水曜日の嵐
今日からタイトルをもう少し識別出来るやつにします。過去作もそのうち変えるかも。
# 水曜日の嵐
九時を少し過ぎた頃だった。
朝から風が強かった。
窓に雨が横から叩きつけていた。春の嵐というのは、冬の嵐より始末が悪い。冬の雨は真っ直ぐ落ちる。春の雨は風に乗って、どこから来るかわからない。
客は来ないだろう、と思っていた。
こういう日は開けるかどうか迷う。でも開けると決めたら、開ける。川崎さんもそうしていた。
豆を挽いた。音が、風の音に少し混じった。
ドアベルが鳴った。
三十代くらいの女性が飛び込んできた。傘を持っていたが、骨が一本折れていた。髪が濡れていた。コートの肩も濡れていた。
「すみません」と女性が言った。息が少し上がっていた。「入っていいですか」
「どうぞ」
「ありがとうございます」
傘を傘立てに入れた。折れた骨が引っかかって、少し手間取った。
「ホットコーヒーを」
「はい」
カウンターに座った。コートを脱ごうとして、濡れているのに気づいて、少し困った顔をした。
「こちらへ」と私は言った。カウンターの内側からハンガーを出した。
「ありがとうございます」
コートをかけて、カウンターに座り直した。セーターの肩も少し濡れていた。
コーヒーを淹れた。
「酷い風ですね」と女性が言った。
「そうですね」
「駅から走ってきたんですけど」
「駅から」
「走ってもあれだけ濡れるんですね。傘も途中で」
「折れてましたね」
「折れました」女性が苦笑した。「百均の傘だったので」
コーヒーを出した。女性が両手で包んだ。
「温かい」
「どうぞ」
一口飲んだ。少し目を細めた。
しばらく、風の音だけがあった。窓が時々、びりびりと鳴った。
ドアベルがまた鳴った。
今度は四十代くらいの男性だった。ビジネスバッグを胸に抱えていた。スーツが全体的に湿っていた。
「いらっしゃいませ」
男性は入ってきて、すぐに窓の外を見た。
「酷いな」と男性が言った。独り言のように。
「ブレンドを」
カウンターに座った。女性の二席隣だった。
バッグを開けて、中を確認した。書類らしきものを取り出して、濡れていないか確かめた。
「大丈夫でしたか」と女性が言った。
男性が顔を上げた。
「書類」と女性が言った。「濡れてないかと思って」
「ああ」と男性が言った。「ぎりぎりでした。カバーがついてたので」
「よかった」
「よかったです」男性が少し笑った。「大事な契約書が入ってたので」
コーヒーを出した。男性が受け取った。
「ありがとうございます」
一口飲んだ。
「傘、折れました?」と女性が言った。
「折れました」と男性が言った。
「私もです」
「どこで」
「駅を出てすぐ」と女性が言った。「角を曲がった瞬間に」
「角が一番危ないんですよね」と男性が言った。「風の通り道になってて」
「わかってたんですけど」
「わかってても、折れるときは折れる」
「そうなんですよね」
二人がコーヒーを飲んだ。
窓の外で、何かが飛んだ。紙か葉っぱか、すぐに見えなくなった。
「外出しないといけない日に限って」と男性が言った。
「そうなんですか」
「午前中に二件、商談があって」
「大変ですね」
「こっちは行くんですけど、向こうが来られるかどうかで」男性がスマートフォンを見た。「一件、今朝から連絡が来ていて」
「延期ですか」
「たぶん。もう一件は今のところ何も言ってこないので」
「じゃあ、行くんですか。この中を」
「行きます」と男性が言った。少し間があった。「傘なしで」
「傘、そこの百均で買えますよ」と女性が言った。「この商店街の先に」
「開いてますかね、今日」
「さすがに開いてると思いますけど」
「行くしかないか」男性が苦笑した。
私はカウンターを拭いた。
「嵐の商談って、どちらの印象が悪いんですかね」と女性が言った。
男性が少し考えた。
「来た方が、多少は印象がいいかもしれない」
「こんな日でも来た、というので」
「来なかった方は、なんとなく言い訳っぽく聞こえることがある」
