土曜日のオリンピック
最近は異常気象が毎年のようで、5年前の夏が思い出せません。
# 土曜日のオリンピック
土曜の午後、男性が二人で入ってきた。
四十代くらいで、並んでカウンターに座った。友人同士らしかった。ブレンドを二つ頼んで、話の続きをしているようだった。
「オリンピックって、あまり好きじゃないんだよ)」と一方が言った。
「まあ、でも」ともう一方が言った。
コーヒーを持っていって、カウンターに戻った。
「商業的すぎるんだよ、あれは」と最初の方が続けた。
「商業的」
「スポンサーだらけで。IOCは莫大な放映権料を集めて、開催都市は毎回赤字になる。何のためのオリンピックかって」
「でも選手にとってはある意味があるんじゃないかな」
「選手はいいよ。問題はIOCとスポンサーと放映権で」
「分けて考えるのか」
「分けて考える。選手は好き。でも仕組みが嫌い」
「それは一理あるかも」ともう一方が言った。
「競技の種類も、最近変じゃないですか」と最初の方が続けた。
「変というのは」
「純粋に身体能力を競う競技の比率が、減ってきてる気がして。スケートボードとか、ブレイキンとか」
「体力的には相当厳しいと思うけど」
「体力的に厳しいこととスポーツかどうかは、別の話で」
「採点が入る競技は、スポーツじゃないという意味?」
「そういうわけじゃないけど。体操も採点だし。でもオリンピックというものの、コンセプトと合ってるのかどうかが、わからなくない」
「では、スポーツとは何ですか」と不意に私は聞いた。
一瞬ギョッとして二人がこちらを見た。
「えっと」と最初の方が言った。「身体能力を競う、ということだと思います」
「採点競技も体力が必要で、競っていますよね」と私は言った。
「そうなんですけど」
「定義するのは難しいですよね」と私は言った。
「難しいです。うまく言えない。でも、なんか、違う気がしてる」
私は何も言わなかった。
しばらくして、「日本が活躍する競技だけ見て、終わったら忘れる、というのが一番気になる」と最初の方が言った。
「それは自分のことですか」ともう一方が言った。
「自分のことでもあるし、まわりもそう。柔道は見る。体操は見る。卓球は見る。でも終わったら、その競技の話題が全くなくなる」
「なくなりますね」
「なくなる。オリンピックの間だけ急に柔道が好きになって、終わったら誰も話さなくなる。柔道の選手が気の毒」
「でもオリンピックがなかったら、柔道を見る機会がもっと減るかもしれない」
「それはそうかも」と最初の方が言った。「四年に一回、存在を思い出す、というだけでもその競技にとっては大事なのかもしれない」
「少し矛盾してきましたよ」ともう一方が言った。
「してる。でもいいんだよ、矛盾があっても」
私はカウンターを拭きながら聞いていた。
「冬季オリンピックは競技が少なすぎると思う」と最初の方が続けた。
「少ない?」
「少ない。夏は三十競技以上あるのに、冬は十五くらいしかない」
「冬にできる競技が少ないから仕方ないでしょ」
「仕方ないけど、物足りない。二週間続くのに、競技の種類がそれだけだと中盤で飽きてくる」
「飽きるくらい見てるんですか」
「嫌いだけど、見てしまう」
ともう一方が「それは好きということじゃないですか」と言った。
「好きじゃないけど見てしまう」
「難しい感情ですね」と私は言った。
「難しい感情です。だから嫌いと言ってる」
「夏の屋内競技を冬に移したらどうですか」ともう一方が言った。
「それはいいと思う。卓球とか、バドミントンとか、体操とか。冬でもできる」
「でも冬のオリンピックは、雪と氷の競技というイメージがある」
「イメージを変えればいい。室内競技は年中できるんだから、冬に集めても問題ないはずで」
「まあ、盛り上がるかもしれない」
「盛り上がりますよ。日本が活躍できる競技も増えるし」
「結局、日本が活躍すると見るんですか」
「見ます」と最初の方が言った。あっさりと言った。
ともう一方が少し笑った。「オリンピック、大好きじゃないですか」
「嫌いですよ。でも見てしまう」
「どの競技を見ますか」と私は聞いた。
「基本的には見ないようにしているんですよ」と最初の方が言った。「流されたくないので」
「見ないようにしている」
「テレビをつけない。SNSも見ない。みんなが盛り上がってるのに、一人流されたくないので」
「それが徹底できてますか」
「できてないです」と最初の方が言った。少し間があった。
「どの競技を見てしまうんですか」と私は聞いた。
また少し間があった。
「スポーツクライミングだけは見てる」と最初の方が言った。
ともう一方が「スポーツクライミング」と繰り返した。
「ボルダリングとリードとスピードがあって、それぞれ面白くて」
「詳しいんですね」
「詳しいよ。日本の選手が強い。若い選手が次々出てきている」
「選手も追ってるんですか」
「少し」
「少しというか、推し選手の名前まで出てきそうな感じがしますよ」ともう一方が言った。
「出るね」と最初の方が言った。「なんで覚えてるんだろう」
「好きだからですよ」
「クライミングは好きかもしれない。でもオリンピックは嫌い」
「でもクライミングがオリンピックに入ったから、オリンピックで見ることができる」
「それはそうだね」
「オリンピックのおかげでクライミングを大々的に見られる」
「そうかもしれない」と最初の方が言った。少し認めたくなさそうに言った。「でもオリンピックが商業的なのは変わらない」
「そこは譲らないんですか」
「そこは譲らない」
私はカウンターで、何も言わなかった。
「ちなみに、クライミングって前から見てたんですか」とも一方が聞いた。
「オリンピックに入る前から見てた」と最初の方が言った。
「それは本物ですね」
「見てて楽しいんだよね」
「でもオリンピックで取り上げられると、見やすくなった」
「クライミング自体も盛り上がる」
「オリンピックのいいところじゃないですか」ともう一方が言った。
「そこは認める」と最初の方が言った。渋々という感じがした。
二人はコーヒーを飲み終えて立った。帰り際に最初の方が「次のオリンピック、クライミングの代表誰が選ばれるかな」と独り言のように言った。
「もう調べてますよね」ともう一方が言った。
「調べてる」と最初の方が言った。「クライミングだけ」と付け加えた。
二人は笑って出ていった。
嫌いと言いながら、一つだけ好きなものがある、というのはよくあることかもしれない。コーヒーは苦手だと言いながら、砂糖をたくさん入れると飲める、と言う人がたまにいる。それでいいと思っている。一つだけ好き、というのは、なんか正直な感じがする。




