05話 柳のような人
関所で取り上げられてしまった魔法書を取り返し、軽食を買ったスウは日が暮れないうちに小屋へと戻った。魔法で水を出してのどを潤しながら、まだ読み進めていなかった本を読んでいく。
「あ、あった。生活魔法―色替」
スウが嫁入りに際して持ってきた魔法書は、生活魔法大百科のほか、それぞれの属性魔法の基礎が書かれたもの、比較的取得しやすい高位魔法について書かれた本の3冊だ。
そのうち、スウは生活魔法大百科のページを捲っては、髪の毛の色を染める方法がないか探していた。そしてスウの目論み通り、色替と呼ばれる魔法は確かに存在した。
「“生活魔法―色替は、高位魔法である染色魔法を簡易化したものであり、雷属性の魔法の素養を身に着けておくことが望ましい”」
魔法は、水・火などと言った属性魔法と高位魔法の2種類に区別されるが、別の区分として生活に取り入れると便利な魔法全般を生活魔法とした。
生活魔法は属性魔法や高位魔法の効果を小規模化し、生活のあらゆることに取り入れる、というコンセプトで生まれたものだ。つまり、より狭義的、限定的な属性・高位魔法操作、ということとなる。
「“揺らぎの速さの異なる雷を一定の割合で物に纏うことで、任意の色に替えることが可能となる”」
大百科には揺らぎの速さが遅い雷は赤を、揺らぎの速さが速い雷は青や紫に見せることができる、と続いていた。
「(完全に物理化学なんだよね、これ)」
色替が説明している揺らぎの速さを替えた雷というのは、つまりは周波数の異なる電気ということだ。
人間が色を認識するのは、原理的に言えばどの光が目に入ってくるか、ということであり、その光というのがまさしく様々な長さの電磁波であるから、実はこの説明は完全に科学の通りなのだ。
「(科学が苦手だと、何度説明を聞いても分からないと前のスウが嘆くのも仕方がないよね)」
スウはそう思いながら、試しに床の色を色替してみることにした。RGBのそれぞれのつまみを調節して色味を試していくようなイメージだ。
「…うん、これくらい明るい茶色の方が良いね」
印象の良い明るめのベージュの床に色が変わったのを見て、スウはそう満足げに独り言ちた。これで明日は髪の毛の色を変えて街に出ることができそうだ。
翌朝、身支度を整えたスウは髪の色を焦げ茶色に色替してから、昨日と同じように街へと下って行った。
服装はクレイオス家の使用人と同じズボンなので、小柄であることを除けばスウがアステリア人だと認識されることはほぼないだろう。
「(さて。街にあるどの店でも、公爵家にツケてくれるかな)」
クレイオス公爵屋敷には数多くの使用人と執事がおり、それぞれ家事、政務を分担しているようだ。
そうなると、買い出し係にいちいち小口を渡すより、一定期間―例えば1か月でかかった食費や日用品代を店が公爵家に請求し、それらをまとめて支払う形が手間も少ないはずだ、とスウは思っていた。
「(あっ、またあった)」
街のオフィスストリートではない、市場が並ぶ方面を何とか探し当てて店の看板を眺めていると、その看板付近にクレイオス家の紋章が描かれている店がいくつか見つかる。
こういうのは大抵公爵家ご用達というニュアンスを含むはずだと、スウは丁度隣り合って肉屋と八百屋がある店の前で立ち止まった。
「いらっしゃい。何か買っていく?」
見たことのある野菜が並んでいるなと、スウがそう思っていると、頭上からそんな軽い声が聞こえて顔をあげた。
店頭に肘をついてスウの方を眺めていたのは、スウより少しだけ年上らしい女の子だった。クレイオスの女性らしく、体つきはしっかりしている。
「少し聞きたいんだけれど」
「うん」
「看板に描かれているクレイオス公爵家の紋章。これって…」
ご用達という意味か、そうスウが続ける前に、彼女は大きな口を開いた。
「ああ。これはね、クレイオス公爵家から良質な食材を売っていると認められて、実際に何度もお買い求めなさったという証なんだ。もしかして、ここに来るのははじめて?」
そう尋ねられたので、スウは小さく頷いた。
「つい先日、帝都からやってきたばかりなの」
「へえ、帝都から。どおりでクレイオス人らしくないと思った。何をしにここに?親の仕事の都合で?」
「先日、公爵家様のご子息がアステリアの姫をお迎えしたでしょう。実は、その姫の世話係として使用人になったの」
