体育祭-8
「うーん…まじか」
あの不審者は、言いたいことだけ言ってあっという間に姿を消しまい、1人取り残された私は何とも言えない顔をするしか無い。確かに有力情報?ではあったが、それを聞いて私に一体どうしろと言うのか。正直、余計にややこしい事態になった気しかしないのだが。
今すぐにどうこうできる事でもないし、まあとりあえず放置で…
「シア…!」
「おぅ…」
それより問題なのはこっちだ。
珍しく焦ったような声で勢いよく背後から抱きつかれ、身長差からそのままよろけて倒れ込むしかない。一応支えてはくれたため、床に勢いよくぶつかる事態にはならなかったが。なぜかアイツの膝の上に座らされ、私はただただ途方に暮れる。
これどうすればいい?
と言うか、ちょっと力加減は気をつけてほしいなー?骨ぎしぎし言ってる…
いつもなら速攻ぶん殴るところだが、流石にこの状態の奴を相手にそんなことをする気にはなれない。背中から伝わる体温はいつもより高く、心音も早い。首筋に当たる髪も少ししっとりしている気がするのも、おそらく気の所為ではないだろう。
「落ち着きなさい。私は何ともないから」
コイツの方がどう考えても重症だ。ここまで急いで走って来たのか耳元にかかる息が荒い。
転移魔法を使わなかったのは、やはり妨害があったのか?
扉の前にいた人物は姿すら見れずに姿を消してしまったし、結局あの二人組の正体は分からず仕舞い。まあ少なくとも敵ではないことだけは確かだろう。でなければリスクを背負ってまでここに侵入して来たのに、話すことだけ話して帰るはずもない。
ピクリともしない奴の前髪を掻き上げ、おでこに手の甲を当ててみればほんのりと熱い。おそらく微熱くらいはある気がする。
「全く、自分の心配をしなさいよ…」
軽度の熱中症か。
早く戻って水を飲ませたいところだが、この状態で戻っても無駄に騒ぎになるだけだ。と言うかコイツ、動く気配が全くない。ひとまず諦めて、魔法で氷でも作ろうかと思ったのだが…
「…」
なぜか手まで拘束されてしまった。
なんで?
流石にこの状態じゃ魔法は使えない。最悪コイツを凍らせてしまう。振り解こうにもがっちり掴まれてて振り解けないし。
非力な自分が憎い…!
自身よりも大きな手にすっぽりと覆われているのを見て眉を顰める。昔はこんなことなかったのに…
あの頃ならコイツに抱きつかれただけでよろける事なんてなかったし、この手を振り解けないなんてこともなかった。男女の差だと言われて仕舞えばそれまでだが、多分そこじゃない。もっと明確に、根本的に変わってしまったものがある。
「大丈夫だから」
それはまるで自分自身に言い聞かせているようだった。今にも泣きそうな声で、何かを悔いるような声で…当の本人がそんな辛そうな声をしている時点で、何も大丈夫ではないことは明白なのだが。
「シアは何も心配しなくていいから」
本当に嫌になる。自分自身のことなのに、完全なる蚊帳の外なのだ。コイツはあの時から、私が目覚めた時からずっと肝心なことは何も言わない。
「俺が全部何とかするから」
あの頃のように、本当の意味でコイツの隣には立てることはもうないのだろう。力を失ってしまった私は、ただの庇護対象になってしまったのだから。
アイツの手のひらの中で自身の拳を強く握りしめる。
「シア…?」
黙り込んでしまった私に、どこか心配そうな声で話しかけて来るが返事はしない。いや、できない。
こちらを覗き込もうと僅かに拘束が緩んだ隙を狙って…
「っ!?」
両腕を勢いよく上げながら、アイツが仰け反ったところを軽く押し、そのままゆっくりと立ち上がる。
私の反撃は予想していなかったのだろう。後ろを振り返れば、地面に倒れ込んだままの体勢でアイツが目を大きく見開いている。
分かってる。コイツは善意で…いや、罪悪感からこんなことをしてくれているのは。でも私はそれを受け取れない。
「前にも言ったわよね。あんたは自分のために生きなさいって」
受け取ったら最後、私はコイツと対等ではいられないから。
「これは私自身の問題よ。ウィルには関係ないでしょう」
だから無理矢理にでも突き放す。
「あの旅が終わった時点で、私たちは赤の他人」
これ以上はダメだと…
「お互いを気にかける理由なんて何もない」
今ならまだ引き返せると…
「卒業したらもう会うこともないのだから」
その内に秘めた本心は綺麗に包み隠して。
「私の心配ばかりしているようだけれど…」
だから私は、誰もが見惚れるくらい綺麗な笑みを浮かべる。あの時自らが嫌悪した、偽りの仮面を被りながら。
「ウィリアム様はそろそろ婚約者を探した方がよろしいのでは?公爵様がほとほと困っておられましたよ」
ここで明確に線引きをしておくために。自分の居場所はここではないと言い聞かせるために。
アイツの顔は見れなかった。自分で言っておきながら、私自身がそれを受け止めきれないから。
コイツがいて、殿下がいて、アンネマリーがいて…私は勘違いしてしまっていたのだろう。私は本来、ここにいて良い存在ではないのに。卒業したら最後、もう二度と彼らと会うことはないのに。
『シアちゃんはもっと好きに生きていいんだよ』
先生はああ言ってくれたが、自分の影響力はよく理解している。余計な火種にならないために、誰にも迷惑をかけないために、大人しく神殿に引きこもっているのが一番なのだと。
まあそもそも、それまで私が生きていられるかと言う問題はあるが。
アイツの方は振り返ることなく、私はただ1人真っ直ぐに扉まで歩く。
大丈夫、元々交わるわけもない道だったのだ。今なら忘れられる。今ならまだ間に合う。アイツにはアイツの幸せがあるのだから。
あの不審者から告げられた内容は主に3つ。一つ目は私のこと。二つ目は…
「今度の夜会、ちゃんと行きなさいね」
アイツの現状。
かなり公爵様に反抗的な態度を取っているらしく、険悪な関係が続いているらしい。任された仕事は一応こなすが、それ以外は全く聞く耳を持たないと。最悪勘当もあり得る…とか。何でそんなこと知ってるんだよ?と言う感じではあったが、色々とまずいことはよく分かった。その原因がおそらく私だろうとも。
「イレーナ様も心配なされてたわよ」
あの不審者の言葉をまるっと信じたわけではないが、否定もできなかったのだ。イレーナ様が2人の不仲具合によく頭を抱えておられたのを知っているから。お世話になった彼女に迷惑だけはかけたくない。
暗い倉庫で唯一の光源は扉から差し込む外の光のみ。私は確かにそこに向かって歩いているが、きっとこの先に光はない。もうきっと日の元は歩けない。でもそれでいいのだ。もう私は沢山のものをもらったのだから。




