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第十話 萌芽

 間に合えっ!


 息が喉を焼く。

 足がもつれそうになるのを、無理やり前へ押し出す。


 泣きじゃくる子どもの姿が、どんどん大きくなる。


 あと、少し。


 手を伸ばす。


 ぐい、と腕をつかんで引き寄せる。

 そのまま体を抱き寄せるようにして、反転する。


 背後から、地面を砕くような衝撃音が迫っていた。


 考える暇はない。


 視界の端に、小さな建物が映る。

 農具や木箱を置いてある、簡素な小屋。


 足をもつれさせながら、全力で駆け込む。


 扉を押し開け、ほとんど転がり込むように中へ飛び込んだ。


 直後だった。


 ドンッ、と。


 耳をつんざくような衝撃が、小屋全体を揺らした。


 壁がきしみ、柱が悲鳴を上げる。

 天井から土埃が一気に降ってきた。


 次の瞬間、視界が崩れた。


 轟音とともに、上から何かが落ちてくる。

 反射的に、子どもを抱き込んで身を伏せた。


 衝撃。


 重い木材が背中をかすめ、そのまま横に倒れ込む。



 息が詰まる。

 肺の空気が、一瞬で押し出された。


 ごほ、と咳き込みながら、必死に顔を上げる。


 ――ぼやける。


 視界が、うまく定まらない。

 頭の奥がじんじんと痛む。


 どうやら、頭を強く打ちつけたらしい。

 まともに考える余裕もないが、それだけはぼんやりと理解できた。


 暗い。


 さっきまであったはずの光が、ほとんど遮られている。


 崩れた木材と土に、小屋ごと押し潰されていた。

 さっきの衝撃は、おそらくファングァが小屋にぶつかったものだろう。あの巨体がこんな強度に不安のありそうな小屋にぶつかれば、こうなるのも仕方なかったのかもしれない。


 足を動かそうとして――


 「っ……!」


 鈍い痛みが走る。


 捻ったのか、うまく力が入らない。


 頭も、足も、最悪の状態だ。


 だが――


 今は、そんなことを気にしている場合じゃない。


 「……大丈夫?」


 腕の中の子どもに声をかける。


 小さな体が、ぎゅっとしがみついてきた。


 「ひっ……う、うぅ……」


 怖いのだろう。泣くのも無理はない。

 だが――生きている。

 今は、それだけで十分だった。


 外の音は、くぐもって聞こえる。


 遠くで誰かが叫んでいる気がするが、はっきりとはわからない。


 「大丈夫。大丈夫だからね」


 できるだけ落ち着いた声で、そう言う。


 自分に言い聞かせるみたいに。


 こんな閉所では、きっと落ち着けない。

 不安が強くなる一方だ。


 だから、ぼやける頭を必死に回す。


 そして――思い至る。


 「……君の名前、教えて」


 それは、子どもに質問を投げかけて不安を紛らわせるということだった。

 この子の不安を少しでも取り除ければいい。

 俺も何か話していないと、意識が飛びそうだった。


 「……ココ」


 子どもは声を震わせながらも、絞り出すようにそう答えた。


 「そうか、ココちゃんか。いい名前だね」


 「お兄ちゃんはなんてお名前なの?」


 相変わらず声は震えていて、怖がっているのが伝わってくる。

 それでも、俺の意図を汲んでくれているのか、ココは問い返してくる。


 「俺は三日月藍人、ていうんだ。変な名前でしょ」


 今できる渾身の自虐だ。

 少しでも場の空気を和らげたい一心の、つまらない冗談。


 「ほんとだ、変なお名前だね」


 少しだけ、ココの声が和らいだ気がした。


 ――よし。


 俺はそのあとも、他愛もない話を続けた。

 外ではおそらくファングァの対処で救出どころではないのだろう。

 とにかく今は意識を保ちつつ、ココの不安を少しでも和らげることに努めた。


 

