木曜日の打ち合わせ
行間を詰めてみました。もともとゆったりしたテンポを作るために開けていましたが、こっちの方が読みやすいならそれでもいいかも。
あと、こんなに早く開店していたかは気にしないでください。重要なことではないのです。
# 木曜日の打ち合わせ
七時半を過ぎた頃だった。
木曜日の朝は、静かに始まる。
窓から入る光がまだ角度が低く、カウンターの木目を横から照らしていた。昨日より少し気温が上がったのか、窓の外に春らしい霞がかかっていた。
準備をしながら、一人でいた。
豆を挽いた。音が店の中に広がった。
八時少し前に、ドアベルが鳴った。
「おはようございます」
スーツを着た女性が入ってきた。三十代くらいだった。肩にショルダーバッグを掛けて、片手に折り畳み傘を持っていた。
「おはようございます」
「ブレンドをいただけますか」
「はい」
カウンターに座った。窓の外を少し見た。それからバッグからノートを出して、開いた。
コーヒーを淹れた。
出した。
「ありがとうございます」
女性はノートに何かを書き始めた。私はグラスを並べた。
しばらくして、またドアベルが鳴った。
「あ」と入ってきた男が言った。
「あ」と女性が言った。
顔見知りだったらしい。男もスーツを着ていた。四十代くらい、がっしりした体格だった。
「こんなところで」と男が言った。
「たまに来てるんです」と女性が言った。「伊藤さんは」
「初めて。前から気になってて」と男が言った。カウンターに座った。女性の二席隣に。「何を頼みましたか」
「コーヒーだけです」
「俺も」と男がメニューを見ながら言った。「ブレンドください」
「はい」
「鈴木さん、今日も早いですね」と男が言った。
「伊藤さんも」と女性が言った。
「俺は報告書を朝イチで出さないといけなくて」
「私は十時に打ち合わせがあって」
二人がコーヒーを飲んだ。
「打ち合わせ、何時間かかります」と男が言った。
「たぶん二時間」と女性が言った。「場合によっては三時間」
「誰が来るんですか」
「橋本部長と、あと本社の人たちが三人」
「本社か」と男が言った。「あそこ、長引くんですよね。話が細かい方向に行くから」
「そうなんです」と女性が言った。「だから今、論点を整理しようとしていて」
「それ、朝ここでやってるんですか」
「事務所だと電話が来るので」
「なるほど」と男が言った。少し間があった。「俺も報告書、ここで書こうかな」
「いいじゃないですか」
「集中できそう」
男がスマートフォンを取り出した。何かを打ち始めた。
私はカウンターの端で、豆の袋を整えた。
しばらく二人とも黙った。それぞれ何かに向かっていた。
「伊藤さん」と女性が言った。
「はい」
「先月の例の件、あれ、どうなりました」
「ああ」と男が言った。スマートフォンから目を上げた。「結局、延期になりました」
「延期」
「先方の都合で。六月になるかもって」
「六月」と女性が言った。「それはまた先ですね」
「鈴木さんも関わってましたよね、あれ」
「少しだけ」と女性が言った。「資料を作っただけですけど」
「あの資料、わかりやすかったですよ。橋本さんも言ってました」
「そうですか」と女性が言った。少し表情が変わった。「それは良かった」
「三枚にまとめてあって、よかった。ああいうのって、どうやって作るんですか」
「どうやって、と言われると」と女性が言った。「まず言いたいことを全部出して、それから削るだけですけど」
「削る、か」
「最初からきれいにしようとすると、大事なことが抜けるので。一旦全部書いてから、要らないものを取る」
「要らないものって、どうやって判断するんですか」と男が言った。
「読む人が何を知りたいか、を考えると見えてきます。橋本さんが見る資料なら、橋本さんが聞いてくること。あとは、数字のないものは大体削れます」
「数字のないもの」
「感覚で書いてあるものは、根拠がないので。削ると、残ったものが強くなります」
「なるほど」と男が言った。「俺の報告書、感覚が多いかもしれない」
「伊藤さんの報告書、読んだことありますよ」と女性が言った。
「本当ですか」
「去年の四月のやつ。ちゃんと数字が入ってたと思いますけど」
「そうだったかな」と男が言った。自信なさそうに。
「入ってましたよ、確か。最初のページに三つ並んでて、わかりやすかった」
「それは良かった」
二人がコーヒーを飲んだ。
窓の外を、自転車が通り過ぎた。
「橋本さんって、打ち合わせ中に資料を見ますかね」と女性が言った。独り言のように。
「見ますよ」と男が言った。「手元に置いておかないと落ち着かない人だから」
「ならあの資料、印刷して持って行った方がいいかな」
「持って行った方がいい。あの人、画面より紙の方が好きで」
「そうですよね」と女性が言った。ノートに何かを書いた。「プリントアウト、しておきます」
「俺、プリンター苦手で」と男が言った。
「苦手」
「詰まるんですよ、いつも。俺がやるときだけ」
「なんで」と女性が笑った。
「わからない。こっち都合がよくないときに限って詰まる」
「プリンターに嫌われてるんじゃないですか」
「かもしれない」と男が言った。真顔で。
女性がまた笑った。
私はコーヒーのポットを拭いた。
「それにしても」と男が言った。「ここ、いい店ですね」
「でしょう」と女性が言った。
「何年くらい来てるんですか」
「三年くらいかな。打ち合わせの前に来るようになって」
「前から気になってたけど、入りそびれてた」
「一人で入りにくい感じがします、なんとなく」と女性が言った。「でも入ったら普通でした」
「普通の方がいい」と男が言った。「落ち着く」
二人がコーヒーを飲み終えた。
女性がノートを閉じた。立ち上がった。
「そろそろ行きます」
「打ち合わせ、がんばってください」と男が言った。
「伊藤さんも報告書」と女性が言った。
「プリンターが詰まらないことを祈っといてください」
「祈ります」と女性が笑った。
会計に来た。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございます」
ドアベルが鳴った。
男がスマートフォンを見た。それからコーヒーを一口飲んだ。
「旨い」と男が言った。独り言のように。
私は何も言わなかった。
男が報告書を打ち続けた。三十分ほど経って、立ち上がった。
「ごちそうさまでした。また来ます」
「ありがとうございます」
ドアベルが鳴った。
一人になった。
窓から入る光が少し角度を上げていた。九時を過ぎた頃だった。
削ると、残ったものが強くなる。
女性がそう言っていた。
この店も、川崎さんがいなくなって、また前の方々がいなくなって、変わるたびに何かが削れてきた気がする。残っているのは、カウンターと年季の入ったテーブルと、川崎さんの棚と、雨宮ブレンドだけだ。
削れて残ったものだから、強い。
そういうことなのかもしれない、とは思った。




