月曜日の午後
# 月曜日の午後
月曜日の午後二時。店内には三組の客がいた。
窓際には老夫婦が二人で新聞を読んでいる。カウンターには常連の木村さんが一人。そして奥のテーブルには、小学生くらいの男の子と、そのおじいさんらしき男性が座っている。
私はカウンターの奥で、静かに豆を袋詰めしていた。
「ねえ、おじいちゃん」男の子の声が聞こえてきた。
「なんだい」
「このケーキ、美味しいね」
「そうかい。良かったな」
「うん」
私は手を動かしながら、何気なく聞いている。
「ねえ、おじいちゃん」
「なんだい」
「今日、学校休んじゃったけど、いいの?」
「いいんだよ。たまには、こういう日があってもいい」
「でも、先生に怒られるかな」
「大丈夫。おじいちゃんが、ちゃんと連絡したから」
「そっか」
男の子は、ホッとした顔でケーキを食べている。
おじいさんは、優しい目で孫を見ていた。
「ねえ、おじいちゃん」
「なんだい」
「おじいちゃんも、子供の頃、学校休んだことある?」
「あるよ」
「本当?」
「本当さ。おじいちゃんもね、たまに、学校が嫌になることがあったんだ」
「おじいちゃんも?」
「そうだよ。みんな、そういう時があるもんさ」
男の子は、少し驚いた顔をした。
「じゃあ、おじいちゃんも、こうやって、どこかに行ったの?」
「行ったよ。おじいちゃんのおじいちゃんに連れられてね」
「おじいちゃんのおじいちゃん?」
「そう。お前から見たら、ひいひいおじいちゃんだな」
「へえ」
男の子は、目を輝かせた。
木村さんが、こちらを見て微笑んだ。私も小さく微笑み返す。
「ねえ、おじいちゃん」
「なんだい」
「ひいひいおじいちゃんは、どこに連れてってくれたの?」
「川だよ」
「川?」
「そう。近くの川で、一緒に魚を見たんだ」
「魚?」
「ああ。小さな魚が、たくさん泳いでてね」
「へえ」
「それを見てたら、なんだか、元気が出たんだ」
「どうして?」
「さあ。魚が、一生懸命泳いでる姿を見て、おじいちゃんも頑張ろうって思ったのかもしれないな」
男の子は、じっと聞いていた。
「ねえ、おじいちゃん」
「なんだい」
「僕も、川に行きたい」
「今日は寒いから、また今度な」
「うん」
私はコーヒーを淋れながら、静かに聞いていた。
窓際の老夫婦も、新聞から目を上げて、二人の方を見ている。
「ねえ、おじいちゃん」
「なんだい」
「おじいちゃんは、学校、楽しかった?」
「楽しい時もあったし、楽しくない時もあったよ」
「僕も」
「そうか」
「でも、今日は楽しい」
「そうか。それは良かった」
おじいさんは、男の子の頭を優しく撫でた。
「ねえ、おじいちゃん」
「なんだい」
「このお店、いい匂いするね」
「コーヒーの匂いだよ」
「コーヒーって、苦いんでしょ?」
「そうだよ。でも、いい匂いだろう?」
「うん」
「大人になったら、きっと美味しく感じるよ」
「そうかな」
「そうだよ」
男の子は、店内を見回した。
「ねえ、おじいちゃん」
「なんだい」
「あのおじさん」男の子が木村さんを指差した。
「しっ、指差しちゃダメだ」
「あ、ごめんなさい」
木村さんが、笑いながら手を振った。
男の子は、照れたように手を振り返した。
「ねえ、おじいちゃん」
「なんだい」
「大人になったら、僕も、こういうお店に来るのかな」
「来るかもしれないね」
「おじいちゃんみたいに?」
「そうだよ」
「じゃあ、僕も、孫を連れてくるのかな」
「そうかもしれないね」
「その時も、このお店、あるかな」
私は、思わず手を止めた。
「あるといいね」おじいさんが優しく答えた。
「うん」
男の子は、また嬉しそうにケーキを食べ始めた。
私は、窓の外を見た。
空は晴れている。
月曜日の、穏やかな午後。
木村さんが、会計を頼みに来た。
「ごちそうさん。今日は、いい日だったよ」
「そうですか」
「ああ。あの子を見てたら、なんだか、懐かしくなってね」
「お孫さんを思い出しましたか?」
「そうだな。うちの孫も、あのくらいの時があったなって」
「そうですか」
「今はもう、大学生だけどね」
木村さんは、少し寂しそうに笑った。
「また来るよ」
「お待ちしています」
木村さんが帰った後、窓際の老夫婦も会計に来た。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
「あの子、可愛かったわね」妻の方が言った。
「ああ」夫が頷いた。
「うちの孫も、あんな時があったわね」
「あったな」
二人は、嬉しそうに帰っていった。
店内には、おじいさんと男の子だけが残った。
「ねえ、おじいちゃん」
「なんだい」
「もう帰る?」
「そうだな。そろそろ帰ろうか」
「もうちょっといたい」
「そうか。じゃあ、もう少しだけな」
「うん」
男の子は、窓の外を見ている。
「ねえ、おじいちゃん」
「なんだい」
「空、きれいだね」
「そうだな」
「雲が、動いてる」
「よく見てるな」
「うん」
二人は、しばらく黙って空を見ていた。
私も、カウンターから空を見た。
確かに、雲が動いている。
ゆっくりと、でも確実に。
「ねえ、おじいちゃん」
「なんだい」
「明日、学校行けるかな」
「行けるよ」
「本当?」
「本当さ。今日、こうやって休んだから、明日は行けるよ」
「そうかな」
「そうだよ。人間ってね、たまに休まないと、頑張れないんだ」
「そうなの?」
「そうなんだよ」
男の子は、少し安心した顔をした。
「じゃあ、明日、頑張る」
「うん、頑張れ」
おじいさんは、また男の子の頭を撫でた。
やがて、二人も会計に来た。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
「あの」おじいさんが言った。
「はい」
「いいお店ですね。静かで」
「ありがとうございます」
「また来てもいいですか?」
「もちろんです。いつでもどうぞ」
「ありがとうございます」
男の子が、私に向かって言った。
「ケーキ、美味しかったです」
「それは良かった。また食べに来てね」
「うん」
二人は、手を繋いで帰っていった。
店内は、また静かになった。
私は、テーブルを拭きに行った。
男の子が座っていた椅子に、小さな温もりが残っている気がした。
月曜日の午後。
おじいさんと孫が、この店を通り過ぎていった。
学校を休んで、二人で過ごした時間。
きっと、男の子は覚えているだろう。
大人になっても。
そして、いつか、自分の孫を連れて、この店に来るかもしれない。
その時、この店はまだあるだろうか。
私は、もういないかもしれない。
でも、この店は、残っているかもしれない。
誰か別の人が、コーヒーを淋れているかもしれない。
そんなことを考えながら、私はコーヒーを一口飲んだ。
窓の外では、雲が流れている。
ゆっくりと、でも確実に。
時間も、同じように流れていく。
月曜日の午後。
穏やかで、優しい時間。
そんな時間が、この店にはある。
私は静かに、椅子を片付けた。
また明日も、誰かがこの扉を開けてくれる。
そう信じて。




