木曜日のカーテン
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# 木曜日のカーテン
夕方だった。
空が少し橙色になりかけたころ、吉村さんが入ってきた。トートバッグを肩にかけたまま、カウンターの定位置に座った。梅雨の晴れ間が今日は長く続いて、外はまだ明るかった。
「ブレンドを」
「はい」
豆を挽く。吉村さんはバッグを隣の椅子に置いて、少し息をついた。疲れた様子というより、何か言いたそうな様子だった。言い出すタイミングを探っているような間があった。
「カーテン、買ってきたんですよ」
コーヒーを出したあとで言った。
「カーテン」
「カーテン。引っ越してから窓に何もつけてなくて。もう三ヶ月。ようやく重い腰を上げて」
「それは」
「わかってます。遅すぎるのは」
私はそれには答えなかった。
「どんなのにしたんですか」
「それが」
吉村さんはカップを両手で持った。
「遮光しかないんですよ、今って。ホームセンターも、カーテン専門のところも、全部遮光」
「遮光」
「一級遮光。二級遮光。遮光率何パーセント。もうどこに行っても遮光の話ばかりで。私が欲しいのは光を遮るカーテンじゃないのに」
「薄いのは」
「レースカーテンしかない。でもレースって、昼間は外から見えるじゃないですか。一階だから、ちょっと困って」
「見えますね」
「だから厚手のレースを買ってきたんですよ。ちょうどその二つの中間くらいのやつ。光は通すけど、シルエットは映らないくらいの」
「それでよかったんじゃないですか」
「まあ、そうなんですけど」
吉村さんはコーヒーを一口飲んで、少し間を置いた。
「微妙に短かった」
私は笑いそうになった。こらえた。
「何センチくらい」
「三センチくらい。窓枠の下のところが、ちょっと見えてる。隙間みたいに」
「それはまた」
「取り付けてから気がついた。外してもう一回採寸して買い直すのも面倒で。まあいいかと思って、そのままにしてある」
「そうですか」
「光は入るし、外から見えないし、機能的には問題ないんですよ。ただ三センチ」
「気になりますか」
「気になるけど、気にしないことにしてます」
そういう折り合いのつけ方をする人だな、と私は思った。
「昔はもっとなんか、薄い生地で光を通すやつがあった気がするんですけど。レースじゃないやつ。麻みたいな感じのとか、薄い綿みたいなのとか」
「ありましたね」
「なんで遮光ばかりになったんですか」
「さあ」
「マスター、さあって言いすぎですよ」
「さあ」
吉村さんが少し笑った。
「でも確かに、リモートワークが増えてから、部屋を暗くしたい人が増えたとか、そういう話は聞いたことがあります。画面の見やすさとか、昼間に寝る人が増えたとか」
「ああ、仕事の時間帯がバラけた」
「かもしれないですね。需要が変わったら作るものが変わる」
「そうか。生活が変わったから売り場が変わって、私みたいなのが困ってる」
「そういうことかもしれない」
「私の生活が変わってないってことか。明るい光が入るカーテンが欲しい人間が、少数派になった」
「それはわからないですよ。需要がないわけじゃないと思いますけど、数が読みにくくなると棚に並ばなくなる」
「じゃあどこで買えばよかったんですか」
「通販か、オーダーか、でしょうか」
吉村さんはカップを置いた。
「最初からそうすればよかった」
「まあ」
「三ヶ月腰が重かった人間が、さらに面倒な方に進めるかどうか」
「それはちょっと」
「そうでしょう」
ドアが開いて、若い女性が一人入ってきた。テーブル席に座って、メニューを広げた。吉村さんはそちらを少し見て、また前を向いた。
「でもまあ、悪くないんですよ、今のやつも。光は入るし、白くてきれいだし。ちょっと短いけど」
「よかったじゃないですか」
「三センチさえなければ」
吉村さんはコーヒーを飲み干した。少しだけ残した。いつも通りだった。
「もう少し探してみます。気が向いたら」
「気が向いたときでいいでしょう」
「三ヶ月かかるかもしれないけど」
「それでもいいんじゃないですか」
吉村さんは少し笑って、財布を出した。
「ごちそうさまでした」
「お疲れ様でした」
吉村さんが出ていった後、窓から空の色が変わっていくのが見えた。橙色がだいぶ濃くなっていた。
明るい光を部屋に入れたいという、別に珍しくもない望みが、ホームセンターには見当たらなかった。需要が消えたわけじゃないのに、棚から消える。折り合いをつけながら暮らしていくのが普通のことになると、何かが少しずつ諦められていく。三センチの隙間を気にしないことにする、というのも、そういうことの一つかもしれない。




