土曜日の親子
# 土曜日の親子
三時頃だった。
土曜日は、人の来る時間がバラバラだ。開店直後に来る人もいれば、昼過ぎまで誰も来ないこともある。今日は昼前に老夫婦が一組、その後しばらく誰も来なかった。
窓から入る光が、テーブルの上に長い四角を作っていた。花びらが、窓の外をときどき通り過ぎた。
三時を過ぎた頃に、ドアベルが鳴った。
小学生くらいの女の子が入ってきた。ランドセルを背負っていた。その後ろに、母親と思しき三十代の女性が続いた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」と母親が言った。女の子は私を見て、少し顔をこわばらせた。
「窓際、いいですか」と母親が言った。
「どうぞ」
二人が窓際の席に座った。女の子がランドセルを降ろして、膝の上に置いた。
「何にする」と母親が言った。
「ホットミルク」と女の子が言った。
「コーヒーは」
「飲めない」と女の子が言った。
「私はブレンドをいただきます」と母親が言った。「ホットミルクと、ブレンドを一つずつ」
「はい」
注文を用意した。女の子にホットミルクを出すと、両手でカップを持った。一口飲んで、少し肩が下がった。
母親がコーヒーを飲んだ。
「おいしい」と母親が言った。
「本当ですか」と私が言った。
「本当です。ここって、前から気になってたんですけど、子供が小さかったから入れなくて」
「今日初めてですか」
「初めてです」と母親が言った。女の子を見た。「入れたでしょ」
女の子がホットミルクを飲んだ。
「子供でも大丈夫ですよ」と私が言った。
「そうですよね。でも、なんとなく、子供を連れて入っていい場所かどうか、わからなくて」と母親が言った。「古い喫茶店って、大人だけの場所、みたいな気がして」
「そんなことはないです」
「よかった」と母親が言った。窓の外を見た。「外の花、綺麗ですね」
「散り始めましたけど」
「今年はお花見、どこにも行けなくて」
「そうですか」
「土日が雨ばっかりで。気づいたらこうなってた」と母親が言った。女の子を見た。「今年のお花見は来年ね、って言ったら、変だって言われた」
「来年は来年のがあるから、変だよ」と女の子が言った。
「そうだよ」と母親が言った。「そうなんだけど」
「じゃあなんで言ったの」と女の子が言った。
「慰めようとして」
「慰めになってない」と女の子が言った。ホットミルクを飲んだ。
私は笑いをこらえた。カウンターの奥で、少しだけ。
「来年は行こうね」と母親が言った。
「うん」と女の子が言った。今度はあっさりと。
二人がしばらく窓の外を見た。花びらが一枚、風に乗って通り過ぎた。
「ねえ」と女の子が言った。
「なに」
「散ってる花びらって、どこに行くの」
「風に飛ばされて、地面に落ちる」と母親が言った。
「それから」
「それから、消えちゃう」
「消えちゃうの」と女の子が言った。少し考えた。「もったいない」
「そうだね」と母親が言った。
「また生えてくるの」
「来年、また咲くよ」と母親が言った。
「同じ花が」と女の子が言った。
「同じ木から咲く。だから似てる」
「似てるけど、同じじゃないんでしょ」と女の子が言った。
母親が少し黙った。
「そうだね」と母親が言った。「同じじゃないかもしれない」
「どっちでもいいけど」と女の子が言った。ホットミルクを飲んだ。
私はカウンターでコーヒーを一杯、自分のために淹れた。
「マスターさん」と女の子が言った。
私を呼んでいるとは思っていなかった。顔を上げた。
「はい」
「ここのコーヒー、臭い」と女の子が言った。
「臭い」と母親が言った。慌てたように。「そんな言い方しないの」
「匂いが強いってこと」と女の子が言った。「悪い意味じゃない」
「大丈夫ですよ」と私が言った。「コーヒーは確かに匂いが強いので」
「嫌いじゃない」と女の子が言った。「でも飲めない」
「苦いですからね」
「大人は苦いのが好きなの」
「好きな人も、いますね」と私が言った。
「なんで」と女の子が言った。
「なんででしょうね」と私が言った。「飲んでるうちに、好きになる人が多い気がします」
「嫌いなのに飲んでたら好きになるの」
「そうなる人も、いて」
「不思議」と女の子が言った。ホットミルクを飲んだ。「私は好きなものしか飲まない」
「それが一番いいと思います」と私が言った。
女の子が少し笑った。
母親がコーヒーを飲み終えた。
「もう一杯いただけますか」と母親が言った。
「はい」
おかわりを出した。
「おかわりできるの」と女の子が言った。
「コーヒーは五十円引きで」と私が言った。
「ホットミルクは」と女の子が言った。
「ホットミルクは、おかわりの値引きはないですね」と私が言った。少し考えた。「お水かオレンジジュースもありますよ」
「オレンジジュース」と女の子が言った。
「ちょっと待ってね」と母親が言った。「もうそんなに飲まなくていいよ」
「一口だけ」と女の子が言った。
「一口でオレンジジュースは頼まない」
「じゃあ全部飲む」
「全部飲めないでしょ」
「飲める」と女の子が言った。確信を持って言った。
母親が私を見た。少し困ったような顔をした。
「ハーフサイズもできますよ」と私が言った。
「じゃあハーフで」と女の子が言った。
母親が小さく笑った。
オレンジジュースを半分だけ、グラスに注いで出した。女の子が一口飲んだ。
「おいしい」と女の子が言った。
「よかった」
それから女の子は全部飲んだ。飲み終えて、グラスを置いて、また窓の外を見た。
「来年はお花見したいね」と母親が言った。
「ここに」と女の子が言った。
「お花見じゃなくて、窓から見るの」
「窓から見るの、いいかも」と女の子が言った。
二人が会計に来た。
「ごちそうさまでした」と母親が言った。
「ごちそうさまでした」と女の子が言った。きちんと言った。
「ありがとうございました」
ドアベルが鳴った。
一人になった。
窓の外の光が、少し傾いていた。
お花見は来年ね。
来年も花が咲くことを疑っていない言葉だった。
この店に来年も来る、と言ってくれる人がたまにいる。
それはたぶん、来るつもりのある人の言葉だ。
来年も、窓のそばに席を作っておこうと思った。