その問いに、スウはすでに準備していた嘘で答える。そうすると、彼女は口を開けて目を丸くした後、スウのことをジロジロと眺めだした。
「…た、確かに…言われてみれば、公爵様の家の使用人の服だよね、それ」
「そうよ」
「しかも、あのアステリアの姫様の?」
彼女は、今度は嫌なものを見たと言わんばかりに顔を歪めるので、スウは小さく笑って肩をすぼめた。
「まあ、そういうことで、日用品とか食材とかを買い出し中、というわけ。クレイオス公爵家のことはまだよくわかっていないけれど、代金後日払いで公爵家に付けられるわよね?」
お金貰ってきてないのよ、とスウがそう言えば、それについては実際にそういう制度があるらしく、彼女が気軽に頷いた。
「勿論。公爵家の紋章入りの使用人服を着ることができる人なんて、一握りだからね。それじゃ、何買ってく?」
「そうね、とりあえず一通りの種類は欲しいわ」
「…持てるの?」
「帝都生まれだけれど、クレイオスの血は少し入っているから。多少力持ちなのよ、私」
「ならいいけど」
そんな会話の後、両手で持つタイプの大きなカゴの中に10種類ほどの野菜を入れてもらい、代金は公爵家に付けるかたちで無事に食材を買うことができた。
そのカゴはこっそり浮遊させて、持っているようで持っていない状態としておく。
「小麦と、肉と…それから調味料も買いたいわね」
「肉なら隣がそこそこ良いよ。小麦は一つ右のストリートにいいお店があるよ」
「わざわざありがとう」
スウはお礼をして店を後にしようかと思って、ぴたりと足を止めて振り返る。
「純粋な疑問なのだけれど、あなたはアステリアの姫にも野菜を売るのね」
「ん?…ああ。そりゃあ、グレン様が何であんなことに巻き込まれなければならなかったんだろうとは思うけど」
「けれど?」
「お腹が空くことまで嫌うのは違うでしょ」
そう言われて、スウは思わず声を上げて笑ってしまった。確かに彼女の言う通りだ。
「それは本当にそう!」
◇
クレイオス領北東部、険しい山脈の麓に位置するその都市に、ユリの騎士団一行は駐在していた。秋から冬に差し掛かるこの季節は、山に住む害獣たちが冬眠前に最後の食事を取ろうと人里付近まで下りてくる時期だ。
初夏から初秋にかけては帝都で統一議会が開かれ、貴族は領地を後にして帝都に集まり、連日の会議と社交に勤しむが、シーズンを終えれば、一部の貴族は騎士団員として警備や害獣の駆除のために領地内を駆け巡る。
そうして領地が一面雪に包まれると、騎士たちは友好関係にある南西部までくだり、合同訓練期間となるのだった。
「それで。本当のところはどうだったんだ?」
クレイオス領が持つ帝国一の騎士団―ユリの騎士団の一番隊副隊長であるグレンは、部下たちから山々の害獣の様子の報告を受け終えたばかりだった。
そんな彼のもとに、一番隊隊長のオルフ・ガドウィンが少しだけ含んだような笑顔でそう声をかけた。
「どう、というのは?」
「とぼけなくていいだろ。俺とお前の仲だ。…アステリアの姫様のことだよ」
グレンの言葉に、オルフは小さく肩を揺らして笑う。グレンとさほど変わらない体格を持ち、短く揃えられた髪型と切れ長の鋭い目を持つオルフは、グレンの父―クレイオス公爵の妹の夫であり、ガドウィン侯爵家の当主だ。
グレンにとっては小さいころから鍛錬の相手になってくれた人であり、騎士学校卒業後初めての上司となる。
「とぼけたわけでは…。どうかと問われても、私には判断ができません」
「全く会話をしなかったわけじゃないだろ?」
「そうですね。…ですが、あちらは、大して興味がなさそうでした」
「そりゃ、初めて会ってすぐ興味がわくというわけにはいかないだろ。向こうも望まない結婚なんだ」
「そうではなく、全てが、です」
そう言ってからグレンは少しだけ黙って、あの日のことをゆっくりと思い出した。
この婚姻命令が下ってすぐ、グレンはその相手が“魔法が不得手で、魔法学校にも通っていないアステリア公爵家の長女”であることを知らされた。
長女であれば本来は婿を取って家を切り盛りしていく立場だろうが、そうではないらしい―グレンの、スウに対する事前情報はそれだけだった。
「婚礼の儀の失態のときはどんな様子だった?あれはわざとか?」
「いえ。重くて持てない、と。…嘘ではないでしょう。あの身体を見れば明らかだ」
