03話 氷の剣
スウは高砂席に飾られていた白と紫のユリの花を一つずつ手折ってから、花を持っていない方の手で人差し指を一本立て、その指先に吹き付けるよう息をフッと吹いた。
「(生活魔法―消灯)」
瞬間、会場に灯されていた照明とろうそくの火が一瞬で消えて、会場が薄暗くなる。窓の外はもう日が暮れかけており、それと室内が同じような暗さとなった。
「(生活魔法―点灯)」
急に照明が消されてざわつく会場の頭上に、点々と小さな明かりをちかちかと灯す。室内にいながら外で星空を観察しているかのような光景に、皆の視線は上に注目しているようだった。
「(その間に、生活魔法―製氷で…)」
みなが天井に視線を取られている間に、空気中の水を凍らせて手折ったばかりの紫のユリを閉じ込めた氷の短剣を形づくる。紫のユリはクレイオス家の紋章のモチーフとなっているから、剣の中に閉じ込めるのはぴったりのはずだ。
ただ、北の地にあるクレイオスは少しだけ空気が乾燥しているのか、製氷魔法の進みはアステリアほどあまり速くない。
「(そろそろ動きを入れないと)」
手元で氷の短剣を作りながら、天井で点滅していた小さな光を流れ星のように動かした。そしてその光をスウの手元に落ちるよう演出してみれば、一定のタイミングで光が落ちてくるスウの手元に皆の視線が集まってゆくのだ。
「(生活魔法―点灯、浮遊)」
手元に作った氷の短剣が完成するころ合いを見計らって、今度は瞬く星のサイズの明かりではなく、会場全体の照明をもとに戻すようにパッと明かりをつければ、スウの手元には宙に浮いた氷の短剣が皆の前に現れることなった。
「成長」
スウが手元に残っていた白のユリをその剣に沿え、生活魔法―成長を使うと、ユリの葉が柄に巻き付いて、一輪の白いユリが剣の装飾のように鍔付近に添えられた。
アステリア家の紋章には白のダリアが描かれていることもあって、白はアステリア家を象徴するカラーであり、紫と白のカラーリングは両家の和平を強調するだろう。
スウはその氷の短剣の刃の部分を手に取った後、隣にいたグレンの方に短剣の柄を差し出した。
「スウ・アステリアより、グレン卿へ差し上げます」
一連のパフォーマンスを黙って見ていたグレンは、差し出された氷の短剣の柄をじっとみつめたあと、スウの方に顔を向けた。真っ黒な目は鋭くスウを射抜くが、その目に苛立ちは感じられない。
スウとしては、アステリアとクレイオスは手を取り合います、という体面を繕うために行った魔法披露であり、そして彼もまたその意図には気づいているはずだ。
だからどんなに魔法が嫌いであっても、皆の目がある前でこの剣を手に取らないという選択肢はないだろう、と思いつつも、何もかもが土壇場で仕込みなしの行動であるため、彼は戸惑っているのだろうか、とスウは不安になった。
「(お願いだから、嫌でもいいから剣を取ってほしい…)」
スウがそう思っていると、ずっと黙っていたグレンがようやくユリの葉に包まれた氷の短剣の柄を手に取った。彼の体格から比べるとかなり短いそれだが、透き通った氷とその中に閉じ込められた紫のユリのコントラストは、我ながらいい出来のはずだ。
「綺麗だな」
短剣をじっと眺めていたグレンは、静まった会場を破るように、そう呟いた。
彼の表情からお世辞かそうでないかを見分けるのは難しかったが、今までの言動を見る限り、少なくとも全くの嘘というわけではないだろう。
「ありがとうございます」
スウがそう小さく会釈をしてから、会場の方へと身体を向き直した。
「皆様の貴重なご歓談の時間にアステリアの魔法をご観覧いただき、誠にありがとうございました」
そこで一度言葉を区切って、会場に向けて深く頭を下げる。そのあと、少し前の方にいた皇帝の使いへと笑顔を向けた。
「この度のパーティのご様子、余すところなく皇帝陛下のお耳に入れていただけますと幸いに存じます」
結婚パーティはある程度のところでおひらきとなり、スウは侍女に連れられて居室へ戻った。伝統的な花嫁衣裳と身に着けていたジュエリーが淡々と外されて、居室の隣に設置されている風呂へと案内される。
貴族の令嬢であれば入浴も侍女の介助を受けるのかと思いきや、侍女から言われたのはタオルと洋服類の位置だけで、彼女はさっさといなくなってしまった。
