02話 腕輪
婚礼の儀を終えて、スウはグレンに手を引かれてヴァージンロードを引き返した。
その道すがら、通り過ぎた参列者からは祝福の言葉などほとんどなく、スウの耳にわざと入るくらいの音量で話される声が聞こえてくる。
「儀礼剣を持てないなんて…」
「わざと落としたのでは?」
「神聖な儀式でそんなことを…縁起でもないわ」
「グレン様もお気の毒に」
スウはそんな己の評判を真顔で聞き流しながら、隣で歩いているグレンの方を横目で見上げた。
彼の表情はあまり変わっておらず、横顔から気持ちを推察することは出来ない。とはいえ、重要な儀式で妻となる人物が犯した失態への呆れか、それとも諦めか、そのような感情があるのだろうと思う。
「(あの重さはアステリアの花嫁でも誰だって無理だと思うけれど…まあ、これを含めて、クレイオスのアステリアへの仕打ちということなんだろう。両家の溝は深そうね)」
教会を出たあとは外に停められている馬車に乗り、公爵屋敷で開催される結婚パーティに参加するとのことだった。
スウは先立って馬車の中に乗って椅子に腰かけると、その斜め向かい側にグレンが黙って腰を下ろした。
御者によって扉が閉まり、馬車が出発するのを待つ間、スウはようやく旦那となるグレンを真正面から眺めることができた。
「(…黒髪黒目…)」
クラウン帝国は、街並みやその文化から推測するにヨーロッパ文化圏に似た世界だろうが、グレンは彫りの深い目鼻立ちに黒髪黒目といういで立ちだった。
参列者の多くも黒髪か暗い茶髪の人が多く、アステリア人が比較的明るい髪色を持つのとは対照的だ。
白人らしい彫りの深さとアジア人に特徴的な黒髪黒目の組み合わせに加え、彼のその筋骨隆々な体格もあってかなり威圧感がある。スウ・アステリアの身体がプラチナブロンドの儚げ美人だから猶更だ。
「過去、アステリアからクレイオスへ来た花嫁でも、儀礼剣を持てなかったと聞いたことがない」
馬車がゆっくり動き出したころ、ずっと黙っていた彼がそう口を開いた。スウはそれを聞いて、まだしびれが残る両手を膝の上に開き、視線を落とす。
「アステリアの魔法もそこまでか」
「っ、それは誤解です」
魔法を使っても持ちあがらなかったのか、そうともとれる言葉に、スウは項垂れていた顔をぱっと上げて彼の方を見た。
しかし言葉とは裏腹に、彼の表情にはアステリアの魔法を馬鹿にするようなそぶりはなく、純粋に魔法というものはそういうものか、そんな口ぶりのようだった。
「誤解?…君が魔法の才に恵まれなかった、といううわさは聞いているが、とはいえ…」
「いえ。…クレイオスの方々は、アステリアの魔法が怖かったのでしょう」
スウはそう言って、彼に見せつけるように左腕にしたままの腕輪を前に出した。彼の目と同じ色の宝石が埋まったその腕輪は、魔法を制御する腕輪だ。
関所を通る際、魔法による隠しごとができないように強要されたそれは、花嫁衣裳に着替えたときも外されなかった。
鍵は騎士の誰かが持っているのだろう、婚礼の儀で万が一魔法を使って花嫁が暴れたり新郎を刺し違えたりするのを防ぐため―その意図はスウも理解できた。
そうだとしても、これは皇帝命令による同等の家格の結婚なのだ。人質婚ではない。
「それは…誰の指示で?」
「関所を通る際、騎士からつけるようにと」
スウが淡々と答えると、グレンはより一層顔を顰めた。整った顔立ちだが、眉間に深いしわがあるとその凄みは恐ろしい。
スウが少しだけその表情に気圧されて身体を後ろに引くと、スウの左手に手を伸ばした彼が、その腕輪をがっしりと両手で掴んだ。
「えっ」
バキ、と鈍い音とともに、接続部分が割れて腕輪が手から外れる。彼は人並みをはるかに超えた力でその金属製の腕輪を壊したのだ、と理解したそのすぐあとには、馬車の足元の方にそれを放り投げた。
「(…は…え?素手で?)」
「まるで、自らの負けを認めているようなものではないか。私にとっても不快だ」
スウは苦々しくそう吐き捨てるグレンを少し黙って眺めたあと、視線を解放された左手におろした。―彼は恩を売るためにやったのではないのだろう。
「…そうでしょうね」
そのあと二人の間にやり取りは無く、馬車の中には、車輪がガラガラと回る音だけが響いていた。
◇
