観客
ABMニュース局。
入館証が認証される。
電子音。
扉が開く。
シェイドは新たな廊下へ足を踏み入れる。
生放送の喧騒が、
もうすぐそこまで迫っていた。
人の声。
飛び交う指示。
慌ただしい足音。
歩みを進め、
ふと立ち止まる。
廊下の先。
ガラス越しに、
副調整室が見える。
大勢のスタッフ。
無駄のない動き。
正確なやり取り。
シェイドは静かに様子を窺う。
一人のスタッフが笑う。
別のスタッフが何かを話している。
だが、
シェイドは違和感を覚える。
男の笑い声と、
口元の動きが、
わずかにずれていた。
シェイドの目が鋭くなる。
静かに腰へ手を伸ばす。
小型の装置を取り出す。
扉をわずかに開ける。
中へ入らない。
指先を軽く弾く。
装置は床を静かに転がる。
かすかな噴射音。
紫色のガスが広がる。
無臭。
誰も気づかない。
スタッフたちは作業を続ける。
誰一人、
異変に気づかない。
妙だった。
一秒。
二秒。
そして――
一人目のスタッフが、
まばたきを止める。
二人目は、
口を開いたまま言葉を失う。
モニターがノイズを走らせる。
シェイドはゆっくりと部屋へ入る。
誰も彼に気づかない。
まるで時間だけが止まったように。
一台だけ、
まだ映像を映しているモニター。
酒井隼人の会見予告が、
繰り返し流れていた。
シェイドは視線を上げる。
天井。
配線。
ケーブル。
一本ずつ目で追っていく。
やがて、
配電室へたどり着く。
中へ入る。
分電盤。
すべて正常に稼働している。
シェイドは迷わない。
主電源のブレーカーへ手をかける。
そして――
落とす。
建物全体の明かりが消える。
一瞬で。
投光器。
モニター。
人々の声。
すべてが闇に飲み込まれる。
夜が戻ってくる。
やがて――
非常灯が点灯する。
赤く。
弱々しく。
不安定に。
モニターがゆっくりと復旧し始める。
ノイズを走らせるもの。
沈黙したままのもの。
生放送は、
途切れていた。
***
ABMニュース社屋の前。
酒井隼人は、建物の明かりが次々と消えていくのを見つめている。
その周囲には、
何十台ものパトカー。
すべてエンジンを切ったまま待機していた。
警察長官・森田健司が歩み寄る。
森田健司
「本当に……
ご子息だけで大丈夫なのですか?」
隼人は視線を逸らさない。
酒井隼人
「冷煌にあなた方は必要ありません。」
間。
酒井隼人
「私も……
必要とされたことはありませんでした。」
***
副調整室には、
もう誰もいなかった。
最初から、
誰もいなかったかのように。
シェイドは、
スタジオへ続く扉を押し開ける。
スタジオは赤い非常灯に照らされていた。
照明は落ち、
カメラもない。
記者も。
観客も。
スタッフも。
誰一人いない。
ただ、
スタジオの中央に――
一人の男が座っていた。
冷煌。
床に正座し、
背筋をまっすぐ伸ばしたまま、
微動だにしない。
その周囲には、
無数の電気ケーブルが床を這い、
鉄骨へと絡みつくように伸びている。
まるで生き物の神経網だった。
接続されたもの。
途中で切られたもの。
即席の設備。
だが、
そこには明確な意図があった。
シェイドはゆっくりと歩み寄る。
冷煌
「どうやって気づいた?」
シェイド
「綾柳一族ほど、読みやすい相手はいない。」
冷煌は静かに立ち上がる。
冷煌
「そうか?」
薄く笑う。
冷煌
「それなのに――」
その姿が消える。
一瞬。
次の瞬間、
シェイドの背後に立っていた。
冷煌
「自分から狼の口へ飛び込んでくるとは。」
間。
冷煌
「世界に……
本当の顔を晒す覚悟でもできたか。」
***
原の表情が険しくなる。
原
「シェイドは何者だ?」
アサは一瞬だけ目を閉じる。
何かを押し殺すように。
原は一歩近づく。
原
「……誰なんだ、アサ。」
アサ
「また一人……
犠牲になった人。」
***
シェイドは動かない。
まるで、
何一つ驚いていないかのように。
シェイド
「最初から……
番組なんて存在しなかった。」
冷煌はわずかに首を傾ける。
興味深そうに。
そして、
愉快そうに。
冷煌
「番組はいつだってある。」
間。
冷煌
「誰に見せるかを、
選ぶだけだ。」
冷煌はゆっくりと歩み寄る。
冷煌
「そして……
お前だけが、この番組の観客だ。」




