金曜日の午後
# 金曜日の午後
金曜日の午後三時。店内には五人の客がいた。
カウンターには常連の吉村さん。窓際には笹木さんが、今日は本を閉じたまま外を眺めている。奥のテーブルには、三十代くらいの男性が二人。カウンターの端には、六十代くらいの女性が一人。
私はカウンターの奥で、静かに豆を袋詰めしていた。
金曜日の午後というのは、少し空気が違う。週の終わりだからか、客の話し声に余裕がある。肩が下がっている。
奥のテーブルの二人は、仕事の話をしていた。
「いやー、今週長かったな」
「長かったですね」
「週末が遠い」
「遠い。もう一ヶ月くらい経つ気がする」
「一ヶ月」
「月曜に始まったプロジェクト、もう三年くらいやってる感じ」
「三年」
「三年分疲れてる」
男性の一人が、コーヒーを飲んだ。
「でもまあ」と、もう一人が言った。「終わったんで」
「終わりましたね」
「今日で」
「今日で」
二人はしばらく黙った。
吉村さんが、カウンターで私に小声で言った。
「終わったんですって」
「聞こえてます」
「良かったですね」
「そうですね」
「で、あのおばあちゃんは」
「おばあちゃんじゃないですよ」
「六十代でしょう」
「声が大きい」
吉村さんが口をつぐんだ。
カウンター端の女性は、ホットミルクを頼んでいた。コーヒーではなく。持参の手帳を広げて、何かを書いている。ときどき止まって、窓の外を見る。また書く。
笹木さんが、その女性をちらりと見た。
「日記かしら」と笹木さんが言った。小声で。
「さあ」と私は言った。
「手帳に、あんなに書く人、久しぶりに見た」
「そうですか」
「最近みんな、スマホでしょう」
吉村さんが「俺もスマホです」と言った。
「あなたに聞いてない」と笹木さんが言った。
「でも」
「でも、じゃないです」
吉村さんが黙った。
奥のテーブルの二人が、また話し始めた。
「来週、どうします」
「来週は来週で考えます」
「そうですね」
「今日は考えない」
「正解」
「今日は飲んで帰る」
「どこ行きます」
「どこでもいい」
「どこでもいいって、それが一番困る」
「じゃあ、駅前の」
「あそこ、混むんですよね、金曜」
「混みますね」
「どこも混みますよ、金曜」
「金曜ですからね」
「金曜ですね」
二人が笑った。
吉村さんが私に言った。
「楽しそうですね」
「そうですね」
「いいな、同期って感じ」
「同期かどうかは」
「でもあの感じ、同期ですよ。絶対」
「そうかもしれません」
吉村さんがコーヒーを飲んだ。
「私は一人で来てるけど」
「ええ」
「一人で来る方が、落ち着くんですよね、ここは」
「ありがとうございます」
「褒めてます」
「わかってます」
手帳の女性が、ふと顔を上げた。私と目が合った。
「おかわり、いいですか」
「ホットミルクですね」
「はい」
「少々お待ちください」
ミルクを温めながら、女性の手帳が少し目に入った。細かい字で、びっしりと書いてある。日記か、それとも別の何かか。わからないし、知る必要もない。
「はい、お待たせしました」
「ありがとうございます」
女性はカップを受け取って、また手帳に向かった。
笹木さんが「すごいですね」と言った。
「何が」
「あの集中力。ここにいるのに、ここにいない感じ」
「そうですね」
「私も本を読んでるときはそうかしら」
「似てますね」
笹木さんが少し嬉しそうにした。
奥のテーブルの二人が、立ち上がった。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました。お二人で」
「あ、別々で」
「かしこまりました」
二人がそれぞれ財布を出した。
「来週も、よろしくお願いします」と一人が言った。もう一人に。
「こちらこそ」
「また月曜から」
「また月曜から」
二人は笑いながら出ていった。
手帳の女性も、しばらくして手帳を閉じた。ゆっくりと、名残惜しいように。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
「静かでいいお店ですね」
「ありがとうございます」
女性が帰った。
笹木さんが本を開いた。
吉村さんが言った。
「マスター、あの人、何書いてたんですかね」
「さあ」
「気になりません?」
「なりません」
「嘘でしょう」
「少しは」
吉村さんが笑った。
「正直だ」
「少しだけですよ」
「十分です」
笹木さんが本から目を上げた。
「金曜日の午後に、一人で手帳に向かう人って、どういう人だと思います」
「さあ」と私は言った。
「一週間を振り返ってるのかな」と吉村さんが言った。
「かもしれない」
「それとも、来週の計画か」
「それとも」と笹木さんが言った。「誰かへの手紙」
三人でしばらく黙った。
「手紙か」と吉村さんが言った。
「かもしれない」
「でも、あんなにびっしり書く手紙って」
「長い手紙」
「長い手紙ね」
吉村さんが、ふと思ったように言った。
「マスター、手紙、最後に書いたのいつですか」
「さあ」
「覚えてない?」
「覚えていません」
「俺も覚えてない」
笹木さんが「私は去年書きました」と言った。
「え、誰に」
「母に」
「手紙で」
「手紙で」
吉村さんが「すごい」と言った。
「何がですか」
「今どき手紙って」
「だから手紙なんです」
笹木さんがまた本に目を落とした。
吉村さんが会計に来た。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
「マスター、今週お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
「来週も」
「ええ」
吉村さんが帰った。笹木さんも、少しして本を閉じた。
「静かな金曜でしたね」
「そうですね」
「いい金曜でした」
笹木さんも帰った。
一人になった。
今週もいろんな人が来た。月曜から金曜まで。疲れた顔の人、急いでいる人、ゆっくりしていく人。
今日の三人は、それぞれ何かを終えた顔をしていた。仕事か、一週間か、誰かへの言葉か。
私はコーヒーを一口飲んだ。
金曜日の午後。また一週間が終わる。