「(まあ、そっちの方が気楽でいいわね)」
アステリア家の令嬢として入浴のサポートは侍女にしてもらっていたものの、あちこち触られるよりは自分でやった方が早いし、スウには生活魔法で身体を清潔に保つことや、髪の毛を乾かしたり整えたりすることも可能だ。
本当に生活魔法は便利だと、そんなことを思いながら、ぬるいお湯で身体を温めたあと居室へと戻った。
《スウが望まないなら、夜のお務めは断っても良いのですからね。》
居室にある大きな天蓋付きベッドを眺めながら、スウはソファに腰かける。嫁ぐ前、母親から言われたのは、この結婚では無理に子作りをする必要がないので断ってよい、ということだった。
スウとグレンとの間にできた子供は養子となることは両家合意していることなので、グレンとしても無理にとはならないだろう。そもそも、無理をさせる暇があるなら第二夫人を取ってそっちの面倒を見なさいと諭される立場ですらある。
「(一般的には初夜の儀も大切らしいけれど。…来るのかしらね)」
スウが深いため息をついていると、コンコン、と扉がノックされて、スウが返事をする前に先ほどの侍女と執事らしい人が入ってきた。
「今夜のことですが」
「はい」
「グレン様は、この婚姻において初夜の儀は不要とのご意向です。従って、お渡りはありません」
執事は淡々とそうスウに告げた。
やはりね、と思いながらスウは小さく頷いた。
「かしこまりました。本日はお疲れ様でございました、良い夢を、とお伝えください」
執事と侍女はスウの言葉を聞いたのか聞いていないのか、伝えるとも伝えないとも返事をしないまま扉を閉めて去って行ってしまった。それを眺めながら、スウは大きなため息をつく。
「ま。想定の範囲内ね」
そう言ってふかふかのベッドに身体を横たわらせて、スウはゆっくりと目をつぶった。クレイオス領についてから、波乱の一日だった、とスウの意識はまどろみに消えていった。
◇
翌日、スウは誰に起こされることなく目を覚ました。初夜の儀もなくゆっくり寝られたからか、身体はいささか軽い。アステリア家では侍女に起こされることが多かったので、自分だけで目覚めたのは久しぶりだ、と思いながらベッドから出た。
昨晩の侍女からの扱いを見る限り、手厚く身支度を手伝うことはしないだろうと予想できたので、スウは大あくびをしながらクローゼットの扉を開けた。
「…あらあら」
クローゼットの中に入っていたのはいかにも質素なワンピースが数着で、関所をくぐるときに身に着けているものは全て没収されたため、この用意された服だけがスウの着る服となる。
ここまであからさまだと笑ってしまうが、ごてごてしたドレスを着たいかといえばそういうわけでもないので、適当に一着を手に取った。
「生活魔法」
まずは生活魔法―洗浄で身体、顔、歯を磨いたあと、生活魔法―着替によって一瞬で服がピタッとスウの身体を包んだ。そのあとは少し寝ぐせのついた髪の毛を整える生活魔法で長髪を一つに緩く結う。そうすれば、しっかりと支度が整った令嬢の完成である。
「…うん。魔法って本当に便利」
スウの身体に備わっている魔力量はアステリアの平均ほどで、貴族社会で優秀だと言われる水準にはギリギリ入らない程度だ。そのため高位魔法を無尽蔵に使用できるほどではないが、生活魔法という基礎的な魔法に関して言えば、割と自由に使うことができた。
元の魔法のない世界を知っている身からすれば、何でもかんでも魔法に頼って怠惰だ、という気持ちは若干あるものの、便利さになびいてしまうのも仕方がない。
「(…呼ばれていないのに、ダイニングに行って朝食を食べるのは、また何か言われてしまうかしらねえ)」
朝の身支度は整ったが、侍女が来ていない以上勝手に屋敷内をうろつくとまた目をつけられるだろうかと思いながらも、空腹は背に腹は代えられないので、スウは扉を開けて廊下に出ることにした。
かなり広い屋敷ではあるが、昨晩侍女に連れられてきた道を辿れば正面玄関の方角だということはわかっていた。
そのため、歩いていけば道すがら誰かしらと出会うだろうという魂胆で廊下を進んでゆくと、屋敷を清掃している使用人の姿がちらほらと見えてきた。
使用人たちはスウの姿に気づいて一度は視線を向けるものの、すぐに顔を逸らして自分の仕事に戻ってしまい、特に何を注意されることもない。
