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第十二話 転機

 学舎の前は、朝からやけに賑やかだった。

 子どもたちの笑い声と、土を蹴る足音があちこちから聞こえてくる。


 今日はフィーレアに呼ばれて、ユイリーと一緒にここまで来ていた。


 そのときだった。


 「アイトーっ!」


 元気いっぱいの声とともに、小さな影がまっすぐ駆けてきた。

 勢いよく飛びついてきたのは、ココだった。


 「うおっ、と……ココちゃん?」


 腰のあたりに抱きつかれ、よろめきながら名前を呼ぶ。

 ココはぱっと顔を上げて、きらきらした目でこちらを見てきた。


 「アイト、来てくれた! ね、ね、みんなー!」


 振り向きざまに大声を上げると、周りで遊んでいた子どもたちがわらわらと集まってくる。


 「この人、この人!」

 「ココを助けてくれたアイト! それでね――」


 そこで一拍、もったいぶるように俺の腕をぎゅっと掴んだ。


 「アイトは、ココの“お婿さん”なんだよ!」


 「えー!?」「ほんとにー?」「いいなー!」


 一瞬で、好奇心まる出しの視線が刺さる。

 俺はというと、頭のなかが真っ白になっていた。


 「いやいやいや、ちょっと待ってココちゃん、それは――」


 慌てて否定しようとした瞬間、


 横からすっと伸びてきた手が、ココと俺の間に割り込んだ。

 ユイリーが、ぴくりと眉根をひくつかせる。


 「ココ、アイトにベタベタしないの。困ってるでしょ」


 「えー、別に困ってないもんね、アイト?」


 ココはその場でくるりと俺の前に回り込み、ぐいっと腕を抱え込む。

 小さな手とはいえ、全力でしがみつかれると意外と力が強い。


 上目遣いで同意を求めてくるその視線に、返事に詰まった。


 「え、いや、その……」


 「ほら、困ってるじゃない」


 ユイリーはなおも不機嫌そうに、反対側の腕を掴んでぐいっと引っ張る。


 「ちょ、ちょっとユイリーお姉ちゃん、引っ張らないで!」


 「ココこそ離れてってば!」


 右からはココ、左からはユイリー。

 両方から全力で引っ張られ、肩口にぎしりと嫌な負荷がかかる。


 「あだだだだっ! ちょ、腕、腕取れるっ!」


 この二人、子どもなのになんて力してるんだ。

 一体その華奢な身体のどこに、そんな筋力が隠れているんだ。


 「アイトはこれからお姉ちゃーーじゃなくて、フィーレア先生に用があるの。邪魔しないの」


 「でも、ココが一緒に遊ぶの!」


 「わがまま言わないの!」


 言い合いながら、二人の視線が俺の前で正面からぶつかる。

 俺を挟んでバチバチと電流が走るみたいな、露骨なにらみ合いだった。


 「え、ええと、二人とも……?」


 どうにか声を挟もうとした、そのとき。


 「――あら、アイトさん。いらっしゃい」


 ふいに、落ち着いた声が響いた。


 顔を上げると、学舎の入口からフィーレアがこちらに手を振っていた。

 のほほんと穏やかな笑みを浮かべているその顔は、相変わらずマイペースそうだ。


 「ふふ、人気者ですね」


 フィーレアは、いたずらっぽく目を細めてそう言った。

 完全に他人事として眺めて楽しんでいるのが、嫌でも伝わってくる。


 「いやその、茶化してないで助けてもらっていいですか?」


 ぎりぎりと左右から腕を引っ張られていて、今にもちぎれそうな気分だった。


 「ほら、二人とも。アイトさんが本当に困ってるから、そのへんでやめてあげましょうね」


 フィーレアがそう声をかけると、ユイリーとココは同時に「……はーい」と不満げに手を離した。


 急に腕の重みが消え、思わずその場でふらつく。


 ふぅ、助かった。

 俺は軽く肩を回しながら、じんじんする両腕にまだ残っている感覚を確かめた。


「ここだと落ち着きませんし、中でお話しましょうか。どうぞ、入ってください」


 フィーレアがそう言って、学舎の中を指し示す。


 俺たちはその後について、学舎の中へと足を踏み入れた。


 ◇


 学舎には何度か訪れたことがあるが、中に入るのはこれが初めてだった。

 案内された教室はこぢんまりとしているものの、思っていたよりずっと「教室らしい」空間だった。


 同じ向きに揃えられた椅子が、きっちりと列を作って並んでいる。

 一つひとつの席には、手のひらより少し大きい木の板と、白く削られた石灰の欠片が置かれていた。

