水曜日のナフサ
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# 水曜日のナフサ
梅雨の晴れ間だった。
午後二時過ぎに窓から光が差し込んで、カウンターの端が白く光った。曇りがちだった朝と比べると、別の日のようだ。店の中が急に明るくなった感じがして、私は思わず窓の方を見た。光はすぐに薄くなった。また雲が来たのだろう。
客は二人。窓際のテーブルに、五十代くらいの男性が二人向かい合って座っていた。入ってきたときから話しながらで、名刺交換もなかったから、同じ会社の人間だろうと思った。スーツは同じくらいの値段に見えた。仕事の話をしていたのが、いつの間にか別の方向に流れていった。
「ナフサって、そんなに足りてないんですか」
眼鏡をかけた方が言った。
「足りてないというか。足りなくなりそうで怖いんですよ」
もう一人が答えた。ネクタイを少し緩めていた。出先から戻ってきた帰りかもしれなかった。
「でもガソリン代が上がってるとか、そういう話は前もありましたよね。中東が不安定になるたびに」
「それはそう。でも今回はちょっと違うようですね」
私はカウンターの内側で、洗い終えたカップを布で拭いた。声が自然に届く距離だった。
「何が違うんですか」
「ナフサって、プラスチックの原料なんですよ。石油から精製するんですけど」
「プラスチックの」
「そう。プラスチック。ガソリンと一緒に作られるやつ。原油を精製するとガソリンとかナフサとかが一緒に出てくる。ガソリン需要が下がると、ナフサも一緒に減る」
「電気自動車が増えると」
「そういうこと。ガソリンが売れなくなったら、ナフサも取れなくなる。精製するときに一緒に出てくるものだから、片方だけ調整できない」
眼鏡の方が、少し考える顔をした。
「環境にいいことをしたら別のところで困るってことですか」
「まあ、そういうことになりますね。なんとも言えない話で」
「海外はどう思ってるんですか、それ」
「海外はあんまり気にしてないですよ。騒いでるの、ほぼ日本だけで」
「なんで」
「日本が石油化学に依存してるから。プラスチックの加工産業が多いんですよ。フィルムとか包装材とか、細かいパーツとか。そういうものを作ってる中小企業が、製造業の底を支えてる構造になってる」
「なるほど」
「向こうは代替品に移るか、ナフサ自体を別の方法で合成するか、って方向で考える。日本は今の産業構造のまま何とかしようとするから、ギャップが出る。どっちが正しいかというより、出発点が違う」
私はポットをコンロに戻した。湯が少し音を立てた。
眼鏡の方がコーヒーカップを持ち上げた。
「日本だけ焦ってる」
「そう」
「なんかいつもそういう感じしますね」
「どういう」
「海外が問題ない顔してるのに、日本だけ大騒ぎ。もしくは逆に、海外が騒いでても日本は知らない」
ネクタイの方が少し笑った。
「どっちもありますからね、確かに」
「今回はどっちですか」
「日本だけ騒いでる方です。いや、騒ぐ理由はあるんですけど。ただ海外から見ると、なんでそこでそんなに騒ぐのかがわかりにくい。構造が見えてないと、ただ過剰反応してるように見える」
「日本の中にいても、正直よくわからないですけど」
「わかりにくい話なんですよ。石油を精製するときの話とか、プラスチック製造の上流の話とか、普段あまり気にしないですから」
眼鏡の方が、少し遠い目をした。
「でも気にしたことないけど、なくなったら困るものって、そういうとこにあるんですよね」
「そう。ペットボトルとか、食品の袋とか。別に石油から来てるなんて、買うときに考えない」
「考えないですね」
「考えなくていい仕組みになってたのが、揺れ始めてる」
二人はしばらく黙った。コーヒーを飲む音だけした。
「でも今回は本当に困るんですか」
「困ると思います。すぐどうこうなる話じゃないけど、構造的に変えないといけないやつなので。急には変えられない」
「そういうのが一番厄介ですよね。すぐ壊れる話なら対処できるけど」
「ゆっくり傾いてるやつが一番対処しにくい」
「そうなんですよ」
ネクタイの方が伝票を見た。
「そういう意味では、うちの部署も似たようなもんかな」
「何がですか」
「急じゃないけど、じわじわと。……まあいいか。そういう話は今日はやめておきましょう」
二人は少し笑って、それきり別の話に移った。取引先の何かの話になって、私には意味がわからなくなった。
しばらくして、ネクタイの方が伝票を取った。
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
「またどうぞ」
ドアが閉まった。晴れ間はもう少し続きそうだった。カップを下げると、コーヒーが少し残っていた。飲み切るタイミングを逃したのだろう。
プラスチックとガソリンが一緒に作られているということを、私は知らなかった。ガソリンが減ればプラスチックも減る。そう言われると、単純なことのような気がする。でも単純に見えるものが、どこかで複雑に絡まっている。普段見えていないだけで、底の方でつながっているものが、世の中にはずいぶんあるのだろう。