「嵐のせいにできるから」
「そう」と男性が言った。「でも本当に嵐だから、言い訳じゃないんですけど」
「言い訳じゃないけど、言い訳に聞こえる」
「聞こえることがある。理不尽ですけど」
女性が少し笑った。
「私も今日、午前中に面接があって」と女性が言った。
「面接」
「転職の。こんな日に」
「こんな日に面接」
「向こうから日程を指定されたので」
「断れなかった」
「断れなかったですね」女性が言った。「嵐ですみません、とも言いにくくて」
「先方も嵐の中来るんだから、という感じになりますよね」
「なりますよね」
「来た方が印象がいい、は、面接も同じかもしれない」と男性が言った。
「こんな日でも来た、というのが」
「見てる人は見てると思いますよ」
「そうならいいですけど」と女性が言った。「濡れてぐちゃぐちゃで来て、第一印象が最悪という可能性もあって」
「それは」と男性が言った。少し考えた。「洗面所で整えれば」
「整えます」女性が苦笑した。「整えますけど、限界がある」
「受付に早めに声をかけて、少し待ってもらうといい」
「そんなことできますか」
「天気の話をすれば、たいてい通じます。今日は大変でしたね、と言われるので」
「言ってもらえますかね」
「この天気なら言ってもらえると思います」と男性が言った。「むしろ言われなかったら、その会社はどうかと思う」
女性が少し笑った。
「それはそうかもしれない」
二人がコーヒーを飲んだ。
窓の雨がまた強くなった。風がごうっと鳴った。
「嵐の日の面接って」と女性が言った。ふと思い出したように。「何か縁起がいいとか悪いとか、ありますかね」
「ううむ」と私は唸った。
「嵐を乗り越えた、みたいな」と男性が言った。
「乗り越えてから言うやつですよね、それ」
「そうですね」男性が笑った。「受かってから言えば、嵐の日に行ったのが良かった、という話になる」
「落ちたら、こんな日に行ったからだ、になる」
「どちらになるかは、結果次第で」
「結果次第で、同じ日が縁起いい日にも悪い日にもなる」
「なりますね」と男性が言った。「そういうものかもしれない」
女性がコーヒーを飲み終えた。カップを置いて、窓の外を見た。
「少し、弱まりましたかね」
私も窓を見た。雨の勢いが、少しだけ変わっていた。
「どうでしょう」
「行きます」と女性が立ち上がった。「早めに着いた方がいいので」
「頑張ってください」と男性が言った。
「ありがとうございます」女性が言った。「お仕事も」
「お互いに」
女性が会計に来た。コートを受け取った。まだ少し湿っていたが、黙って着た。折れた傘を傘立てから出した。
「百均、この先の商店であってますよね」と女性が私に言った。
「突き当たりを右です」
「ありがとうございます」
女性が出ていった。ドアが風に押されて、少し重そうだった。
男性がコーヒーを飲んだ。
スマートフォンを見た。
「やっぱり一件、延期になりました」と男性が言った。独り言のように。
「そうですか」
「もう一件は、予定通り、と」
「行かれますか」
「行きます」男性が言った。「傘を買って」
「百均は」
「聞こえてました」男性が笑った。「突き当たりを右ですね」
「はい」
男性が立ち上がって、会計に来た。バッグの中の書類をもう一度確かめた。
「今日みたいな日は」と男性が言った。財布を出しながら。「来た、というだけで、半分終わった気がするんですよね」
「そうですか」
「来ることが一番難しい日というのが、たまにある」
男性が出ていった。
一人になった。
風がまだ鳴っていた。
コーヒーを一口飲んだ。
来ることが一番難しい日。
この店も、嵐の日に開けることがある。来る人はほとんどいない。それでも開ける。来た人が、少し温まって出ていく。それだけのことだ。でも今日、二人は来た。どちらも、行かなければならない場所があって、その途中で寄っていった。嵐の日に来てくれた人のことは、少し長く覚えていられる気がした。