 どれくらい時間が経ったのか、わからない。


 やがて――


 「ココ! どこだ!?」


 「アイト! 返事して!」


 瓦礫の向こう側から、俺たちを探す声がした。


 がん、と何かを叩く音。

 木材をどかす音が近づいてくる。


 「ここ! ここにいますっ!!」


 喉がひりつく声で叫ぶ。

 なんとか力を振り絞り、腰を上下に動かす。少しでも瓦礫が動けば、気付いてくれるかもしれない。


 そうしているうちにすぐ近くで、光が差し込んだ。


 差し込む光とともに、板が持ち上げられる。


 「いたぞ!」


 複数の手が伸びてきて、まずココが引き上げられた。


 そのあと、俺の腕が引かれる。


 体を外へ引きずり出された瞬間、強い光に目がくらんだ。


 「アイト、立てる?」


 ユイリーが心配そうに尋ねてくる。


 足をつこうとした瞬間――激痛が走った。


 「……っ!」


 思わず顔を歪めると、ユイリーが顔をしかめる。


 「無理しちゃダメ」


 ユイリーは俺をその場に座らせて、周囲を見渡した。


 「誰か手を貸して! アイトを運びたいの」


 その声に集まった男たちに、半ば抱えられるようにして運ばれていく。


 視界が、また揺れる。


 さっきよりもひどく、ぼやけていく。


 音も、遠くなっていく。


 誰かが何かを言っているが、うまく聞き取れない。


 ――まずいな。


 そう思ったときには、もう遅かった。


 意識が、すっと遠のいていく。


 最後に見えたのは、どこか不安そうにこちらを覗き込むユイリーの顔だった。



 気がつくと、天井が見えた。


 見慣れた木組みの天井。

 柔らかい布の感触。


 ――ベッドだ。


 頭と足首にはきつく布が巻かれていた。


 ひんやりとした感触が、じんわりと痛みを抑えている。


 どうやら、救出されたあとすぐに気を失っていたらしい。


 「目、覚めた?」


 横から声がした。


 ユイリーだった。


 ほっとしたような顔をしている。


 「……ココちゃんは?」


 「ココなら大丈夫。かすり傷程度だったみたい」


 その一言で、力が抜けた。


 「アイトのほうは、捻挫だって。気を失ったのは頭の出血のせいだろうからしっかり食べてしばらく安静にしてなさいだって」


 「……そっか」


 体を起こそうとして、すぐに諦めた。


 まだ、足に力が入らない。


 ユイリーはそんな俺を見て、少しだけ表情を和らげた。


 「アイトって、やっぱりいい人だよね。自分のことより真っ先にココのこと心配してさ」


 照れくさくて、視線をそらす。


 「すごかったよ。誰よりも早く動いてたもん。アイトがあのとき走り出してなかったら、ココどうなってたかわからない」


 「自分でも驚いてるよ。身体が考えるよりも先に動いちゃってたから」


 はは、と笑っていると、ぺし、と軽い衝撃が頭に落ちた。


 ユイリーの優しいチョップだった。


 顔を上げると、ジト目でこちらを睨みつけている。


 「二人とも無事だったからよかったけど、危なかったんだからね。ココを助けてくれたのは感謝してるけど、無茶しないで」


 ぷくっと頬を膨らませる。


 ――ユイリーはそういう子だった。

 今はこんな調子だけど、たぶんすごく心配させてしまったんだろうな。


 「ごめん……」


 「いいよ」


 ユイリーはすぐに、にこっと笑った。


 本当に、ころころと表情の変わる子だな、と苦笑いが漏れる。

 申し訳ない気持ちもあるが、それ以上に心配されたことに、どこか暖かさを感じていた。


 「そういえば、ファングァはあの後どうなったの?」


 ふと気になって尋ねると、ユイリーは少しだけ真面目な顔になる。


 「あのあとも暴れ回ってたんだ。だからアイトたちを助けるの遅くなっちゃって……。でも、狩人の人たちがちゃんと仕留めてくれたよ」


 「そっか」


 これで万事解決、か。


 怪我人は俺一人で済んで、本当によかった。

 ――いや、俺も怪我しなければ完璧だったんだけど。まあ、贅沢は言うまい。


 それでも――ココが無事で、本当によかった。



 それからの数日は、ほとんど寝て過ごすことになった。


 ユイリーは、当たり前みたいに俺の世話を焼いてくれた。

