日曜日の午後
# 日曜日の午後
日曜日の午後二時。健太が来る前の、静かな時間だ。
店内には三組の客がいた。
カウンターには常連の笹木さんが一人で本を読んでいる。窓際には初めて見る若い女性が一人。そして奥のテーブルには、六十代くらいの男性が二人。どちらもよく日に焼けていて、いかにも仲良しそうだ。
私はカウンターの奥で、静かにグラスを磨いていた。
「いやあ、昨日のあの番組、見た?」奥のテーブルから声が聞こえてきた。
「見た見た。戦国時代のやつ」
「面白かったよなあ」
「ああ。あれ、本当の話なのかな」
「テレビで言ってたんだから、本当だろ」
私は手を動かしながら、何気なく聞いている。
「信長って、実はポルトガル語が喋れたらしいぞ」
「へえ、そうなのか」
「ああ。宣教師と直接交渉できたから、鉄砲の導入が早かったんだって」
私は少し首を傾げた。どうなんだろう。通訳を使っていたと思うが。でも、黙っていよう。
「さすが信長だな」
「だろ? それで、鉄砲を三千丁も使ったのが長篠の戦いで」
「有名だよな」
「あれ、実は信長が発明したんだって、三段撃ち」
「そうなのか」
「ああ。それまで鉄砲って、一発撃ったら終わりだったろ」
「そうだな」
「で、三段に並べて、交互に撃てば、連続して撃てると気づいたのが信長らしい」
笹木さんが、本から目を上げて私を見た。私は小さく首を振る。
「天才だな」
「だろ? で、その信長、実は左利きだったらしいぞ」
「え、そうなのか」
「ああ。だから、刀の構えが独特で、家臣たちが真似できなかったんだって」
私はグラスを磨く手を止めそうになった。左利きの話は、聞いたことがない。
「へえ、初めて聞いたな」
「テレビで言ってたよ。なんか、肖像画をコンピューターで分析したら、左利きの特徴があったって」
「すごい時代だな、コンピューターで分析とは」
「だろ?」
笹木さんが、こちらに来て小声で言った。
「マスター、三段撃ちって、信長の発明だったっけ?」
「諸説あるみたいですね。最近は、三段撃ち自体なかったという説もあるみたいで」
「そうなの?」
「ええ。教科書からも消えてるらしいです」
「じゃあ、テレビで言ってたのは」
「さあ」私は苦笑した。
笹木さんは本に戻った。
男性たちの会話は続く。
「秀吉もすごいよな」
「そうだな」
「あいつ、実は字が読めなかったらしいぞ」
「え、本当か?」
「ああ。だから、全部口頭で命令してたって」
「でも、手紙とか書いてるじゃないか」
「それは家臣が代わりに書いたんだって」
「へえ」
私は眉をひそめた。秀吉の手紙は現存していると思うが。でも、黙っていよう。
「それで、秀吉って、実は双子だったらしいぞ」
「双子?」
「ああ。もう一人の秀吉がいて、そっちが朝鮮出兵の指揮を執ったんだって」
「それは初めて聞いたな」
「テレビで言ってたよ。なんか、記録に矛盾があるんだとか」
「そういうことか」
私は思わず、笑いそうになった。双子の秀吉。それは初耳だ。
「家康はどうなんだ」
「家康もすごいぞ。あいつ、実は三回死んでるらしい」
「三回?」
「ああ。影武者が二回死んで、本物が一回死んだから、合計三回」
「意味分かんないな」
「だから、どれが本物の家康か、いまだに分かってないらしいぞ」
「いや、分かってるだろ」
「でも、テレビではそう言ってたぞ」
二人は真剣な顔で話している。
私はコーヒーのおかわりを持って行った。
「お待たせしました」
「ありがとう。ねえマスター」
「はい」
「戦国時代に詳しいですか?」
「いえ、詳しくはないですが」
「信長って、左利きだったって聞いたんですけど」
「さあ」私は正直に答えた。「そういう説は、聞いたことがないですね」
「そうですか。でも、テレビで言ってたんですよ」
「テレビも、諸説あるものを紹介する時がありますから」
「なるほど」
男性は少し考えた。
「じゃあ、秀吉が双子っていうのも」
「それは、ちょっと聞いたことないですね」
「そうですか」
「でも、歴史って、新しい発見がよくありますから。案外、本当かもしれません」
私は笑いながらカウンターに戻った。
笹木さんが、また小声で言った。
「マスター、やんわりと否定したわね」
