土曜日の午後
# 土曜日の午後
土曜日の午後二時。私は健太と二人で、開店準備をしていた。午前中は仕入れのために外出していたのだ。最近健太は、自分が暇なとき、事前連絡なく来る。
「マスター、今日は何か特別なことありますか?」
「いや、特にないよ」
「じゃあ、普通の土曜日ですね」
「ああ」
看板を出して、店を開けると、すぐに二人組の客が入ってきた。
二十代後半くらいの男性二人。どことなく疲れた顔をしている。
「いらっしゃいませ」
「あの、長居してもいいですか?」
「どうぞ。ごゆっくり」
「ありがとうございます」
二人は奥のテーブルに座った。ノートとペンを取り出している。
「コーヒー、二つください」
「かしこまりました」
私はコーヒーを淹れ始めた。健太が横で見ている。
「何か、真剣な顔してますね」健太が小声で言った。
「そうだな」
コーヒーを運ぶと、二人はすでにノートに何か書き込んでいた。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
カウンターに戻ると、二人の会話が聞こえてきた。
「だから、この掴みじゃ弱いんだよ」
「じゃあ、どうすんだよ」
「もっとインパクトが欲しい」
「インパクトって、例えば?」
「うーん」
私は健太に小声で言った。
「芸人さんかもしれないな」
「え、芸人ですか?」
「ネタを考えてるみたいだ」
「すごい」健太が目を輝かせた。
「ねえ、最初の一言で笑い取らないとダメなんだよ」
「分かってるよ。でも、思いつかないんだよ」
「じゃあ、俺が考えたやつ、聞いてくれる?」
「いいよ」
「『こんにちは、僕たち、貧乏コンビです』」
「それ、ただの自己紹介じゃん」
「でも、インパクトあるだろ」
「ないよ」
「マジで?」
「マジで」
健太が、笑いを堪えている。
「じゃあ、お前が考えろよ」
「うーん」
二人は、しばらく黙り込んだ。
「ねえ、そもそも、このネタのテーマって何だっけ?」
「コンビニ」
「コンビニか」
「コンビニあるあるで攻めようと思って」
「あるある系は、もう飽きられてない?」
「じゃあ、どうすんだよ」
「もっと、変化球で」
「変化球?」
「そう。予想外の展開」
「例えば?」
「えーっと」
また沈黙。
私はカウンターで、グラスを磨きながら聞いている。
「ねえ、先週のライブ、どうだった?」一人が話題を変えた。
「全然ダメ」
「俺もそう思った」
「一個も笑い取れなかった」
「最後の方、咳払いしか聞こえなかったもんな」
「辛かったな」
二人は、肩を落とした。
「でもさ」
「うん」
「諦めたくないんだよな」
「俺も」
「まだ、やれる気がする」
「うん」
健太が、じっと二人を見ている。
「ねえ、気分転換に、別のネタ考えない?」
「別のネタ?」
「そう。コンビニじゃなくて」
「何がいい?」
「喫茶店とか」
「喫茶店?」
「そう。今、俺たち、喫茶店にいるじゃん」
「確かに」
「で、この店、いい雰囲気じゃん」
「うん」
「これ、ネタにできないかな」
「喫茶店あるある?」
「いや、もっと違う切り口で」
「例えば?」
「えーっと」
二人は、店内を見回した。
「マスター、渋いよな」
「うん」
「喫茶店のマスターって、みんな渋いよな」
「あるある」
「で、何聞いても、『さあ』って言う」
「言う言う」
私は苦笑した。確かに、さあ、とよく言うかもしれない。
「それ、ネタになるかな?」
「なるかも」
「喫茶店のマスターのモノマネとか」
「いいね」
二人は、急に明るくなった。
「じゃあ、やってみよう」
「どっちがマスターやる?」
「お前やれよ」
「なんで俺?」
「お前の方が、渋い顔してるから」
「してないよ」
「してるって」
健太が、また笑いを堪えている。
「じゃあ、俺が客な」
「オッケー」
「えーっと、『すみません、コーヒーください』」
「『さあ』」
「いや、さあじゃなくて」
「あ、そっか。『はい、かしこまりました』」
「で、出てくるの遅いの」
「遅いの?」
「そう。めちゃくちゃ遅い」
「なんで?」
「豆から挽いてるから」
「なるほど」
「で、やっと出てきたコーヒーが、めちゃくちゃ美味い」
「美味いんだ」
「美味いの。で、感動して、『マスター、これ、どこの豆ですか?』って聞くと」
「『さあ』」
「そこは言うんだ」
二人は笑った。
私も、思わず笑ってしまった。
