04話 離れの小屋
執事のリチャードから案内された新しい居室は、屋敷の敷地内の最奥に近い、緑生い茂る雑木林の中にポツンと建っていた小さな小屋だった。
屋敷の正門や正面玄関からは、徒歩で10分以上も歩いたところにあるそれは、木々に囲まれた魔女の小さな家と言わんばかりに、レンガの壁には植物のツタがそこかしこに這っていて、怪しい雰囲気が漂っている。
「(…なるほど、クレイオスのイメージする魔法使いって、こういう感じなのね)」
スウはその家の風貌をさっと眺める。
しかしながら、夫人らが住む屋敷本邸の中にある部屋ではなく、たとえ古くても一つの家を提供されたことは、かえって自由に過ごしやすいかもしれない。
「自然豊かなところにある可愛らしい家ですね」
スウがそう言えば、執事と侍女はちらりとスウの方を見たあと、黙って家の扉を開けた。スウはそれに促されるように家の中に入る。
「(…随分と、年季が入っているようで…)」
入ってすぐ埃っぽい室内を感じながら、まさか全く掃除をしていなかったとは思わず、さすがにコメントしづらかった。
そうして黙って部屋の中を眺めているスウを横目に、侍女は持ってきていた身の回り品を埃被ったテーブルの上に置いた。
「それでは」
「お待ちください。確認したいことがあります」
「…なにか?」
スウの言葉に口を開いたのは執事だ。スウは穏やかに笑う。
「あそこにキッチンがありますね。私は本邸で皆様と食事を囲わなくてよいということでしょうか」
「はい。奥様より、食事を含めて、今後全ての行事への出席は不要と申し付かっております」
「食事を含め、クレイオス公爵家としてのすべての行事への出席が不要との言葉、確かに記憶いたしました。公爵夫人によろしくお伝えください」
執事と侍女は、スウの返事を聞くと、すぐに部屋を出て行ってしまった。その背中を見て、ふう、と深いため息が漏れる。
「さて、まずは大掃除からね」
日本で暮らしていたときであれば、こんな埃まみれで荒れ放題の家など嫌すぎだが、今のスウには生活魔法がある。
洗浄で家じゅうの埃と蜘蛛の巣を一つ残らず洗い取って、換気で空気の入れ替えをし、黄色くくすんだベッドシーツも洗濯と乾燥を行うことで新品のように汚れが瞬く間に落ちていくのだ。
この家は廃墟ではあるが、どこかに穴が開いているというわけではなくて、ただ手入れがされていないだけという状態だったのも幸いした。
「キッチンは…まあ、古いけれど魔法があれば問題ないでしょう」
錆と煤まみれのキッチン・暖炉エリアもあっという間にきれいに磨かれて、ユニットバスになっているトイレと風呂も丁寧に掃除をしてゆく。
昔、アステリアから嫁いできた姫が使っていたというのは本当らしく、昔話で出てきた小さな術士の一軒家とそこまで変わらなかった。
―ぐううう…
「…限界」
ある程度の部屋の清掃を終えたころ、腹の虫が限界を迎えたというように鳴った。魔力は無尽蔵にあるわけではなく、魔法を使えば当然体力も減るしお腹も空く。
「(食材はどうしようかな)」
スウはそう思って、テーブルの上に広げた鞄を横目で見た。アステリアから持ってきた鞄は一度関所で改められ、残った旅銭と日記だけが手元に戻ってきた。洋服と魔法書、歴史書を数冊持ってきていたが、それはあえなく没収されたらしい。
「(私が持っているお金は、クレイオス領までの旅のために持たされたお金の余りだけ。今日は街で食材を買えても、これからずっとここで暮らしていくには、当然足りない)」
そこまで考えて、ふとクローゼットの中に視線を向けた。そこには、先ほど侍女が持ってきた身の回りの品がかけてある。地味なワンピース数着に加えて、クレイオス家の使用人とデザインが似ているパンツスタイルの制服と薄めのローブもあった。
「(使用人用の服まで。…ということは、私が使用人に扮して食材を公爵家のツケで買うこともできるということだわ。ただ…髪の毛の色だけが目立つわね。染色魔法が使えれば…)」