「一応、可能性は残しておかないと」
「優しいわね」
「そんなことないですよ」
奥のテーブルでは、また話が続いていた。
「明智光秀ってさ」
「うん」
「実は、信長に頼まれて殺したらしいぞ」
「どういうことだ?」
「信長が、本能寺の変を自分で計画したんだって」
「なんで?」
「もう天下は取れた、だから死に場所が欲しかったんだと」
「へえ」
「で、光秀に頼んで、演出した」
「それ、テレビで言ってたのか?」
「ああ。なんか、暗号みたいな手紙が見つかったとか」
「すごいな」
私は少し考えた。それは、歴史ロマン系の番組でよく言われる説だ。信憑性は薄いが、面白い説ではある。
「でもさ」もう一人が言った。「そんな計画、光秀だけに頼むか?」
「そうだな」
「しかも、光秀、その後に天下取れなかったわけだろ」
「山崎の戦いで負けて死んだな」
「信長に頼まれて殺したのに、自分も死んじゃうのか」
「かわいそうだな」
「だろ?」
二人は笑った。
窓際の若い女性が、会計を頼んできた。
「ありがとうございました」
女性が出て行った後、奥の二人はまだ話している。
「徳川埋蔵金って、本当にあると思うか?」
「あるんじゃないか?」
「どこにあるんだろうな」
「テレビでやってたよ。群馬の山の中らしい」
「本当か?」
「ああ。何度も発掘してるけど、見つかってないらしいぞ」
「見つかったら、誰のものになるんだ?」
「国だろ」
「じゃあ、見つけても意味ないな」
「まあな」
「じゃあ、なんで掘るんだろ」
「ロマンじゃないか」
「なるほど」
私はコーヒーを淹れながら、思わず笑みがこぼれた。
徳川埋蔵金のロマン。それは分かる気がする。
「ねえ、武田信玄ってさ」一人が言った。
「うん」
「影武者が二十人いたらしいぞ」
「二十人?」
「ああ。全員、同じ訓練を受けて、同じ喋り方、同じ歩き方をしてたって」
「すごいな」
「で、本物の信玄は、常に安全な場所にいたから、長生きしたんだって」
「でも、信玄って五十三で死んでなかったか?」
「そうだけど、影武者が二十人いたから、その分長く生きたようなもんだって」
「意味分かんない計算だな」
笹木さんが、肩を震わせて笑っている。
「ねえ」一人が声を潜めた。「実はさ、本能寺の変の時、信長は死んでないらしいぞ」
「ほう」
「光秀と組んで、死んだことにして、南蛮に逃げたって」
「南蛮?」
「ポルトガルだよ。そこで天寿を全うしたって」
「それ、どこ情報だ?」
「テレビ」
「何のテレビだよ」
「深夜のやつ」
「深夜か」
二人は笑った。
「深夜のテレビは、いろいろ言うからな」
「でも、面白いじゃないか」
「まあな」
「ロマンがある」
「そうだな」
笹木さんが会計を頼みに来た。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
「マスター」笹木さんが小声で言った。「信長、ポルトガルで天寿を全うしたって」
「深夜のテレビらしいです」
「なるほど」笹木さんは笑った。「でも、なんか楽しそうよね、あの人たち」
「ええ」
「歴史って、こういう楽しみ方もあるわね」
「そうですね」
笹木さんが帰った後、二人の会話はまだ続いていた。
「そういえば、坂本龍馬ってさ」
「うん」
「実は、薩摩と長州の二重スパイだったらしいぞ」
「どっちの味方だったんだ?」
「自分の味方」
「なるほど、それは確かにそうかもな」
「だろ?」
二人は笑った。
やがて、二人も会計に来た。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
「いい店だな」
「また来てください」
「ああ、来るよ。今度は幕末の話をしてやる」
「楽しみにしてます」
二人が出て行った後、私は一人になった。
ポルトガル語を話す信長。
双子の秀吉。
三回死んだ家康。
二十人の影武者を持つ信玄。
ポルトガルで天寿を全うした信長。
全部、眉唾ものだ。
でも、なんだか楽しい。
歴史の教科書には載っていない話が、この店を通り過ぎていった。
私はコーヒーを一口飲んだ。
深夜のテレビ、今度見てみようかな。
そんなことを思いながら、私は静かに午後の時間を過ごした。




