金曜日の夕方
ちょっと不自然なやり取りがあったので修正しました。
# 金曜日の夕方
金曜日の夕方五時。店内には二組の客がいた。
カウンターには常連の吉村さんが一人、そして奥のテーブルには二十代くらいの男性が三人。大学時代の友人同士だろうか。
私はカウンターの奥で、静かに伝票を整理していた。
「だから、俺の肉じゃがの方が、絶対うまいって」奥のテーブルから声が聞こえてきた。
「いや、お前の甘すぎるんだよ」
「甘い方がうまいんだよ」
「俺は薄味派だから」
私は手を動かしながら、何気なく聞いている。
「肉じゃがなんて、誰が作っても同じだろ」三人目が言った。
「同じじゃない!」二人が声を揃えた。
「そんなに違うのか?」
「全然違う。お前、料理したことないだろ」
「ないけど」
「だから分かんないんだよ」
吉村さんが、こちらを見て笑った。
「じゃあさ」一人が言った。「今度、三人で肉じゃが持ち寄ろうぜ」
「肉じゃが大会?」
「そう。で、一番うまいやつを決める」
「いいね、それ」
「やろうやろう」
三人は盛り上がっている。
「でも、審査員どうする?」
「そうだな」
三人は、きょろきょろと店内を見回した。
「マスター!」
「はい」私は少し驚いて顔を上げた。
「あの、突然なんですけど」
「はい」
「来週の金曜日、また来ていいですか?」
「もちろん、どうぞ」
「で、その時、肉じゃが持ってきていいですか?」
「肉じゃが?」
「はい。三人で作ってきて、マスターに審査してもらいたいんです」
私は少し考えた。
「審査ですか」
「お願いします!」三人が頭を下げた。
「分かりました。でも、私、そんなに舌は肥えてませんよ」
「大丈夫です。マスター、コーヒーのプロじゃないですか」
「コーヒーと料理は、別ですけど」
「でも、味が分かる人の意見が聞きたいんです」
「そうですか。じゃあ、楽しみにしています」
「ありがとうございます!」
三人は嬉しそうに拍手した。
「でもさ」一人が言った。「肉じゃがだけじゃつまらなくない?」
「確かに」
「他の料理も評価し合おうぜ」
「いいね」
三人は、また盛り上がり始めた。
「じゃあ、俺の得意料理、言っていい?」
「何?」
「チャーハン」
「チャーハン? 簡単じゃん」
「簡単だけど、奥が深いんだよ」
「どう深いんだよ」
「まず、火力。強火じゃないとダメ」
「それは知ってる」
「で、ご飯は冷やご飯がいい」
「へえ、なんで?」
「水分が飛んでるから、パラパラになりやすい」
私は少し驚いた。昨日の料理教室の話と同じだ。
「それから、卵の入れるタイミング」
「タイミング?」
「俺は、最初に卵とご飯を混ぜてから炒める派」
「え、そうなの? 俺、先に卵焼いてから、ご飯入れるけど」
「それでもいいけど、混ぜてから炒めると、全体に卵がコーティングされて、もっとパラパラになるんだよ」
「へえ」
「で、味付けは、醤油を鍋肌から」
「鍋肌?」
「そう。直接ご飯にかけるんじゃなくて、鍋肌に当てて、香ばしくする」
「プロみたいなこと言うじゃん」
「だろ?」
吉村さんが、興味深そうに聞いている。
「俺の得意料理は、カレー」もう一人が言った。
「カレーも簡単だろ」
「簡単だけど、こだわりがあるんだよ」
「こだわり?」
「まず、玉ねぎを、めちゃくちゃ炒める」
「どのくらい?」
「三十分くらい」
「長っ」
「飴色になるまで炒めると、甘みが全然違うんだよ」
「大変そう」
「大変だけど、それがカレーの決め手」
「へえ」
「それから、スパイスは自分で調合する」
「自分で?」
「市販のルーも使うけど、クミンとかコリアンダーとか、自分で足すの」
「本格的だな」
「で、隠し味に、チョコレート入れる」
「チョコレート?」
「ああ。コクが出るんだよ」
「知らなかった」
私はコーヒーを淹れながら、静かに聞いている。
「じゃあ、俺の得意料理」三人目が言った。
「お前、料理しないって言ってなかったか?」
「しないけど、一つだけできる」
「何?」
「卵焼き」
「卵焼き?」
「そう。めちゃくちゃうまい卵焼き作れる」
「卵焼きって、誰でも作れるだろ」
「作れるけど、うまく作るのは難しいんだよ」