スウはそう考えて、残った旅銭を手に取ってローブを羽織った。長いプラチナブロンドの髪は後ろで一つにまとめてフードを被れば、深く顔を見なければ髪の色はわからない。
「(何か摘まめるものを街で買って、関所に行ってみようかな)」
没収された魔法書や歴史書が、もしかしたら昨日の今日のためにまだ廃棄されておらず関所にあるかもしれない。生活魔法では距離に限界はあるが紛失物の探知、呼寄もできるので、関所に近づけば様子もわかる。
「(クレイオス領の街がどんなものかも見てみたいしね)」
スウはそう思って家を飛び出し、生活魔法―施錠を家に施してから、敷地の外へと繋がっている裏口を探して屋敷の外に出ることにしたのだった。
◇
少し街から離れた丘の上にあるクレイオス家の敷地から街へ歩いてくだっていって約20分が経ったころ、ようやく街のはずれが見えてきた。州都らしく道は整備されていたのでそこまで歩きにくさは無かったが、それでも空腹ながらの徒歩は辛い。
「(さて、どこかに食べ歩きができる何かが売っていればいいけれど…)」
スウはそんなことを思いながら、人通りのある方へとどんどん歩いて行った。この世界には自動車や鉄道がまだなく、道は徒歩か馬車での行き来が基本のようだが、それはクレイオス領も同じようだ。
「(クレイオス人は、みな背が高いわね。この身体も、そこまで小柄なわけではないのに)」
街を歩く人々は男女関係なく鍛えた身体を持っているようで、ほとんどの人がスウより背が高い人ばかりだった。
きょろきょろと街並みを眺めるように歩いていると、少し先にベーカリーショップの表札を見つけることができて、スウはその店に入ることにした。
―カラン、カラン…
来店を知らせる扉の音が鳴って、スウは店の中に入る。入った瞬間、パンの香ばしい匂いがスウの鼻をくすぐった。
陳列棚を見れば、この世界でもパンに具材を挟んだサンドウィッチは定番らしく、そのほか果物やジャムが塗られている甘いパンなど、種類はあまり日本と変わらないらしい。
「いらっしゃい」
「ごめんください。こちらのサンドウィッチを1ついただけますか」
「…まいど」
店主はスウが深くフードを被っていることに少しだけ怪訝な顔をしたが、巾着からお金を早めに取り出すと、何も言わずにサンドウィッチを小さい袋に詰めた。
「ありがとう。…あの、少しお尋ねしても?」
「なんだい」
「実は、昨日帝都からこちらに越してきたばかりなんです。そのとき、関所付近で大切なものを落としてしまって。…ここから関所まで、どう戻ったら近いですか?」
スウがそう言えば、店主はふうんと相槌を打った。
「帝都から来たなら、南の関所だろう。中央にある教会まで行ったら、教会を背にして…歩きで10分ほどか」
「ありがとうございます。助かりました」
店主の道案内を聞いて、スウは軽く頭を下げて店を出た。そして少しだけ歩いた後、袋からサンドウィッチを取り出してひとかじりする。
「(…やっぱり北に行くにつれて、パンが固くなる…)」
アステリア領で食べていたパンは日本のパンと変わらずふんわりとした食感だったが、帝都を出てクレイオス領のある北に向かう途中で食べてきたパンは、ライ麦を使っているからか、それともフランスパンのように固いのが正義なのか、すこし噛みちぎりにくいのだ。
「(オーブンがあるなら、パンは自分で作っても良いかも)」
スウはそんなことを考えながら、昨日スウとグレンが婚礼の儀をあげた教会がある中央へと向かった。
「あら?」
ゴーン、ゴーン、と鐘の音が聞こえて、スウはその音のした方を向いた。中央広場にあったベンチでゆっくりとサンドウィッチを食べて空腹を満たしていたスウは、そばにある教会から鳴った鐘の音で、それが12時を知らせていることに気づいたのだった。
朝食の時間に遅れ、小さな小屋に案内された後は掃除をして街に下りて一息ついたらもう12時かと、スウは思う。
「(北は、この時期だと16時過ぎでもう日が暮れてしまうし…)」