健太が、私を見て笑っている。
「でもさ、これだけじゃ弱いよな」
「うん」
「もっと、オチが欲しい」
「オチか」
「何かないかな」
二人は、また考え込んだ。
その時、ドアベルが鳴った。
入ってきたのは、常連の笹木さんだ。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
笹木さんは、いつもの席に座った。
「いつものブレンドでいいですか?」
「ええ、お願い」
私はコーヒーを淹れ始めた。
奥のテーブルでは、また話が続いている。
「ねえ、オチ、思いついた」
「何?」
「最後に、マスターが『実は、インスタントです』って言うの」
「インスタント?」
「そう。あんなに時間かけて淹れたのに、インスタント」
「それ、ウケるかな?」
「分かんない」
「試してみる?」
「どこで?」
「今から、マスターに聞いてみよう」
「え?」
二人は、こちらを見た。
「あの、すみません!」
「はい」私は振り向いた。
「あの、僕たち、お笑い芸人なんですけど」
「そうなんですか」
「今、ネタ考えてて」
「頑張ってください」
「あの、一つ聞いていいですか?」
「どうぞ」
「コーヒー、インスタントですか?」
私は少し考えた。
「いえ、豆から淹れてます」
「ですよね」
二人は、顔を見合わせた。
「やっぱり、あのオチ、ダメだな」
「だよな」
笹木さんが、小声で私に言った。
「マスター、芸人さん?」
「そうみたいです」
「頑張ってるわね」
「ええ」
奥のテーブルでは、また話が続いている。
「ねえ、やっぱり、コンビニのネタに戻らない?」
「そうだな」
「喫茶店は、難しすぎた」
「うん」
二人は、またノートを開いた。
「コンビニで、一番困ることって何?」
「レジ袋、いるか聞かれること」
「あー、あるある」
「で、いらないって言ったのに、後で必要になる」
「あるある」
「それ、ネタになるかな?」
「なるかも」
二人は、また書き始めた。
健太が、私に小声で言った。
「マスター、大変そうですね、芸人さんって」
「そうだな」
「でも、楽しそうです」
「ああ」
時間が過ぎていく。
二人は、ずっとノートと睨めっこしている。
たまに笑ったり、首を振ったり。
やがて、夕方になった。
「マスター、お会計お願いします」
「はい」
二人が会計に来た。
「長居してすみませんでした」
「いえいえ」
「ネタ、できましたか?」健太が尋ねた。
「まあ、一応」
「でも、まだ完成じゃないです」
「次のライブまでに、磨きます」
「頑張ってください」私は言った。
「ありがとうございます」
「あの、マスター」一人が言った。
「はい」
「また来てもいいですか? ここ、落ち着くんで」
「もちろん。いつでもどうぞ」
「ありがとうございます」
二人は、嬉しそうに帰っていった。
健太が言った。
「芸人さん、かっこいいですね」
「そうか?」
「はい。夢を追ってる感じが」
「そうだな」
「マスターも、夢を追ってたんですか?」
「どうだろうな」私は少し考えた。「夢というより、なんとなく、ここに辿り着いた感じだ」
「でも、いい店ですよ」
「ありがとう」
窓の外を見ると、夕日が沈みかけていた。
土曜日の午後。
ネタを考える芸人が、この店を通り過ぎていった。
売れない芸人。
でも、諦めない芸人。
いつか、テレビで見られるだろうか。
そんなことを思いながら、私は静かに店を閉める準備を始めた。
健太が、テーブルを拭いている。
「マスター」
「ん?」
「僕も、夢持ってもいいですかね」
「何の夢?」
「この店を、いつか継ぐっていう」
私は少し驚いた。
「まだ早いだろ」
「でも、そう思ったんです」
「そうか」
「ダメですか?」
「ダメじゃないよ」私は笑った。「でも、まだ先の話だ」
「はい」
健太は嬉しそうに、また拭き掃除を続けた。
夢を持つこと。
それは、いいことだ。
芸人も、健太も、みんな夢を持っている。
私も、昔は夢があったのだろうか。
今は、この店が夢だ。
この店を、続けていくこと。
それが、私の夢だ。
土曜日の夕方。
また一週間が終わる。
そして、また新しい一週間が始まる。
『コーヒーハウス 雨宮』
小さな喫茶店に、色んな人が来る。
そして、色んな物語が生まれる。
それが、この店の日常だ。
私は静かに、コーヒーを一口飲んだ。




