追憶 レン・二
集落の近くで、獣人の女の子が二人保護された――そんな噂が、朝から広がっていた。
「森の中で見つかったらしいよ」
「人間の町から来たんだって」
「まだ子どもなんだってさ」
畑に行く子も、水くみに行く子も、その話ばかりしている。
私は薪を運びながら、少し離れたところからそれを聞いていた。
森の外から逃げてきた獣人の話は何度か聞いたことがある。
でも「女の子が二人」というのは、初めてだった。
◇
午前の終わり頃、背中のほうからいつもの声がした。
「長老がおまえを呼んでいる。ついてこい」
振り返ると、リオンが立っていた。
「あ……はい」
薪を端に寄せ、手の土を払ってから、私はリオンのあとを追いかけた。
胸の中が、少しざわざわしていた。
もしかしたら狩りに関係する話だろうか。そう少し期待を抱いていた。
◇
長老の家に入ると、中央の椅子の前に獣人の女の子が二人座っていた。
ひとりは明るい緑色の髪で、落ち着いた佇まいに華奢な身体の女の子だ。少し年上だろうが、年に似合わないおとなしい雰囲気を纏わせていた。
もうひとりはピンク色の髪の、背丈の小さな女の子。尻尾だけがぴんと立っていた。目がきょろきょろ動いて、落ち着きなく部屋の中を見回していた。
見覚えのない女の子たちだ。噂になっていた子たちなんだろう、とすぐに分かった。
長老はゆっくりこちらを見る。
「来たか」
低い声だった。
私は一歩前に出る。
「はい」
長老は前に座っている二人をちらりと見てから、私に向かって告げた。
「噂は聞いているな。この子たちがそうだ」
胸の奥で、「やっぱり」と思う。
「この子たちをここに住まわせることとした」
長老がそう言うなら、きっともう決定事項なのだろう。けれど、その話をなぜ私に聞かせるのかは分からなかった。
「どこに住まわせるおつもりですか?」
リオンがそう問いかける。
長老は一瞬考えるように目を伏せ、それからまっすぐ私のほうを見た。
「ひとまずは、レン、おまえの家に住まわせる。ユイリーとおまえは年も近い。仕事を教えてやれ」
「え?」
思わず変な声が出そうになって、慌てて飲み込む。
狩りの話だと思っていたのに、全然違う。
森に来たばかりの女の子たちの面倒を見て、仕事まで教えろと言われるなんて、想像していなかった。
でも、長老の前で「嫌です」と言えるわけもなかった。
「……わかりました」
出来るだけ普通の声で返事をする。
胸の中で、ため息を噛み潰した。
◇
その日の午後から、私はユイリーに外での仕事を教え始めた。
まずは井戸までユイリーを連れていく。
「水はここで汲むの。わかった?」
井戸の縁を指さしながら言う。
「うん」
ユイリーは素直に頷いて、桶の中を覗き込んだ。
そのあとは、薪置き場の前に立って、また説明する。
「ここに薪が溜められてるから、必要になったら必要な分だけ持っていくわ」
「わかった」
返事はいつも元気だ。
ほんとにちゃんと覚えてるのか、不安になる。
◇
外での仕事を教えるのも一段落したところで少し休憩をしていた。
胸の中の愚痴が口からこぼれた。
「弓の練習したいのに……」
息と一緒に、ため息みたいな言葉が漏れる。
水の椀を持っていたユイリーが、顔を上げた。
「レンってもしかして狩人なの?」
目が少しきらきらしている。
「すごいね! 私とそんなに年変わらないのに」
「まだ半人前よ。私なんて」
半人前って言い方はリオンからの受け売りだ。
半人前という言葉は好きではないが、実際に狩りはまだ一度きりしか行っていないのだから認めるしかない。
「だから練習したいの。だけど、長老からあんたのこと任されたから時間が取れないのよ」
自分でも、ちょっと意地悪な言い方だなと思う。
ユイリーは「あはは……」と少し困ったように笑った。
「ごめんね。仕事早く覚えられるように頑張るよ」
「そうしてちょうだい」
少し苛立っているのかもしれない。言葉にどうしても刺が含まれてしまう。
◇
数日経ったある日。
晩ごはんの準備で、台所は軽い混乱状態に陥っていた。
いもの皮を剥いてもらおうと、ユイリーにナイフを渡してみる。
しばらくしてから様子を見に行って、私は思わず声を上げた。
「ちょっと、あんたなにやってんのよ」
「ん? おいもの皮を剥いてるんだけど……」
ユイリーは本当に不思議そうな顔で、手元を見せてくる。
いもが、半分くらい細くなっていた。