「それはそうかもしれないが、魔法があれば対応できただろ?」
「魔法を封じる腕輪をつけられていました」
「は?!誰にだよ」
グレンの言葉に、オルフはあからさまに顔を歪めてそう吐き捨てるように言う。言葉ではそう言っているが、候補がいくつか頭に浮かんでいるのだろうと、グレンはすぐに察することができた。
「彼女が言うには、関所の騎士に、と」
クレイオスにおいて、婚礼の儀で行われる誓いの儀式は特に重要だった。
遥か昔、まだクレイオスの民が一つにまとまる前、のちの初代クレイオス家当主とその妻が二人で235kgの巨大な鉄鉱石の塊を一度も休まず、地面に置かずに山を越えて運びきり、それを元手にクレイオス自治区を興した。
その伝承から、新郎が15.5kg、新婦が8kgの一対の儀礼剣をお互いに肩にかけるのを婚礼時の誓いの儀式とした。そうして今後の結婚生活において、夫婦が協力することを誓うのだ。
だからこそ、あの剣を落とすことは、クレイオスの伝承さえも踏みにじられたような感覚を覚えるクレイオス人もいる。
「…。やり方が陰湿だ。少なくとも、あの儀式でする必要はなかった」
オルフは関所の騎士の背後にいる存在をなんとなく感じながら、ため息交じりに呟く。
「そうですね」
全てを諦めたかのような彼女の目がその時初めて小さく動揺に揺れて、そして自分の方に向けられたのを思い出して、グレンはそう小さく呟いた。
「なら、あのパーティでああ言ったパフォーマンスをしたのは、婚礼の儀の汚名返上という意図もあったんだろうな」
「そうでしょう。…そして、私が腕輪を壊していなければ、それすら叶わなかったでしょう」
グレンの言葉を聞いて、オルフはそばにあったソファに深く腰掛けた。
「…意図は分かる。というより、隠そうともしてないと言った方が良いか」
「はい」
「貴族らしいやり方だ」
グレンの短い返事を聞いて、オルフは苦々しい表情を浮かべた。だが、そのあとすぐに肩を揺らして笑いだした。
「だが、相手も公爵令嬢だった。あれは痛快だった。陛下の使いは今ごろ首元が涼しくなっているだろうな」
それで、とオルフはグレンの方を向き直り、にやりと口角をあげる。
「そのあとは、シーツに溺れて、深い話もできないほどだったか?」
オルフのその言葉に、グレンはあからさまに顔を歪める。しかしその反応はさらにオルフの機嫌を良くするだけだった。
「…―てません」
「ん?」
「だから。していません」
そう、グレンははっきりと告げた。それにはさすがのオルフも想定外だったらしく、目を大きく開けて、顰め面のグレンの方を黙って見るだけだった。
「…アステリア領、帝都を経てクレイオス領までの長旅。そしてパーティの魔法披露で魔力を多く使ってしまったため、ひどく身体が重いと、彼女付の侍女から言われました」
「へえ。それで引き下がるとは、随分と高潔な騎士様だ。…まあ、お前たちの場合は無理にする必要もないしな」
「ええ。翌朝も起きられないほどのようでした」
そのため、この任務に出るときも一度も顔をあわせなかった、とグレンはそう淡々と告げた。これほどにクレイオスとアステリアの体力には差があるのかと驚きはしたが、彼女はアステリアの術士の中でも身体が弱い方なのだろう、とグレンは納得していた。
「あの魔法パフォーマンス、そこまで魔力を使うものだったのか?」
「さあ。…ですが、彼女の場合、その疲労だけではなかったでしょう」
「まあな。……しかし。思ったよりお前から見たあの子の印象は悪くないようだな」
グレンがアステリアの姫様をどう感じたのか、それをあらかた聞き終えたオルフは少しだけ楽しそうにそう呟いた。
グレンからすれば、悪くもなく良くもなく、どちらかといえばよく分からないというのが本音ではあったが、その反応を含めて“悪くない”なのだろう、とグレンは思う。
「私がそうでも、向こうはそうではない。まるで柳に刃を立てているようです」
「…それが癪だ、と?」
グレンはオルフの言葉に開きかけた口を少しだけ止めてから、いや、と緩く首を振る。
「よく、柳でいられるものだ、と」
「はっはっは!面白いな。帰ったら紹介してくれ」
「…次に我々が州都に戻るのは春ですよ。それまであなたの興味が続くとは思えません」
グレンはそう言って、深くため息をつくのであった。




