日曜日の午後
# 日曜日の午後
日曜日の午後二時。店内には五人の客がいた。
カウンターには常連の吉村さん。窓際には笹木さんが文庫本を読んでいる。奥のテーブルに、四十代くらいの男性と、二十代くらいの男性が向かい合って座っていた。
テーブルの上に、紙が広げてある。何枚も。びっしりと文字が書いてある。
私はカウンターの奥で、静かに豆を挽いていた。
四十代の男性が言った。
「まず、共通テストと個別試験、説明できる?」
「共通テストが、センター試験の後継で」
「うん」
「国公立はその両方が必要、ですよね」
「そうです。で、共通テストで足切りがあって、通過したら個別試験に進む」
「足切り」
「点数が低いと、個別試験を受けさせてもらえない」
二十代の男性が、メモを取った。
吉村さんが、小声で私に言った。
「研修ですかね」
「さあ」
「教えてる方、先生っぽくないですか」
「そうかもしれません」
「何の研修でしょう」
「入試の話をしていますよ」
「聞こえてます」
私は何も言わなかった。
四十代の男性が続けた。
「私立は共通テストだけで受けられるところもある」
「共通テスト利用ですね」
「そう。個別試験なしで合否が出る」
「生徒には受けやすいですよね」
「でも倍率が高い」
「高い」
「みんな同じことを考えるから」
二十代の男性が「なるほど」と言った。
「で、総合型選抜というのがある」
「総合型選抜」
「昔でいうAO入試」
「AOは知ってます」
「名前が変わった」
「なんで変わったんですか」
「さあ」と四十代が言った。「変わったものは変わったので」
二十代が「はあ」と言った。
吉村さんが私に言った。
「AOって、面接とか書類のやつですよね」
「そうみたいですね」
「俺の頃はもっとシンプルだった」
「何年前ですか」
「言いません」
笹木さんが本から目を上げた。
「私の頃は共通一次でした」
「共通一次」と吉村さんが言った。
「センターの前のやつです」
「さらに変わってるじゃないですか」
「変わり続けてるんです、ずっと」
笹木さんがまた本に目を落とした。
奥のテーブルで、四十代が紙を一枚取り出した。
「これが、主な入試方式をまとめたものです。生徒に説明できますか」
「やってみます」二十代が紙を受け取った。「一般選抜、学校推薦型選抜、総合型選抜、共通テスト利用、帰国子女、社会人、留学生……七種類、ある」
「そのうち生徒に関係するのは」
「一般、推薦、総合型、共通テスト利用の四つ、ですか」
「そうです。で、学校推薦型は二種類ある」
「指定校と、公募ですね」
「違いは」
二十代が少し考えた。
「指定校は、大学が高校を指定する。その高校の生徒しか受けられない」
「うん」
「公募は、条件を満たせば誰でも出願できる」
「条件は」
「評定平均とか、部活の実績とか」
「だいたいそうです。生徒に聞かれたら、まず評定平均を確認しなさい」
「評定平均が低いと」
「受けられない場合がある。条件は大学によって違うので、必ず調べること」
二十代がメモを取った。
吉村さんが「大変ですね、今の受験生は」と言った。私に向かって。
「そうですね」
「教える方も大変ですね」
「そうかもしれません」
「俺の頃は受けるか受けないかだけ考えれば良かった」
「それはそれで大変でしょう」
「まあ」
私はコーヒーを二人のテーブルに運んだ。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」と四十代が言った。二十代は紙から目を離さなかった。
「総合型は」と二十代が言った。コーヒーを受け取りながら。
「書類と面接と、場合によっては小論文」
「小論文の指導は、どうやってするんですか」
「まず自分で書いてみることです」
「俺が、ですか」
「生徒に教えるには、まず自分が書けないと」
二十代が「そうか」と言った。少し遠い目をして。
吉村さんが私に言った。
「新人の先生ですかね」
「そうかもしれません」
「大変そう」
「そうですね」
「教わる方も大変だけど、教える方も大変だ」
