第十一話 距離
ファングァの集落侵入事件から数日後、俺の怪我はだいぶ回復していた。
捻挫はすっかり治って、もう痛みもない。
頭の怪我に関してはまだ完治とまではいかないが出歩いても問題ない程度には回復した。
そんな俺はレンと一緒に森の中を歩いていた。
ファングァがいなくなったことで、ようやく「森に入っていい」という許可が出たのだ。
以前ユイリーと話していた「森での収穫」を本格的にやってみるために、狩人であるレンに同行してもらうことになった。
本当はユイリーも行きたいと駄々をこねていたが、畑仕事の人手が足りないからと、大人たちに半ば連行されるようにして畑のほうへ連れて行かれていた。
いつもはユイリーが途切れなく話しかけてくるから気にならないが、レンと二人きりだと、基本的に無言だ。
気まずいというほどではないものの、たまにこちらから話しかけるようにしている。とはいっても無視されるか、つんけんとした短い返事が返ってくるかの二択だったが。
「今日はあんたに使う薬草と、食べられるものの収穫がメインよ。きびきび働いてもらうからね」
前を行くレンが、振り返りざまにそう言い放つ。
薬草は、まだ完治していない俺の頭の傷にも使う予定だと、前にユイリーから聞いていた。
つんけんした言い方のわりに、レンはちゃんと俺のことも考えてくれているらしい。
「がんばって付いてくよ」
俺が慌てて返すと、レンは「ふん」と短く鼻を鳴らし、そのままきびきびと歩みを進めていく。
慣れない森の足場は、思った以上に歩きにくかった。
絡み合う木の根や、柔らかい落ち葉の層に足を取られそうになりながら、俺は遅れまいと必死についていく。
「そのキノコはだめ。毒がある」
ふいに、レンが短く言った。
「……あ、これ?」
俺が手を伸ばしていたキノコに、レンが顎で合図を送る。
「あそこ見える? あの木の実。あれは食べても大丈夫」
今度は少し先の枝を指さしながら、淡々と続ける。
レンは、そんな調子で森での知識をぽつぽつと教えてくれた。
態度は相変わらずぶっきらぼうだが、ユイリーが言っていた通り、面倒見はとてもいい。
今のところ俺に出来ているのは、言われたものを拾ってかごに入れるくらいだ。
この調子だと、出来ても荷物持ちくらいだろうな――そんな弱気な予感が、胸のどこかでひそかに頭をもたげていた。
気付けば、かごの中には薬草や木の実がどんどん溜まっていた。
どれも、元いた世界では見覚えのないものばかりだ。
野菜なんかは、形の似たものもあるにはある。
けれど、見たこともないような形状のものも、ところどころ混じっていた。
生き物だってそうだ。
ウサギなのに角が生えていたり、ファングァみたいに、熊に似ているようで決して熊ではない生き物がいたり――そして極めつけは、獣人の存在だ。
やっぱりここは、異世界ってやつなんだろうな。
改めてそう思う。
しばらくは、考えないようにしていた。
けれど、ふとした瞬間にどうしても考えてしまう。
なんで、俺が――って。
創作の世界なんかじゃ、しつこいくらいに擦られてきたネタだ。
でも、いざ自分の身に起こってしまえば、もう「どこかの誰かの物語」では済まない。
本当に、なんで俺なんだ。
「はうあっ!?」
そんなことを考えていたせいで、足元がおろそかになっていたのだろう。
絡み合った木の根に足を引っかけ、そのまま盛大に顔面から転んでしまった。
「……なにやってんのよ、バカ」
すぐ前から、呆れたようなレンの声が飛んでくる。
「ごめん、ちょっと考え事してて」
ははは、と乾いた笑いを上げながら、俺は誤魔化すように、ぶちまけてしまった収穫物をぱっぱとかごの中へ戻していく。
「……一旦、休憩にするわ。すぐそこに拓けた場所があるから、そこに移動するわよ」
少しだけ声の調子を落として、レンがそう告げた。
疲れたのだと思わせてしまったのかもしれない。
だが実際、慣れない森歩きで、足も頭もそれなりに疲れていたのも事実だった。
断る理由もなく、俺は黙ってレンの後ろについて歩き出した。
やがて、木々の間がぽっかりと途切れた場所に出た。
そこは、見覚えのある場所だった。
思わず、苦笑いが漏れる。
ここは以前、レンに殺されかけた場所だったからだ。
あれから、もう一ヶ月以上は経っている。
あまりにも情報量の多い毎日のせいか、あの日の出来事が、ひどく大昔のことのように思えた。
レンは近くの木にもたれかかり、俺はそばの岩の上に腰を下ろす。
「ほら、水」
レンがそう言って、革袋を放るように手渡してくる。
「ありがとう」
俺は慌ててそれを受け取った。
この暑い森の中では、水分補給は必須だ。
集落から離れた森の奥では、水を常備していなければ、本当に命に関わる。
俺は革袋の口を少しだけ傾けて、ちょびちょびと大事に水を飲むと、レンに返した。
「…………」
レンが小さく息を吸う。
何かを迷っているような、そんな空気が漂った。
「ねぇ、一度しか言わないから、ちゃんと聞いて」
「なに?」
「ココを助けてくれてありがとう。まだちゃんとお礼、言ってなかったから」
レンはこちらに目を向けることなく、そう言った。つんけんしてばかりのレンだけど、ちゃんと感謝していてくれたらしい。
「あの時ね、ファングァの誘導に失敗したの。本当なら、ファングァが集落に侵入することはなかったはずだった。これはあの場にいた狩人たち、全員の落ち度よ」
それは、そうなのだろうと思う。
あんな化け物、集落の中に入れていいはずがない。
予定外のことが起きてしまった――あのときから、なんとなくそう察してはいた。
「仕方ないんじゃないかな。あんな大きな生き物を相手にしてたんだし」
俺は岩に腰を下ろしたまま、空を仰ぎながら言葉を続ける。
「少なくとも、俺はそれを責める気にはなれないよ。狩人の人たちだって、そうしたくてそうなったわけじゃないだろうしさ」
しばし、風に揺れる木々の音だけが聞こえた。
「……あんた、お人好しね」
ぽつりと、レンがこぼす。
「そうかな?」
当然のことを言っただけだけどなー、なんて釈然としない表情になってしまう。
「なんにしても――」
一拍のあと、少しだけ声を落とす。
「あの場にあんたがいてくれて、よかった。言いたいことは、それだけよ」
レンはそれだけ言うと、相変わらずこちらを見ようとはしなかった。
けれど、横顔の強張りが、ほんの少しだけ緩んだように見えた。
「……それと、これ」
そう言って、レンが腰のあたりから何かを取り出す。
「ユイリーからのプレゼントよ」
「え、なに?」
思わず聞き返す。
なんでユイリーからのプレゼントを、レンから渡されるんだ?