「(腫れもの扱いということ?)」
嫌味でも言われるのかと思っていたが、さすがに公爵令嬢という身分である以上、表立ったことはできないと判断しているのだろう。
そうしてしばらく歩くこと数分、正面玄関付近に見知った顔が見えて、スウは足を止めた。
そこにいたのは、執事と使用人に何か指示を出していたクレイオス公爵夫人だ。話の途中、執事と使用人がスウの存在に気づいて視線を横に向けていることに気づいたらしい夫人が、スウの方を向いて、目が合う。
「(…とても嫌そうな顔)」
スウは苦虫を噛み潰したような夫人の表情を見ながら、目を伏せてお辞儀をした。立場上、スウより公爵夫人の方が上であるため、スウの方から気軽に声をかけるのはご法度であり、なおかつお辞儀をしなければならないマナーである。
「我が家のシェフが腕によりをかけて準備した朝食の場に顔を見せませんでしたが、どういったご意図でしょう?」
「(はい?)」
朝の挨拶もなく、夫人はそう淡々とスウに告げた。女性だがスウより背丈も肩幅も広く、クレイオスの女性としての威圧感がある。
「(…ああ、なるほど)」
朝、侍女が起こしに来なかったのも、この失態を演出するためだったのだ、とスウは理解した。なぜなら朝食は何時から、どこで行われます、などと言った連絡は一切スウに知らされていなかったのだ。
スウは努めて申し訳なさそうな表情を作って、顔を伏せた。
「至らない点がありまして申し訳ございません。朝食の時間くらい、私からお尋ねするべきでしたし、なにより何事も共有されると思って受け身になってはいけませんでした。反省しております」
理不尽な嫌がらせにも、それに輪をかけるような嫌味にも、社会の荒波を経験している元OLのスウにしてみれば、思ってもいない謝罪を述べるなんて朝飯前だった。
平身低頭でただ謝るのではなく、こちらに非が無いことを伝えつつ、でも不快な気持ちにしてしまったことは謝罪するという、クレーム対応の典型的な作法である。
「(これで収まる気はしないけれど…)」
スウはそう思いながら、深々と下げていた顔をあげれば、案の定顔を曇らせたままの夫人がスウを見下ろしていた。
「あら。でも、昨晩あなたを部屋に案内した侍女は、朝食の時間を伝えたと言ったわよ」
なるほど、そう来るか、とスウは思う。結局どの世界も最後には言った、言わないになるらしい。
「まあ、そうですか。…アステリアでは、言った・言っていないの議論になったときは、お互いの記憶を魔法で覗く習わしがございます。昨晩であれば、私の魔力量でも十分確認は可能ですわ。まずは私の記憶から、皆様にもご覧いただけるようにいたしましょうか」
スウの言葉に、夫人とその周りにいた使用人、執事たちはぎょっとした表情でスウを見返した。
実際、人の記憶を覗く記憶魔法というものが存在し、特にアステリア領の司法では民事論争や刑事事件、それより些細ないざこざなどの処理方法として確立している方法だった。
「(とはいえ、これは高位魔法。私はやり方を習っていないし、魔力も足りないからできないのだけれど。…まあ、いいブラフにはなるでしょう)」
スウはあえて微笑みを絶やさずに彼らを見返した。スウの言葉に乗ってこないというのは、自らを負けと認めている証である。
「っ、みだりに魔法を使わなくてもよろしい。ここはクレイオス領なのですよ」
「そうですか。かしこまりました」
トーンダウンしてしまった夫人の言葉に、スウはすぐに引き下がった。これ以上話を引き延ばして、記憶魔法を見せろと言われてしまうと意味がないからだ。ブラフを使うなら、引き際が肝心なのである。
オホン、と仰々しく咳払いをした夫人は、小さくため息をついたあと、冷たい目のまま口を開いた。
「ですが。あなたがそんなに魔法を使いたいと仰るなら、あなたのための居室を別途用意しますわ。…リチャード、例のところに案内なさい。マリーは身の回りのものを運びなさい」
「…居室、ですか。昨晩私が寝泊まりしたところではなく?」
「ええ。だいぶ昔にアステリアの姫が嫁いできたときに使っていたところと聞いています。アステリア式だそうですから、よろしいでしょう」
「わかりました」
何だか嫌な予感はするものの、拒否権は無いのだろう。スウは恭しく頭を下げて、言う通りにするしかなかった。




