水曜日の神様
今回は日本対西洋。
ギリシャ神話とかを見ると西洋にも不完全な神様が多い印象ですけど、語り手の男性の主観なので。
# 水曜日の神様
午後の光が、窓の桟に真横から差し込んでいた。
二時を少し過ぎたところだった。客は誰もいなかった。豆を挽いていると、ドアベルが鳴った。
四十代くらいの男性と、三十代くらいの女性が入ってきた。顔見知りの間柄らしく、並んで入ってきた。窓際の席に座った。
ブレンドを二つ頼んで、旅の話をしていた。男性がヨーロッパから帰ってきたらしかった。
「教会って、神社と全然違うのよね」と女性が言った。
「違う」と男性が言った。「何が違うか、うまく言えないけど」
「入ったとき感じるものが違う、ということ?」
「そう。神社は、なんか、お願いしに行く感じがある。教会は、聞いてもらいに行く感じで」
「聞いてもらう」
「話しかける、というのが近いかもしれない。一方的に頼むんじゃなくて、対話している感じがして」
コーヒーを持っていって、カウンターに戻った。
「神様の性格が、そもそも違うんじゃないかな」と男性が続けた。「日本の神様は、気まぐれな感じがある」
「気まぐれ」
「お供えしたり参拝したりすれば叶えてくれることもあるし、叶えてくれないこともある。機嫌が悪ければ、たたることもある」
「たたる、という概念が、西洋にはないのよね」
「ない。神様が人間に危害を加えるという発想が、基本的にない。旧約聖書には怖い場面もあるけど、根本は愛と許しという建前で」
「建前ね」と女性が笑った。
「建前なのよ」と男性も笑った。「でも日本の神様はもう少し正直で、怒ったらたたる」
「そっちの方が、人間らしい」
「人間らしい。喜怒哀楽がある。失敗もする。国生み神話だと、最初の子がうまく生まれなくて困ったり、夫婦喧嘩したりしてるから」
「失敗する神様、というのは向こうにはいないのかな」
「いない訳ではない。けど神様は完全なはずだから、というのが前提で」
「完全な存在」
「完全だから崇拝する。人間は不完全だから、神様に近づこうとする。それが関係性で」
「日本は違うのね」
「日本は、神様が人間になることもあれば、人間が神様になることもある」
女性がコーヒーを一口飲んだ。「人間が神様になる、というのはどういうこと」
「菅原道真がそうで」と男性が言った。「平安時代の学者で、藤原氏に陥れられて左遷されて、流刑地で亡くなった。その後、都でいろいろな災害や不幸が続いて、道真の祟りだと言われるようになって」
「それで」
「天神様として祀られた。怨霊が、神様になった」
「怨霊を神様にする」
「怖いから、神様にしてしまう。神様として祀ることで、力を鎮める、という発想で」
「なんか、賢いのか怖いのかわからない」
「どちらでもある、かもしれない」と男性が言った。「向こうの感覚だと、悪霊は悪霊のままで、神様にはならない。サタンは永遠にサタンで」
「日本では、怖いものも神になれる」
「なれる。というか、怖いものほど神様候補で」
女性が少し笑った。「祟られたくないから、祀るのね」
「そういうこと。で、祀っているうちに、学問の神様になったりする。道真公は今では受験生がお参りする神様で」
「怨霊が受験の神様に」
「なってる。それが日本の神様のキャリアで」
「すごいキャリアアップ」と女性が言った。
「キャリアアップ」と男性が繰り返した。「そう言えばそうね」
私はカウンターの奥で、少し笑った。
「徳川家康も神様になってるわよね」と女性が言った。「東照大権現」
「そう。生前の権力者が死後に神格化される、というのがある。勝者が神様になる、という面もある」
「神様にも時代があるのね」
「ある。ご利益が時代によって変わることもある。交通安全の神様が古代からいたわけじゃなくて、車が来てから車に関わる神様が増えた、とか」
「増えるの」
「増える。八百万の神がいる世界だから、融通が利くのかもしれない」
「一神教には融通が利かない」
「一つしかいないから、守備範囲が広い。日本は役割分担ができてる」
「分業制ね」と女性が言った。
「分業制」と男性が繰り返した。
しばらく間があった。
「祈り方も違うのかな」と女性が言った。「向こうの人が教会で祈っているのを見て、なんか違うと思って」
「違う」と男性が言った。「日本の参拝は、手順が決まってる。二礼二拍手一礼、とか。ある程度形式化されてる」
「向こうは違う?」
「もっと自由な感じがした。目を閉じて、何か語りかけているような。長い時間、じっとしている人が何人もいて」
「日本でそれをやると、ちょっと目立つ」と女性が言った。
「目立つ。でも向こうでは普通で」
「神様と話している」
「話している。しかも返事がある、と信じている。だから長い時間待つ」
「返事を待つのね」
「返事を待つ。日本では、お願いして、あとは神様にお任せする、という感じで。委ねる」
「委ねる方が、なんか楽かも」と女性が言った。
「そうかもしれない」
「対話は、答えが返ってこなかったとき困る」
「困る。でも向こうは、返ってくるという確信があるから成立している」
「日本人は確信がない人が多いのかしら」と女性が言った。
「どうだろう」と男性が言った。「信じてはいるんだけど、確信というより、何かがある、という感じで。見えないけど、ある」
「見えないけど、ある」
「神社の御神体と似たような感覚で、見なくても、ある。それでいい、という」
「なんか日本人らしい気がする」と女性が言った。
「かもしれない」
しばらくして、「おかわり、いいですか」と男性が私に言った。
「どうぞ。少し割引になります」
二人ともおかわりを頼んだ。コーヒーを持っていくと、女性が「じゃあ神様と人間の違いって何なの」と男性に言っていた。
「難しいことを聞く」
「だって人間が神様になれるなら、違いが何かわからなくなって」
「境界が曖昧なのが日本の面白いところで」と男性が言った。「死んだら神様になる、という感覚がどこかにある。祖先を祀る、ということもある」
「亡くなったおじいちゃんも、神様になってる?」
「なってるかもしれない。少なくとも、それに近い扱いをする。お盆に帰ってきてもらったりする」
「向こうは天国か地獄か、どちらかね」
「どちらか。それも神様が決める。日本は、死んでから行き先がわりとあいまいで」
「あいまいな方が、会えそうで安心かも」と女性が言った。
男性がしばらく考えた。「きっちり決まってるより、ふわっとしてる方が、その人がまだいる気がする」
「ふわっとしてる」
「でも、ふわっとしてるから、どこにいるのかわからなくて、寂しいこともある」
女性が少し黙った。「そうね」と言った。
二人はしばらく、黙ってコーヒーを飲んだ。
帰り際に、女性が「次、神社行くとき今までと違う気がしそう」と言った。
「違うと思うよ」と男性が言った。
「何の神様にお願いしよう」
「神様の役割分担を調べてから行けばいい」
「調べるのね」
「調べる。分業制だから」
二人は笑って出ていった。
日本の神様は気まぐれで、人間に近くて、怒ることもある。コーヒーの出来も、その日によって違う。同じ豆でも、気温と湿度と気分で変わる。気まぐれといえば気まぐれだ。もしコーヒーに神様がいるなら、たぶんそういう神様だと思う。わからないけれど。