皮だけじゃなくて、中身もほとんど削れている。
「身ごといってるじゃないの!」
ため息が勝手に出る。
フィーレアから事前にユイリーは料理が下手だとは聞いていたが、こんなにひどいとは思っていなかった。
カットを任せれば大きいうえに繋がっている。塩を振らせれば薄くなるかしょっぱくなるかの二択。
とてもじゃないが任せられない腕前だった。
「はぁ〜……いいわ。あんたはスープでもかき混ぜてなさい……」
ナイフを取り上げて、代わりに木の匙を渡す。
「それなら得意だよ! ロブおじいちゃんに教わったからね」
ユイリーは嬉しそうに笑った。
その名前を聞いた瞬間、胸のどこかがざわっとした。
ロブとは人間の名だ。
ユイリーとフィーレアを保護していたという人間の。
ここに訪れる以前、ユイリーたちが街で人間と生活していたという話は、集落の大人たちから聞いていた。
人間なんてろくでもない。
今まで私はそうやって教わって育ってきた。
私は人間と直接関わったことはないけれど、集落の人たちはいつもそう言っていた。
鎖の跡、焼き印、折れた耳。
ひどい目に遇わされてきた、家族や友人を失ったという獣人たちは少なくない。
だから、「ロブおじいちゃん」という人間の話を笑いながらするユイリーを見ると、どうしても腹の奥がむっとした。
◇
料理がなんとか形になり、三人で椀に分けて食卓に並べる。
湯気。
根菜の匂い。
ちょっとだけ塩の味。
食べ始めてすぐ、ユイリーがぽつりと言った。
「……ロブおじいちゃんのスープに、少し似てるかも」
その名前を聞いた瞬間、胸の中がざわっと揺れる。
言い知れぬ感情が沸き上がる。いい思い出でも語るようなその表情が今は無性に苛立たしかった。
だから、口が勝手に動いた。
「人間の話なんてしないで。ここで暮らしていきたいなら忘れなさい」
ムッとしたまま、そう言ってしまう。
ユイリーが驚いた顔でこちらを見る。
「ロブおじいちゃんはいい人間だったよ。レンが思うような人間たちとは違うよ」
即座に返ってくる言葉。
「……あんた元々奴隷だったんでしょ? それなら人間がどれだけ獣人にひどいことをしてるか知ってるはずでしょ」
棘があるって分かっていても、止められなかった。
ユイリーは一瞬だけ目を伏せて、それから顔を上げる。
「そうだよ。ひどいことたくさんされた。でも、ロブおじいちゃんは私に優しくしてくれたもん」
その言葉は、まっすぐだった。
私は匙を握る指に力を込めて、視線をスープの中に落とす。
「……もういいわ。黙って食べてなさい」
それ以上なにか言ったら、きっともっとひどいことを口にしてしまう気がした。
だからせめて黙っていてほしかった。
そのまま険悪な雰囲気で食事が終わった。
◇
ユイリーが先に眠ったあと、火のそばには私とフィーレアだけが残っていた。
毛布の向こうから、ユイリーの寝息が小さく聞こえてくる。
私は火を見つめたまま、ふと口を開いた。
「……あなたはムキにならないのね」
さっきのやり取りのあいだ、フィーレアはずっと黙っていた。
少し困った顔をしていただけだ。
フィーレアは、火を見つめたまま小さく笑った。
「あなたの言い分もわかるから」
落ち着いた声だった。
「あなたの言うような人間さんは確かにたくさんいる。私もユイリーも、そんな人たちにひどいことをされてきたのは、その通りだよ」
それは、そうだろう。
彼女たちは元々奴隷だった。だから私なんかよりもよほどそれを知っているはずだ。
それなのに、なぜ?
その気持ちが止められなかった。
フィーレアは、少しだけ目を伏せてから続けた。
「でもね、私たちがロブおじいちゃんに大切に育ててもらったことも事実なんだ。家族として見てくれた。守ってくれた」
ロブ、という名前がまた火のそばに落ちる。
「わかってほしいとは言わないけど、心の角に留めてほしい。人間さんだってみんながみんなあなたの言うような人ばかりじゃないってこと」
静かなお願いだった。
私は何も言えずに、火の色だけを見つめた。
彼女たちがなにを言っても、私はやっぱり理解できなかった。
人間は獣人の敵――そう教わって育ってきた。
それを、今さら「いい人間もいる」と言われても、簡単に信じることなんて出来なかった。
でも、フィーレアの言葉と、ユイリーの笑顔が、心のどこかに小さな棘みたいに残ったのも事実だった。