秋から冬になっている季節の北部は、日没もアステリアより早いことはわかっていた。関所まで行った後、食材を買って帰ることを考えればゆっくりはしていられない。
スウは空になった小袋を小さくまとめたあと、腰をあげて南の関所に向かうべく足を動かした。
「やっと昼の時間だ」
「早くいかないと並ぶぞ」
「今日はアリスおばさんの弁当にしようかな」
南の関所へと向かう道には、昼どきのランチを買い求めに道へ出てきた人たちで賑わっていて、州都に住む人たちの日常が垣間見える。
着ている服がしっかりとしたスーツに似ていたから、お堅い職場か商人なのだろう。
「(帝都に接続する南の関所と繋がる道だから、メインのオフィスストリートなのね)」
どの世界も昼どきにキッチンカーや近所の定食屋さん、弁当屋さんにランチを求めるのは同じなのかと思って、スウは小さく笑ってしまう。
そんな仕事に勤しむ人々を眺めながらも、不本意な婚約とはいえ、仕事も公爵家の妻としての公務もしなくてよいと直々に言われているのは、かなり恵まれていると言えるだろう。
そうして歩き続けること30分程度、ようやく州都の南のはずれへと到着した。
「(歩いて10分程度って聞いたのに…クレイオス人基準だった、というわけね)」
クレイオス領と他領の境は川で分けられており、州都はその川沿いにすぐある街だ。クレイオス領はこの州都より北に大地を持ってはいるが、さらに北に行くと厳しい寒さとなるため、領地の中で最も南にあるここが領内で一番人口も多く栄えている。
関所はその州都の南玄関でもあり、他領と橋を使って接続されている場所に隣接されていた。
「(堂々と中に入るわけにはいかない、かな)」
スウはそう思って、甲冑を着た騎士がにらみを利かせている正面口から裏に回って、土手へと降りて行った。領を隔てる川の岸と岸はそこまで離れてはいないが、水量も多くとてもではないが丸腰で渡れるほどではない。勿論、不法に川を渡ろうとするならず者への対処として、見張りも多くいるだろう。
「(怪しまれないうちに…)」
スウはそう思って、生活魔法―探知を使った。スウの目算であれば、ギリギリ対岸にある建物も探知範囲に含めることができそうだった。
「あっ、あった!」
スウが持ってきた洋服数着と魔法書、歴史書の数冊を無事に発見して、すぐに呼寄を使って手元へと引き寄せる。瞬間、両手にずっしりとした重さを感じて、スウはホッとため息をついた。
「(…洋服は…変な言いがかりをつけられても面倒だし、売りに行きましょうかね)」
スウはそう思って、生活魔法―収納で荷物を一度ポケットの中に圧縮して収納すると、怪しまれないうちに踵を返そうとした、そのときだった。
「グレン様も本当に気の毒なお人だよな」
「ああ。俺たち領民のために、屈辱的な婚姻を耐えてくださっているんだからな」
関所の前を何食わぬ顔で通り過ぎようとしたスウの耳に、グレンという人名が耳に入ってきて足が止まる。しかし急に足を止めてしまうとかえって怪しまれるかと思い、ゆっくりと足を動かした。
「やはりグレン様の隣はサラ様がお似合いだと思う。あんな…軟弱な銀髪の女など…」
「言わないだけで、皆そう思っている」
「(サラ様…?)」
スウは騎士たちの愚痴を聞きながら、その名前を心の中で復唱した。どうやらサラという女性がグレンの元々の婚約候補者だったらしい。
「でも、グレン様は何も言わないよな」
「ああ。屈辱的な婚礼の儀があっても、朝早くから騎士団の任に戻られた。立派な次期公爵様だと思う」
「(ふうん。朝早くからあの人は遠征に行っているのね。顔を合わせる機会も、あまりなさそう)」
スウが騎士たちの会話を盗み聞きしていると、コラ!と低い怒声が聞こえた。
びくりとスウの身体は小さく跳ねたが、それはスウに対してではなく、騎士たちがどうやら関係のない雑談をしていたのを上司に咎められてしまったらしい。
スウは彼らの様子を横目で見たあと、フードを深くかぶり直してから元来た道を戻るのだった。