「どう難しいんだよ」
「まず、卵液の作り方」
「卵液?」
「卵に、だしと砂糖と醤油を混ぜるんだけど、その配合が大事」
「ふーん」
「で、フライパンの温度管理」
「温度?」
「熱すぎると焦げるし、冷たいとうまく巻けない」
「なるほど」
「で、巻くタイミング。これが一番難しい」
「タイミング?」
「半熟のうちに巻かないと、ふわふわにならない」
「へえ」
「俺、何回も失敗して、やっとうまく作れるようになったんだよ」
「卵焼きで苦労したのか」
「うるさい」
三人は笑った。
私は三人にコーヒーのおかわりを持って行った。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
「すみません、うるさかったですか?」一人が申し訳なさそうに言った。
「いえ、全然」私は笑った。
「皆さん、料理がお好きなんですね」
「まあ、僕は一人暮らしなんで」
「そうなんですね」
「自炊しないと、金かかるんですよ」
「なるほど」
私はカウンターに戻った。
三人の会話は続く。
「そういえば、パスタはどう?」
「パスタ?」
「俺、ペペロンチーノ得意なんだよ」
「ペペロンチーノって、簡単じゃん」
「簡単だからこそ、難しいんだよ」
「どういうこと?」
「シンプルだから、誤魔化しが効かない」
「なるほど」
「ニンニクの切り方、オリーブオイルの量、唐辛子の種類、全部重要」
「こだわってるな」
「それから、乳化」
「乳化?」
「パスタの茹で汁と、オリーブオイルを混ぜて、クリーム状にするの」
「へえ」
「これができると、めちゃくちゃうまくなる」
「今度作ってよ」
「いいよ。お前ら、うちに来い」
「マジで?」
「マジで」
吉村さんが、会計を頼みに来た。
「面白い子たちだね」
「そうですね」
「若いっていいな。料理で盛り上がれて」
「吉村さんは、料理されるんですか?」
「しないんだよ。だから羨ましい」
「そうなんですか」
「一人暮らし長いけど、ずっと外食でね」
「それも楽でいいじゃないですか」
「まあね。でも、あの子たちみたいに、料理語れたら楽しいだろうな」
吉村さんは笑いながら帰っていった。
奥のテーブルでは、まだ話が続いている。
「ハンバーグはどう?」
「ハンバーグ、いいね」
「俺、ハンバーグ得意」
「どう作るの?」
「まず、玉ねぎは、みじん切りにして炒める」
「生じゃなくて?」
「炒めた方が、甘みが出る」
「なるほど」
「で、肉は、牛と豚の合い挽き」
「割合は?」
「7対3」
「牛が多いんだ」
「うん。牛が多い方が、肉肉しい」
「なるほど」
「で、練る時は、粘りが出るまで」
「粘り?」
「手で練ると、肉のタンパク質が絡み合って、粘りが出るんだよ」
「へえ」
「で、焼く前に、空気を抜く」
「空気?」
「ハンバーグの真ん中を少しへこませて、空気を抜くの。そうすると、焼いた時に割れない」
「知らなかった」
「俺も最近知った」
三人は、本当に楽しそうだ。
「マスター」一人が声をかけてきた。
「はい」
「来週、本当に来ていいですか?」
「もちろんです」
「肉じゃが三つ、持ってきます」
「楽しみにしています」
「ありがとうございます」
三人は嬉しそうに会計を済ませた。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
「来週、また来ます」
「お待ちしています」
三人が帰った後、私は一人になった。
チャーハンのパラパラ。
カレーの飴色玉ねぎ。
卵焼きのタイミング。
ペペロンチーノの乳化。
ハンバーグの空気抜き。
みんな、こだわりがある。
料理は、個性だ。
作る人の数だけ、味がある。
私はコーヒーを一口飲んだ。
コーヒーも、同じだ。
淹れる人の数だけ、味がある。
来週、三つの肉じゃが。
どんな味になるだろう。
楽しみだ。
金曜日の夕方。
料理談義が、この店を通り過ぎていった。
そして、来週の約束ができた。
私は静かに店を閉める準備を始めた。
今夜は、チャーハンを作ってみようか。
卵とご飯を混ぜてから炒める。
そして、醤油を鍋肌から。
そんなことを考えながら、私は笑った。