丘の上に建っているクレイオス家の屋敷は、端から端が見通せないほど大きな宮殿のようだった。重々しい大きな門を馬車で通ると、噴水の周りを囲うように馬車寄せ道が走っており、スウとグレンは馬車を降りて屋敷の中央玄関へと入る。
屋敷に入るとすぐ黒色の制服を着た人が20人以上ずらりと並んでこちらに頭を下げており、全てクレイオス家の使用人だった。アステリアの本家とは違い、女性も動きやすさを重視してスカートではなくパンツを履いているようだ。
「パーティが始まるまでは控室に待機していただきます」
そんな案内があり、スウとグレンは共にパーティ会場の隣の控室へと案内された。使用人たちの会話から、すでに多くの参加者は集まっており、婚礼の儀の参列者を待ってパーティが始まるらしかった。
ここで待たされる時間もそこまでないのだろう。
「社交の場にはほとんど出ていなかったと聞いている」
「はい」
控室に置いてあったソファに向かい合って座り、呼び出しを待っていると、彼がそう静かに尋ねてきた。
こちらに来て間もないスウとしては、貴族が集まるパーティ自体経験したことが無かったが、それはこの身体の本来の持ち主もそうだったようだ。
「(人の顔を覚えるのが大の苦手だったそうだからね、この身体の持ち主は)」
アステリア公爵には二人の娘―本妻との間に生まれたスウ・アステリアと、第二夫人との間に生まれたリリー・アステリアがいたが、長女であるスウ・アステリアは本来なら婿を取り、家督を支えていく立場だった。
しかしながら、スウ・アステリアは1つ下のリリーよりあらゆることの物覚えが悪く、複雑なことを殆ど理解できなかったそうだ。
こちらに来てすぐ、残された日記を読み解いてみれば、家庭教師から教わったことが難しくて何回聞いても理解できないことや本の内容が難しすぎることなどが赤裸々に綴られていた。
しかし、嫁入りまでの1か月弱、専属の家庭教師からみっちり教育を受けたが、彼女が言うような難しさはあまりなかったことから、おそらく前のスウ・アステリアはいわゆるそういう特性を持った子だったのだろうと分かった。
「(公爵の娘に生まれ、期待を背負う立場でなければ…少しドジな女の子で済んだでしょうね)」
アステリア公爵としても、婿と一緒に家を切り盛りしていくのが難しい娘の将来にはかなり悩まされたことだろう。
そんなときに犬猿の仲であるクレイオス家への婚姻が命じられれば、本人がどんなに嫌がったとしても、家の判断として冷酷な判断をせざるをえなかった。
クレイオス家に嫁ぐ直前まで専属の家庭教師がついており、決して冷遇されていたわけではないから、なおさら生まれた家が悪かったとしか言いようがない。
ちなみに、前のスウ・アステリアが残した日記の最後のページに書かれていたのは、「クレイオスに嫁ぐくらいなら、もう全部要らない」の一文だった。
だからと言って本当に身を投げる人があるかと呆れるが、とはいえ今までの状況を考えると、彼女にはとても耐えがたい婚礼だったのは間違いないだろう。
「(目を覚ましてすぐ、身投げしたという事実を誤魔化したのには骨が折れたわよ)」
そこまで思ったあと、彼女の最期に思いをはせるのをやめて、スウはもう一度自身の旦那であるグレンの方に顔を向けた。
「挨拶はそこまでないと聞いている。返答に困るようなら、黙っていればいい」
「…次期公爵夫人ではありませんものね」
私は次期公爵夫人ではない―そんなスウの返答を聞いて、彼の硬い表情がさらに歪められた。
「なにか?」
「…いや」
「(…嫌味のようだったかしら)」
皇帝の命令によってクレイオス家とアステリア家が婚姻関係を結ぶとき、慣習に則り、夫婦のもとに生まれたすべての子供は養子に出すという制度が付帯していた。
建国前、婚礼による両家の和平を試みた際、とある子をきっかけに大きな戦争になった過ちがあったようで、その反省を踏まえて““どちらの血が強く影響しているか判明しないうち―つまり生まれて間もなく、秀でていてもそうでなくても養子に出すこと””となったのだ。
そのためこの政略結婚では、スウは正妻ながらもクレイオス家の跡継ぎとなる子を産むことができない特殊な立ち位置におり、クレイオス家からすれば皇帝命令によって押し付けられた食い扶持のかかる嫁、というだけなのだ。
