くない。束で銅貨二枚」


 値段を聞きながら、心のどこかでメモする。

 この商会では、干し肉は銅貨八枚、薬草は銅貨二枚――そう簡潔に刻む。


「分かりました。参考にさせてもらいます」


 礼を言って店を出ると、外で待機していたリオンに目配せして歩きだす。


 「他も見て回る。いくぞ」


 俺たちは、別の商会へ向かった。



 二軒目の商会は、最初より少し大きな建物だった。


 中に入ると、受付の女が目を上げる。

 こちらの説明に、今度は別の男が奥から出てきた。


 干し肉を見せると、彼はじっと中身を見つめた。


「ウチは、旅人向けに肉を求める客が多い。質がいいなら、少し上乗せしよう」


 そう言って、一本ごとに銀貨一枚と銅貨五枚を提示してきた。

 さっきより銅貨七枚分高い。


 薬草の束も、「街では咳薬はよく出る」と言いながら、銅貨三枚まで上げてくれる。


 同じ肉、同じ薬草なのに、最初の店と数字が違う。

「土地柄と客層で、評価が変わるんだな」と、改めて実感する。


 三軒目では、逆に干し肉は安く、薬草は高かった。

「薬草は今不足しているが、肉は余っているからな」と言われる。

 店ごとの事情が、そのまま買い取り額に乗っているのが、手に取るように分かった。


 商会を回るたびに、書板の端に小さく数字を刻んでいく。

 銀貨一枚、二枚。銅貨二枚、三枚。

 頭の中にも、少しずつ「この街の干し肉と薬草の相場」が形を持ち始めていった。



 通りに出ると、露店が並んでいる。


 串に刺した肉を炙っている店。

 小さな袋に薬草を詰めて並べている店。

 塩や布を吊るしている店。


 値札が、木片に書かれて品物の横に立てかけられていた。


 干し肉一本は、銀貨二枚~四枚程度。

 薬草一包み、銅貨五枚。

 換算すると、商会の買い取り額から倍近くの差がある。


 「商会がこの値で買い取って、ここでこの値で売るのか」と、利幅を頭の中で計算する。

 「集落で作った肉や薬草が、この街ではこんなふうに動いていくんだ」と、実感を伴って理解していく。


 塩や布の値札も目に入る。


 塩一壺、銀貨八枚~金貨一枚程度。

 麻の布一反、銀貨五枚~金貨一枚程度。


 森の中では、塩はただ「貴重な味付け」だった。

 ここでは、それが「金貨一枚分の価値」として、人ごみの中に並べられている。


 お金という形に変わることで、塩も布も道具も、こうして一列に並べられる――その事実が、胸の奥に静かに入ってきた。



 日がすっかり落ちたころ、街の灯が遠くに見え始めた。


 リオンは、森の端の少し開けた場所で足を止めた。


「今日はここまでだ。火を起こす」


 そう言って、手慣れた様子で焚き火を作り始める。

 まだ金はないし宿という選択肢は取れない。

 仮に金があったとしてもリオンが獣人である以上、発覚のリスクを考えれば宿は使えないが。


 森の端の夜は、街のざわめきが嘘みたいに静かだった。


 焚き火がぱちぱちと音を立てて、火の粉がときどき暗い空へ跳ねていく。

 その前で、俺は膝の上に書板を広げていた。


 街で聞いて回った数字を、板の上に並べていく。


「干し肉は……ここだな」


 板の端に、「干し肉」と刻んで、その下に商会の名前と買い取り額を書き付ける。

 銀貨二枚の商会。肉不足だと言っていた場所。


「薬草は……ここか」


 別の欄に、「薬草」と刻む。

 咳止めとして高く買ってくれる商会。

 