 食べさせてくれたり、包帯の具合を気にしたりと、なにかと面倒を見てくれる。

 食べるくらいは自分でも出来るから大袈裟な気はしたが、張り切っているユイリーを見ていると水を差す気にもなれず、されるがままにしている。


 レンは態度は相変わらずだが、わざわざ森に出て薬草を取ってきてくれたりしていた。

 煎じた薬を乱暴に塗りたくってくるが、彼女なりに気を遣ってくれているのはわかった。


 そして、もっとも大きい変化は、名前も知らないような獣人たちが、こぞって見舞いに来たことだった。


 どんどん溜まっていく見舞いの品々。

 みんな口々に礼を言って、頭を下げていく。


 ここに来てようやく、まともな挨拶ができた気がした。


 俺はただ、目の前にあったことに体が動いただけだ。


 だがーー


 何かを期待してやったことではなかったが、感謝されて素直に嬉しかった。

 集落の人たちと、ほんの少しだけ距離が縮まった気がした。


 ◇


 「アイトさん、ココを助けてくださりありがとうございます。本当に」


 ココのご両親も、見舞いに来てくれた。

 両親は揃って、深々と頭を下げる。

 その様子に、かえってこちらが戸惑ってしまう。


 ココは母親の足に隠れながら、もじもじとこちらをうかがっていた。


 「ほら、ココ。アイトさんにお礼を言いなさい」


 「あ、う……」


 父親は屈み込んでそう促すが、ココは恥ずかしそうに目を泳がせる。

 そのまま俺と目が合った瞬間、顔を真っ赤にして、ぱっと隠れてしまった。


 「ほーら、ココ。アイトさんに渡したいものがあるんでしょ? せっかく作ったんだから、渡さないと」


 母親に背中を押され、ココはおずおずと前に出てくる。背中に何かを隠しながら、相変わらずもじもじと下を見ていた。


 「……ん。アイト、助けてくれてありがとう」


 視線をそらしたまま、なにかを差し出してきた。


 それは、小さな花で丁寧に編まれた花飾りだった。


 不格好なところもあるけれど、一つひとつがきちんと結ばれていて、時間をかけて作ったのがわかる。


 「俺にくれるの?」


 「……ん」


 小さく頷く。


 その仕草が、やけに愛らしかった。


 「ありがとう」


 そう言って受け取ると、ココの顔がぱっと明るくなる。


 さっきまでの恥ずかしそうな様子が嘘みたいに、満面の笑みを浮かべていた。


 「アイト、ココね、大きくなったらアイトのお嫁さんになる」


 …………は??


 一瞬、ココが何を言ったのかわからなかった。


 その言葉が落ちた瞬間――

 場の空気が、ぴたりと止まる。


 「……あらあら、まあ」


 母親は楽しそうに笑い、


 父親の目が、鋭く光る。


 そして――


 「……っ」


 すぐ隣で、ユイリーが息を呑んでいた。


 「……」


 「……」


 なんだこの空気。


 誰も何も言わないのに、妙な圧だけが増していく。

 

 たぶん今の俺は、相当間の抜けた顔をしているんだろう。

 

 いや、まあ本気じゃないだろうさ。

 子どもにはありがちなやつだ。幼稚園の先生や親に「結婚する」って言い出す、あれと同じだろう。

 そのはずなんだが――

 

 視線を感じて、そっと横を見る。

 ココの父親と、目が合った。

 

 ――怖い。

 

 にこりともしていない。

 無言のまま、じっとこちらを見ている。

 いや、見ているというより――完全に睨んでいる。

 

 「……」

 

 「……」

 

 なんだこの圧は。

 変な汗が背中を伝う。

 

 いやいやいや、待て待て。俺は何もしてない。

 助けただけだ。むしろ感謝される側だろ。


 「お、お父さん……落ち着いてください」


 「……君に、お父さんと呼ばれる筋合いはない」


 「あ、はい」


 怖い。


 まさか、またこんな形で肝を冷やすことになるなんて思ってもみなかった。


 ここに来て以来というもの、肝を冷やしてばかりだ。


 命の危険に晒されたり、瓦礫に埋もれたり――

 そして今みたいな、別の意味での危機に巻き込まれたり。


 いったい、いつになったら俺は落ち着けるのだろう。


 本当に、勘弁してほしい。

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