 この森では紙なんてそうそう手に入らないから、それが子どもたちの“ノート”代わりになっているらしい。


 教壇の脇には、一際大きな板が立てかけられている。

 黒く煤けたその表面には、薄く消し跡の残った文字や数字がいくつも重なっていた。


「リオンさんから聞きましたけど、俺に相談ってなんですか?」


 教室の中を一通り見回したところで、俺は本題を切り出した。

 今朝方、リオンが家を訪ねてきて、この学舎に来るよう伝えに来たのだ。


 ――というか。

 猟長のリオンが、どうしてフィーレアの伝言役なんてやっているのか、そのあたりは少しだけ謎だった。

 レンの話では、リオンはかなり忙しい人らしいのだが。


「実は、アイトさんに授業を受け持ってもらえないかと思って、リオンに伝言をお願いしたんです」


 フィーレアは、申し訳なさそうな、それでいてどこか期待を含んだ笑みを浮かべてそう言った。


「授業の受け持ち、ですか? でも、俺、教師が務まるほど賢くないんですけど……」


 俺は思わず頬を掻く。

 前いた世界でも、成績は特別良いほうではなく、だいたい中の下あたり。教師が務まるほど立派な学力を持っているとは、とても言えない。


「計算が出来るって、ユイリーから聞いています。簡単なもので十分なんですよ」


 フィーレアは、柔らかい口調のまま続ける。


「文字の読み書きも、少しずつ教えてはいるんですけど……私ひとりだと手が回らなくて。

 だから、数のほうだけでも見てくれる人がいてくれたら、本当に助かるんです」


 言いながら、彼女は教室に並ぶ椅子と木の板へと視線を滑らせた。

 この森では紙も本も手に入らない。

 それでも、あるものでどうにか子どもたちに「学ぶ場」を作ろうとしている、その必死さが伝わってくる。


「それに、アイトさん――ココちゃんにすっかり気に入られちゃったみたいですし」


 くすりと笑って、フィーレアは先ほどの騒ぎを思い出したように目を細めた。


「さっきの様子を見ていても、他の子どもたちともきっと仲良くなれると思うんです。

 だから、ぜひお願いできないかなって」


 ココちゃんを助けて以来、集落の一部の人たちは、前より気さくに声をかけてくれるようになった。

 それは素直にうれしい変化ではあったが、「集落全体に受け入れられている」と言えるほどのものでもない。


 フィーレアは、本当に人手がほしくて俺に声をかけているのだろう。

 けれど同時に――もしかしたら、俺がこの集落に溶け込みやすいように、気を遣ってくれているのかもしれない。

 子どもたちを通して、俺の居場所を少しずつ広げる、その手伝いとして。


「ユイリー、手伝ってもいい?」


 ひとまず、俺は隣にいるユイリーの顔をうかがった。

 勝手に引き受けてしまう前に、ここでの事情に一番詳しい彼女の意見を聞いておきたかった。


「んー、ココがいるからなー……」


 ユイリーは、唇の端を引きつらせながら、小声で何かを呟く。


「ココちゃんがどうしたの?」


 思わず問い返すと、


「いや、なんでもない!なんでもないよっ!」


 ユイリーは慌てたように、顔の前でぶんぶんと手を振った。


「???」


 なんのことやらさっぱりだが、少なくとも、あまり大ごとにしたくない話なのは伝わってくる。


「い、いいよ。アイトにしか出来ないお仕事だもんね。お仕事があるのはいいことだよ」


 ユイリーは、どこか誤魔化すようにそう言って、ぎこちない笑みを浮かべた。


 その様子を、フィーレアはくすりと小さく笑いながら見ていた。

 何か事情を知っているのか、それともただ面白がっているだけなのか――どちらともつかない表情だった。


「……わかりました。俺に出来る範囲ですけど、やらせてもらいます」


 そう返すと、フィーレアの顔がぱっと明るくなる。


「それはありがたいです。子どもたちも、きっと喜びますよ」


 ほっとしたように息をついてから、彼女は続けた。


「ささやかですけど、ちゃんとお礼も用意させていただきますので。よろしくお願いしますね」


 穏やかな口調のまま頭を下げるフィーレアに、俺も慌てて「いえ、そんな」と手を振り返した。


 少しの不安もあるけど、どんな日々になるのか少しだけ楽しみでもある。

 こうして俺は、この学舎で子どもたちに算数を教えることになった。

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