 街で歩きながら集めた数字が、少しずつ「取引先」の形を持ち始めていく。


「今回は手持ちだけで精一杯だったけど……」


 焚き火の明かりを見ながらぽつりと呟いた。


「今後の取引のためには、荷車も必要かもしれないな」


 干し肉も薬草も、背負える量には限界がある。

 もし商会がもっとまとめて買ってくれるなら、いずれは荷車を使って運ぶことも考えなきゃいけない。

 森の獣道に荷車を通す方法だって、いつかは探さなきゃいけない。


 書板の上で、文字と数字がごちゃごちゃと踊っている。


「捗っているようだな」


 ふいに、焚き火の向こうから声がした。


 顔を上げると、リオンが向かい側に腰を下ろしていた。

 弓をそばに立てかけて、火の光を静かに眺めている。


「覚えることも、やることも多すぎて、正直ちょっといっぱいいっぱいですけど……」


 苦笑しながら、書板を軽く持ち上げてみせる。


「少し、楽しいです」


 その言葉は、自分でも少し驚くくらい素直に出た。


 森で畑を耕しているときとも、学舎で子どもたちに算数を教えているときとも違う。

 街で銀貨や銅貨を見て、干し肉と薬草の値段を確かめて、森とのあいだに一本線を引いていく作業。

 それが、どこか新しい「仕事」をしている感覚に近かった。


 リオンは、焚き火の光の中でわずかに目を細める。


「頼もしい話だ」


 短くそう言ってから、続けた。


「だが、無茶はするな」


 焚き火の火が、彼の横顔を赤く照らす。


「集落のための仕事だが、一気に頭に詰め込んでも意味がない。覚えるべきことは少しずつ覚えろ」


「……はい」


 うなずきながら、板の上の数字をもう一度眺める。


 しばらく焚き火の音だけが続いたあと、ずっと胸の中でくすぶっていた疑問を、意を決して口にした。


「リオンさん」


「なんだ」


「前から、ちょっと気になってたことがあって」


 火の光を見つめたまま、言葉を探す。


「リオンさんは、最初に会ったときから俺のことを警戒しているようには見えなかったんですよね。

 長老とか、集落の人たちは俺のことあんなに警戒してたのに」


 リオンは、視線だけこちらへ向ける。


「……そう見えていたか」


「はい。だから、どうしてかなって」


 一拍置いて、リオンは短く息を吐いた。


「勘違いだ」


 淡々とした声だった。


「俺は人間に対して、警戒していないわけではない」


 焚き火の火が、弓の影を揺らす。


「単純な話だ」


 リオンは、少しだけ顎を上げる。


「おまえは、俺より弱い」


 あまりにも直球で、思わず言葉に詰まる。


「俺より弱いのであれば人間であろうが簡単に制圧出来る。

 それに、おまえは今、俺の目の届く位置にいる。だから、俺はおまえを恐れていない」


 焚き火が、ぱち、と音を立てる。


「人間そのものを恐れていないわけではない。

 森の外で獣人にしてきたことを、聞いていないわけでもないからな」


 その言い方は、冷たいようでいて、どこか妙に分かりやすかった。


「……なるほど」


 思わず、乾いた笑いが漏れる。


「確かにそうですよね。俺はリオンさんの足元にも及びませんし……」


 卑屈というわけではなく、事実としてそう呟く。

 それはそうだろう。彼は長年森の中で狩りや力仕事をやってきた人だ。身体の作りがまず違う。

 もし仮に喧嘩なんてしようものなら勝てるわけもない。


「だが、役には立つと思っている」


 焚き火の光が、少しだけ強くなった。


 「おまえには利用価値がある。

 集落のことを考えるなら、利用できるものは利用すべきだ。

 集落に利があるなら、俺は同行する価値がある」


 その言葉が、妙に胸の中に落ち着いた。


 弱いことを知っているから、恐れていない。

 弱いことを知っているから、制御できる。

 その上で、「役に立つなら使う」と割り切っている。


 それは、長老の「集落のためなら認める」という言葉とも、どこか通じるものがあった。


「……頑張ります」


 書板を膝の上で握り直す。


「やれる範囲で。無茶はしないように気をつけて」


リオンは、短くうなずいた。


「それでいい」


 焚き火の音だけが、しばらく二人のあいだを満たした。


 森の端の夜空には、街の灯りは届かない。

 代わりに、星が静かに瞬いている。


 書板の上には、今日覚えた数字が並んでいる。


 それをじっと見つめながら、俺は少しだけ肩の力を抜いた。


 明日もやることは山積みだ。

 リオンが言う通り、少しずつ先に進めていこう。そう意気込んでから眠りについた。




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