「(いずれ第二夫人を取って跡継ぎを産ませなければいけないんだもの。クレイオス家が私に地味な嫌がらせをして“次期公爵夫人”と扱わないのも、家を守るという意味では理解できるわけだしね)」
彼自身、婚礼の儀のときに剣を支えてくれたことも、馬車の中で魔法を封じる腕輪を壊してくれたことも、人質のように扱われるスウへの同情というよりは、曲がったことが嫌いで決まりごとを守るという信念を持ったプライドの高い男の振る舞いだろう、とスウは理解していた。
「(…まあ、世継ぎを産めとうるさく言われない立場なのは良いことね。あなたは第二夫人と好きにすればいい)」
そんなことを思っていると、控室の扉が開いて、パーティ会場へと向かうこととなった。
広いパーティ会場の上段に今回の主役でもあるスウとグレン夫妻の高砂席が設けられ、フロアは立食パーティの形で結婚パーティが開催された。
参加者はざっと100名以上いるようで、身に着けている正装やドレスの雰囲気から、ほとんどクレイオス家とかかわりが深い貴族や有力商人、政府関係者が集まっているようだ。
「アステリア公爵家より言伝を預かって参りました。この度はご結婚、誠におめでとうございます。二人のご結婚が両家の仲をより一層深めるものとなりますよう祈願し、祝福の言葉とさせていただきます」
「遠路はるばるご苦労だった。その言葉、我が胸に刻もう」
スウとグレンのもとには、挨拶に来た何組かの人たちがいたが、控室で言っていた通り挨拶で目が回る忙しさと言うほどではなく、また、対応も次期公爵であるグレンが主に行ったため、スウの負担は殆どなかった。
「(両家の仲を深めるための結婚なのに、パーティにも呼ばないんだものね)」
皇帝としては、最近のアステリア・クレイオス両家の仲が険悪になっているからこそ、結婚をきっかけに関係を改善してほしいという意向があったようだが、とはいえ両家がそれを素直に受け取るはずもない。
結婚の見返り―ご祝儀としてそれぞれの領地の税制を優遇するという強力なメリットと引き換えの結婚でもあり、パーティにわざわざアステリア公爵を呼ぶほどではない、というのがクレイオス家の回答なのだ。
勿論、政務のために帝都で顔を合わせることも多いから、パーティに呼ばなくとも話をする機会はあるという建前なのだろうが。
「クラウン皇帝陛下の使いとして、皇帝のお言葉を仰います。グレン・クレイオス、スウ・アステリアにおかれては、その仲睦まじさをもってそれぞれの領民、そして全てのクラウン国民へのしるべとなってもらいたい―とのことです」
「陛下のお言葉、謹んで頂戴いたしました」
グレンの言葉を聞いた皇帝の使いが、視線をスウの方に向けた。スウの返事も皇帝に届ける必要があるということなのだろう。
「身に余るご期待に沿えますよう、努めてまいります」
二人の言葉をしかと聞き留めた皇帝の使いは、小さく礼をしてから今一度スウの方に顔を向けた。
何か言いたいことがあると言わんばかりに営業スマイルでニコリと笑った彼は、口角をあげて口を開いた。
「この場には帝国の要人が多くいらっしゃいます。ですが、アステリア直系の姫君のお力を見る機会は少ない。どうでしょうか、我々に何かお恵みいただいても?」
その使いの言葉に、会場は少しだけざわついた。会場の動揺ぶりに、少なくともこの提案が会場にいる皆が分かっていて言っているというわけではないことは、スウも理解ができた。
とはいえ、使い個人としては公爵令嬢であるスウより身分が下である以上、誰かに事前に相談している、もしくはそう言うように指示されていることは明白だ。
「(…なるほど、そのための腕輪だったのね)」
婚礼の儀で重すぎる剣を魔法込みで持てなくすることも、人目がある結婚パーティで魔法を披露しろと言う皇帝の命を語ったかもしれない提案も、魔法が得意ではないというスウの前評判を使って考えた嫌がらせなのだろう。
それほどに、アステリアの姫はクレイオスから歓迎されていないのだ。そこまで考えて、スウの心はひんやりと冷え切った心地がした。
「…随分と急な提案だ」
隣で座っていたグレンの言葉を聞きながら、スウは黙ってすっと立ち上がる。
「そのお言葉、皇帝陛下のお言葉として承りました。しばし皆様のお時間を頂戴いたします」
スウのその言動に、隣にいたグレンが小さく息をのむ音が聞こえた。




