土曜日の昼
# 土曜日の昼
土曜日の昼一時。店内には六人の客がいた。
平日と客層が違う。スーツの人間がいない。みんな少し、ゆっくりしている。
窓際のテーブルに、小学生くらいの女の子と、その父親らしき男性。女の子はメニューを両手で持って、真剣な顔で読んでいる。父親はスマートフォンを見ていたが、娘に見つかって、そっとポケットにしまった。
奥のテーブルに、二十代の女性が三人。大きな紙袋をいくつも持ち込んでいる。買い物の途中らしい。
カウンターには、七十代くらいの男性が一人。常連ではない。
私はカウンターの奥で、静かにカップを磨いていた。
女の子が父親に言った。
「ねえ、ホットケーキとケーキ、両方頼んでいい」
「どっちかにしなさい」
「どっちかって」
「どっちかだけ」
「ケーキ」
「ケーキね」
「でもホットケーキも気になる」
「さっきケーキって言ったじゃない」
「気になるのと頼むのは違う」
父親が、少し黙った。
私はカップを磨きながら聞いていた。
「じゃあホットケーキにしなさい」
「でもケーキも」
「どっちかって言ってるでしょう」
「パパが食べればいいじゃない」
「私はコーヒーだけでいい」
「じゃあ両方頼んで、パパが半分食べればいい」
父親がため息をついた。
私は注文を取りに行った。
「お決まりですか」
女の子が顔を上げた。
「ホットケーキとケーキ、両方ください」
「かしこまりました」
父親が「ちょっと」と言った。
「パパが半分食べてくれるって言ったから」と女の子が言った。
「言ってません」
「言いました」
父親が私を見た。私は何も言わなかった。
「ホットケーキとケーキで、よろしいですか」
父親がため息をついた。
「はい……あとホットコーヒーひとつ」
奥のテーブルでは、女性三人が紙袋を漁っていた。
「これ、どっちがいいと思う」
袋から出てきたのは、同じような形のニットが二枚。色が違う。
「こっちじゃない」
「でもこっちの方が着回しきくよね」
「きくけど、こっちの方が可愛い」
「可愛いのと着回しは、別だよね」
「別だけど」
「どっちが気に入ってるの?」
「どっちかなぁ。悩んで、両方買った」
「それは悩んでない」と一人が言った。
三人で笑った。
カウンターの老人は、コーヒーをゆっくり飲んでいた。会話をするわけでも、何かを読むわけでも、スマートフォンを見るわけでもない。ただ、コーヒーを飲んでいた。
時々、窓の外を見る。
吉村さんが入ってきたのは、それからしばらくしてのことだ。
「暇なんですよ、今日」
吉村さんがカウンターに座った。老人の隣だ。老人がちらりと吉村さんを見た。吉村さんも老人を見た。
「こんにちは」と吉村さんが言った。
「ああ」と老人が言った。
それだけだった。
吉村さんがコーヒーを頼んだ。私が淹れている間、吉村さんは店内を見回した。
「今日は賑やかですね」
「そうですね」
「子ども連れもいる」
「珍しいでしょう」
女の子の方を見ると、ホットケーキに取り掛かっていた。真剣な顔でバターをのせている。ナイフで押さえて、じっと見ている。バターが溶けるのを待っているらしい。
父親は、またスマートフォンを出していた。また娘に見つかった。
「パパ」
「はい」
「スマホを見てないで」
「はい」
「ちゃんとホットケーキを見て」
「見てます、バターが溶けてるの」
「ちゃんと」
父親がスマートフォンをしまった。
吉村さんが小声で「大変ですね」と言った。
「そうですね」
「でも、楽しそう」
「そうですか」
吉村さんがコーヒーを受け取った。
「マスターは、子どもの頃、喫茶店来たことありますか」
「さあ」
「覚えてない?」
「あまり」
「俺はありますよ。親父に連れられて」
「そうですか」
「で、メニュー見てぜんぶ頼みたくて」
「頼めましたか」
「一個だけ。クリームソーダ」
「よかったじゃないですか」
「よかったけど、もっと頼みたかった」
吉村さんがちらりと女の子を見た。ホットケーキを切り分けながら、父親の皿に半分のせている。父親が「いらない」と言った。女の子が「食べて」と言った。
「食べてもらえますかね」と吉村さんが言った。
「どうですかね」
老人が、ふと言った。
「にぎやかですな」
吉村さんが老人の方を向いた。
「そうですね」
「平日は静かですか」
「もう少し静かです」と私は言った。
「そうか」老人がコーヒーを飲んだ。「静かな方が好きだが、たまにはこれもいい」
「たまにはいいですよね」と吉村さんが言った。
「孫がいるんですよ」と老人が言った。
「そうですか」
「あのくらいの」
女の子の方を見た。
「遠いんですよ」
「遠い」
「新幹線で二時間」
「それくらいなら」
「足が悪くて」
吉村さんが黙った。
「でも」と老人が続けた。「声は聞いてますから。電話で」
「声だけでも」
「声だけでも、わかるもんですよ。大きくなったって」
老人がまた、窓の外を見た。
奥のテーブルでは、ニット論争がまだ続いていた。
「でも結局どっちも着るんでしょう」
「着ます」
「じゃあよかったじゃない」
「よかったけど、財布が」
「それは自業自得」
「自業自得だけど」
三人がまた笑った。
女の子がケーキに移った。フォークを持って、どこから食べるか考えている。父親がまたスマートフォンを出した。注意されてまたしまった。
吉村さんが「あのお父さん、スマホ、何回しまったんですかね」と言った。
「さあ」
「数えてたんですか」
「数えてません」
吉村さんが笑った。
女の子たちが帰る準備を始めた。女の子はケーキを食べ終えて、満足そうな顔をしていた。ホットケーキは半分、父親の皿に残っていた。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
扉を出がけに、女の子が振り返った。
「また来る」
父親が「また来ます」と言った。
女性三人も、少しして立ち上がった。紙袋をそれぞれ持ち直して、会計に来た。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
「ねえ」と一人が言った。「やっぱり別の色の方がよかったかな」
「もう遅いです」と別の一人が言った。
「返品できるかな」
「しません」
三人が笑いながら出ていった。
老人も、ゆっくり立ち上がった。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました。またお越しください」
「ええ」と老人が言った。「次は孫を連れてこられればいいが」
私は何も言わなかった。
老人が少し笑って、出ていった。
吉村さんが、空になったカウンターを見た。
「さっきまで賑やかだったのに」
「土曜ですから」
「急に静かになりますね」
「ええ」
「マスター、さっきの話、気になりましたか。おじいさんの」
「少し」
「俺も少し気になった」
吉村さんがコーヒーの残りを飲んだ。
「でも、電話で声が聞けてるならいいですよね」
「そうですね」
「声だけでも、って言ってましたよね」
「言ってましたね」
吉村さんが会計に来た。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
「また来ます。今日は賑やかでしたね」
「平日は静かですよ」
「静かな方が落ち着く」
吉村さんが帰った。
一人になった。
いろんな土曜日がある。ニットを二枚買う土曜日。娘とホットケーキを食べる土曜日。遠くにいる孫の声を思い出しながらコーヒーを飲む土曜日。
どれも、誰かの一日だ。
私はコーヒーを一口飲んだ。
土曜日の昼。外は明るかった。




