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水曜日の頭皮

髪や頭皮の話題に強い小説ナンバーワンを自負。

100回まであと3回。

# 水曜日の頭皮


 水曜の午後だった。


 六月の後半は雨が続いていた。今日は朝から降りっぱなしで、客足も少ない。午後二時を過ぎた頃、吉村さんが入ってきた。傘を畳みながら、濡れた肩を手のひらで拭いた。


「ブレンドを」


「はい」


 吉村さんはカウンターの定位置に座った。トートバッグを隣の椅子に置いて、少し息をついた。いつも通りだった。


 私がコーヒーを出したとき、吉村さんが私の頭の方を見た。


「マスター、なんか雰囲気変わりました?」


「そうですか」


「頭というか、髪というか」


「少し調べまして」


 吉村さんが少し目を丸くした。


「マスターが調べた」


「ええ」


「何を」


「シャンプーのやり方とか、頭皮のケアとか」


 吉村さんがカップを持ち上げて、面白そうな顔をした。


「聞いていいですか」


「別に」


「気にしていない風だったのになんで急に」


 私は少し間を置いた。


「やはり話を聞いているうちに気になり出しまして」


「頭皮が」


「まあ」


 吉村さんが笑った。声には出さなかったが、笑っているのはわかった。


「それで何を調べたんですか」


「最初はシャンプーの成分から。界面活性剤の種類がどう違うか」


「界面活性剤」


「洗浄するための成分です。ラウリル硫酸とか、ラウレス硫酸とか、アミノ酸系とか。洗浄力と刺激の強さが違うんだそうです」


「アミノ酸系は優しいって聞いたことある」


「よくご存知ですね。アミノ酸系は頭皮への刺激が少ない。ただ洗浄力が弱めだから、汚れが落ちにくいらしいです。で、調べてたら面白い話があって」


「面白い」


「ラウリル硫酸みたいな洗浄力の強いやつを薄めて使うと、アミノ酸系と同じようになるんじゃないかという話があるんですよ」


 吉村さんが少し首を傾けた。


「なるんですか」


「実際にはそう単純でもないらしくて。成分の種類が変わるわけじゃないから、濃度を下げても刺激の質は変わらない、という話もある。薄めたら刺激が減るのは確かだけど、アミノ酸系と同じになるわけじゃない、と」


「じゃあ薄めれば安いやつでいいというわけでもない」


「そこは微妙なところで。結論としては、よくわからないという感じになりました」


「調べた結果がよくわからないになった」


「よくわからない感じになりました」


 吉村さんがまた少し笑った。


「他には何を」


「洗い方。今まで二回洗ってたんですよ」


「二回」


「一回目で大まかな汚れを取って、二回目でしっかり洗うという流れで。昔から何となくそうしてた」


「それ、よくやる人いますよね」


「でも調べたら、一回で十分という話が多くて。二回やると洗いすぎで、皮脂が取れすぎる。取れすぎると今度は皮脂が過剰に分泌されて、逆によくないとか」


「じゃあ二回やってたのが逆効果だった可能性がある」


「かもしれない」


 私はカウンターを拭きながら続けた。


「あとマッサージも重要。そのやり方も。爪を立てないで指の腹で、というのは知ってたんですが、どこをどう動かすかまでは考えてなかった」


「どうするんですか」


「頭の側面から、耳の上のあたりから頭頂部に向かって押し上げるようにする。後ろも首の付け根から頭頂部に向けて。頭皮を動かすようにして、引っ張ったり押したりしながら」


「頭皮が動く感じがしますか」


「最初はしなかった。固くなってると動かない。少し続けたら動くようになってきた気がしてます」


 吉村さんがコーヒーを一口飲んだ。


「シャンプーブラシとかは使わないんですか。最近よく見かけるので」


「それも調べた。使い方による、という話でした」


「使い方による」


「力を入れすぎると頭皮を傷める。あくまで指の補助として、軽く当てる程度がいい。ゴシゴシやると逆効果になる」


「でも気持ちよさそうで、つい力が入る」


「そうなんですよ。だから正しく使える人と使えない人で結果が変わる。自分でコントロールできるなら使ってもいい、という感じで、これも結論が曖昧になりました」


「また調べた結果が曖昧に」


「そういうものが多いんですよ」


 吉村さんが少し考えてから言った。


「遺伝はどうなんですか。結局そっちが大きい気がして、怖くて」


 私は少し間を置いた。


「遺伝はありますね。父方の祖父の影響を受けやすいという話をよく見る」


「父方の」


「諸説あるらしいんですが、そういう傾向があると言われてる。ただ遺伝があっても後発かどうかはわからない、ということも書いてありました」


「後発」


「後から来るやつ。遺伝的に傾向があっても、ケア次第で遅らせることはできる、という話です。どこまで本当かはわかりませんが」


「じゃあやらないよりはやった方がいい」


「気休めにはなる、くらいかもしれない」


「気休めは大事ですよ」


「そうですね」


 吉村さんがカップを置いた。


「マスターは何か使ってるんですか。ミノキシジルとか」


「それはまだ早いかな、と思っています」


「まだ大丈夫という判断」


「今のところは。副作用の話もありますし、そこまでするのはまだいいかな、と」


「じゃあ何を」


「ヘアトニック」


 吉村さんが少し黙った。


「ヘアトニック」


「ええ」


「あの、ちょっと古い感じの」


「そうですね。ドラッグストアで売ってるやつです」


「効くんですか」


「効くかどうかはわかりません。でも頭皮のマッサージをするついでに、何か使った方が気持ちいいので」


「気休め」


「気休めです」


 吉村さんが少し笑った。


「でも毎日やってるんですか、ちゃんと」


「続いてます。今のところ」


「真面目ですね」


「暇なので」


 雨が少し強くなった。窓ガラスが音を立てた。吉村さんが窓の方を見て、また前を向いた。


「私も少し気にした方がいいかな」


「どうですか最近」


「わかんない。美容師さんに特に何も言われないから大丈夫だと思ってるけど、言わない人もいますよね」


「そうかもしれない」


「気になり始めると止まらなくなりそうで、あえて考えないようにしてた」


「それでもいいと思いますけど」


「マスターは気にした口ですか」


「少し」


「だから調べた」


「まあ」


 吉村さんがコーヒーを飲み干した。少しだけ残した。いつも通りだった。


「そのヘアトニック、何ていうやつですか」


 私は商品名を言った。


「昔からあるやつですね」


「ええ」


「においはどうですか、あれ」


「古い感じがします」


「懐かしい感じの」


「そうですね」


「嫌いじゃないですよ、ああいうにおい」


「そうですか」


 吉村さんは財布を出した。


「ごちそうさまでした。なんか今日の話、マスターらしいですね」


「どういう意味ですか」


「ちゃんと調べて、でも最後はヘアトニックで、っていう」


 私は特に答えなかった。


「またどうぞ」


 ドアが閉まった。雨は続いていた。


 遺伝については、正直なところあまり考えたくなかった。父方の祖父を思い出すと、あまり都合のいい記憶がない。似ているとしたら、どのあたりを引き継いだのか。頭皮のことだけであれば、まだいいような気もする。


 あまり考えたくはないけれど。


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