「どちらも、ですね」
奥のテーブルで、四十代がコーヒーを飲んだ。
「生徒に説明するとき、一番注意することは何だと思いますか」
二十代が考えた。
「正確に伝えること、ですか」
「それはそうですが」
「他に何がありますか」
「相手が何を知らないか、考えること」
「知らないことを考える」
「私たちはもう全部知ってる。だから、何が難しいか忘れてる」
二十代がメモを取った。
「さっきの説明、良かったです。でも一つ」
「はい」
「指定校推薦のメリットを言ってなかった」
「言い忘れました」
「忘れたんじゃなくて」
「知ってて省いたか、ということですか」
「どちらですか」
二十代が少し黙った。
「忘れてました」
「正直でよろしい」と四十代が言った。
笹木さんが、本を膝に置いた。
「入試って、変わりましたね」と吉村さんに言った。
「変わりましたよ。俺たちの頃と全然違う」
「私の頃はもっと違う」
「共通一次の頃ですよね」
「マークシートが始まって、大騒ぎでした」
「マークシートが始まったんですか、その頃」
「今もぬるんですよね」と笹木さんが私に聞いた。
「共通テストはそうみたいですね」
「変わってないこともある」
奥のテーブルで、二十代が紙を見ながら言った。
「生徒に、どの方式がいいか聞かれたら、どう答えるんですか」
「何と答えますか」
「俺なら、人による、と言います」
「正解です」
「でも、それで納得する生徒はいないですよね」
「いません」
「じゃあ、どう説明するんですか」
四十代がコーヒーを一口飲んだ。
「成績と、志望校と、得意不得意を聞く。その上で一緒に考える」
「一緒に考える」
「答えを出してあげるんじゃなくて、考える手伝いをする」
二十代が「難しいですね」と言った。
「難しいです」と四十代が言った。
「先生でも難しいんですか」
「いつまでも難しい」
二十代がまたメモを取った。
吉村さんが私に言った。
「あの先生、正直ですね」
「そうですね」
「もう少し自信満々でもいいのに」
「でも」と私は言った。
「でも?」
「嘘はついていない」
吉村さんが少し考えた。
「まあ、そうですね」
奥のテーブルで、四十代が紙をまとめ始めた。
「今日はここまでにしましょう」
「まだ終わってないですよ」
「一度に全部は無理です」
「そうですか」
「来週、続きをやります」
「ここでですか」
四十代が少し考えた。
「ここでもいいですね。コーヒーがおいしい」
二十代が紙を丁寧にまとめた。七種類の入試方式が書いてある紙を、折って鞄にしまった。
「来週までに、小論文、一本書いてきてください」
「テーマは」
「AIが作る未来について」
「AIについて」
「書けそうですか」
二十代が少し考えた。
「わかりません」
「わからないのが正直ですね」と四十代が言った。
二人が会計に来た。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました。またどうぞ」
「来週も来ます」と四十代が言った。
「また七種類の話ですか」と二十代が言った。
「違います。出願のスケジュールです」
「また覚えることがある」
「そういう仕事です」
二人が出ていった。
吉村さんが会計に来た。
「マスター、今日のあれ、どう思いましたか」
「何がですか」
「新人の先生。大変そうでしたよね」
「そうですね」
「教えながら、自分も勉強してる感じ」
「ええ」
「最初はみんなそうですかね」
「そうかもしれません」
吉村さんが帰った。笹木さんも本を閉じて立ち上がった。
「マスター、あの若い方、いい先生になりそうですね」
「そうですね」
「正直だから」
笹木さんが出ていった。
一人になった。
七種類の入試方式。来週はスケジュールの話。再来週は何だろう。二人は当分、日曜の午後に来るのかもしれない。
教える側も、最初は何も知らなかった。それを忘れた頃に、人に教えられるようになる。そういうものかもしれない、と私は思った。
コーヒーを一口飲んだ。
日曜日の午後。来週も、二人が来る。