そんな疑問が頭をよぎったが、深く考えないことにした。
差し出されたのは、鞘に収まった一本のナイフだった。
「え、ナイフ? でもこれ、武器になるものじゃ……?」
思わず伸ばしかけた手を、反射的に引っ込めてしまう。
「大丈夫よ。長老の許可はもらってるから」
レンは淡々と言葉を重ねた。
「仕事でも使うし、それくらいは持たせてもいいだろうって」
そう付け加える声には、ほんのわずかに「ちゃんと通しておいたから」というニュアンスが滲んでいた。
「ありがとう。嬉しいよ」
素直にそう口にすると、レンはすぐさまそっけなく言い返してきた。
「礼なんかいいわ。仕事の効率を上げろってだけだから」
きっぱりと言い切ってから、少し視線をそらす。
「ユイリーには私から知らせとくから、お礼なんて言わなくていいからね」
「ん? まあ、わかったよ?」
なんでそんな伝言ゲームみたいなことをするんだろう?
そう思わなくもなかったが、口には出さず、俺はナイフを両手で受け取った。
鞘ごしにも、しっかりとした重みが伝わってくる。
正直、嬉しかった。
あの長老が許可を出してくれたというのもそうだが、仕事でも料理でも使える「自分用の」ナイフを持てるのは、この世界で生きていくうえで何より心強かった。
「そろそろ再開するわよ」
レンがそう言って歩き出し、休憩はそこで切り上げられた。
◇
収穫を終え、集落に戻る頃には、もうくたくただった。
畑仕事とはまた違った種類の疲労感だ。覚えることも多く、これは経験こそものを言いそうな仕事だと痛感する。
ちょうどユイリーも畑仕事を終えたところなのか、両脇に今日の戦利品と思しき野菜を抱えて歩いていた。
「お、アイトとレンも終わったんだ。奇遇だねー」
「お疲れ、ユイリー。こっちはいい荷物持ちがいたから、今日は楽できたわ」
酷い言い様だが、これでも平常運転だ。
思わず、苦笑いが漏れてしまう。
「ん? アイト、それナイフ?」
ユイリーは目ざとく、俺の腰に掛けられたナイフに反応を示した。
「あ、ユイリー。ありがとね」
「?? なにが?」
ナイフのお礼を言ったつもりだったが、ユイリーはすっとんきょうな表情を浮かべて首をかしげた。
あれ? ユイリーからのプレゼントなんだから、ユイリーが知らないわけないはずだけど――。
俺は、思わずレンのほうを見る。
それと同時に、彼女はすごい勢いで目をそらしていた。
ユイリーは、それを見てなにかを察したのかにやりと口の端を吊り上げ、すごく悪そうな顔でレンに近寄っていった。
「あれれぇ~、レンちゃん。もしかしてその手作りナイフ、私からのプレゼントだって嘘ついてアイトにあげたの~?」
ツンツン、とレンの肩をいやらしくつつく。
「あんなわざわざ時間かけて作ったものなのに~。嘘はいけないと思うな~」
ユイリーはわざとらしくため息をつきながら、さらにレンの肩をつつく。
からかう気満々なのが、声色だけでよく分かる。
「だぁー、もううるさい!」
レンは我慢の限界とばかりに、爆発するみたいな勢いで怒鳴った。
顔は湯気でも吹き出しそうなくらい真っ赤になっている。
ナイフは、どうやらレンのお手製だったようだ。
いつもあんな調子だから、自分からだとは言い出しづらかったのかもしれない。
けれど、そんな嘘をユイリーが見逃すはずもなかった。
「そうなんだ……ありがとう、レン」
「あんたもうっさい」
そっぽを向いたまま、レンはぶっきらぼうに言い放つ。
えー、ひどい。
それでも俺は、手の中のナイフの重みが、今日一日で縮まったレンとの距離みたいに思えて、こっそりと口元が緩むのを止められなかった。




