カイト ― 奪われた人生
カイトは震えている。
希望と恐怖が入り混じっていた。
母親は素早く手首の縄をほどいていく。
その手は震えている。
恐怖からなのか、
焦りからなのか、
もう分からない。
その時――
パキッ。
小さな物音。
一人の野盗が寝返りを打つ。
三人は一斉に動きを止める。
静寂。
父親は息子の手を引き、
ゆっくりと闇の中へ導く。
父親
(かすれた小声で)
「もう少しだ……
頑張れ。」
だが――
夜を裂く音が響く。
ガラン。
水筒が石にぶつかる。
カイトが空の水筒に足をぶつけてしまったのだ。
ほんの一瞬。
それだけで十分だった。
一人の野盗が片目を開ける。
そしてもう片方も。
ゆっくりと身体を起こす。
野盗
「……ん?
何だぁ?」
父親はすぐさま息子の前へ立つ。
震える手で鎌を構える。
父親
「逃げろ!!」
母親はカイトの手を掴む。
だがもう遅い。
次々と人影が立ち上がる。
闇から影が現れる。
叫び、
笑い、
武器を掴む。
母親
「カイト!
走って!」
カイトは走ろうとする。
腕を引かれ、
転びそうになりながらも逃げようとする。
だが野営地は一瞬で目を覚ます。
獣のように。
すぐに追いつかれる。
地面へ押さえつけられる。
母親が叫ぶ。
カイトも叫ぶ。
野盗たちが一家を取り囲む。
炎と鉄、
そして恐怖の輪。
大柄な頭目が前へ出る。
口元には醜い笑み。
頭目
「ほう……
家族そろってお出ましか。」
頭目は父親の髪を掴み、
無理やり跪かせる。
カイト
「やめろ!!」
頭目は笑う。
頭目
「おっ。
ガキでもちゃんと叫べるじゃねえか。」
ゆっくりと母親を見る。
そしてカイトへ視線を戻す。
頭目
「なら――
もっといい声を聞かせてくれ。」
軽く合図を送る。
一人が父親を殴る。
もう一人が母親を打つ。
カイトは叫ぶ。
獣のような、
喉が裂けるほどの悲鳴。
叫ぶたびに、
また殴られる。
何度も。
何度も。
カイト
「やめろ!!
やめて!!
お願いだ!!
やめてぇ!!」
まるで遊びだった。
母親は息子に見せまいとする。
だが視線は揺れている。
父親はなおも立ち上がろうともがく。
片目は腫れ上がり、
唇は裂けている。
それでも。
父親
(息も絶え絶えに)
「見る……な……」
だがカイトは見てしまう。
目を逸らせない。
野盗のブーツが父親の顎を踏み砕く。
母親が悲鳴を上げる。
カイトはさらに叫ぶ。
殴打は続く。
何度も。
何度も。
何度も。
やがて父親は崩れ落ちる。
動かない。
母親は這って近づこうとする。
だが野盗が脇腹を踏みつける。
嫌な音が響く。
息が止まる。
身体が震える。
そして――
動かなくなる。
頭目はカイトの前にしゃがみ込む。
その影が少年をすっぽり覆う。
頭目
「わかったか、ガキ。
悲鳴ってのは糸みたいなもんだ。
引っ張れば――
全部壊れる。」
顔を近づける。
腐ったような息が、
震える頬を撫でる。
頭目
「ほら。
また叫んでみろ。」
カイトは口を開く。
だが、
声は出ない。
喉が閉ざされている。
もう一度。
それでも出ない。
何度やっても。
何も。
頭目は父親の脇腹を、
ブーツの先で軽く蹴る。
反応はない。
肩をすくめる。
頭目
「なんだ。
もう終わりか。」
興味を失ったように背を向ける。
まるで焚き火を消すような気軽さで。
頭目
「埋めとけ。
夜明けまでには片づけろ。」
男たちが頷く。
二人の野盗が母親へ近づく。
焚き火の明かりに揺れる影が、
歪んで伸びる。
母親は震えている。
両手は地面を探る。
息子を探す。
だが掴めるのは冷たい土だけ。
カイトはもう動かない。
目は開いている。
それでも、
何も映していない。
まるで魂だけが、
どこか遠くへ消えてしまったかのように。
_
夜明けの淡い光が野営地を照らしている。
野盗たちは天幕を畳み、
武器を片づけ、
焚き火の熾火を消していく。
しわがれた笑い声が、
朝の冷たい空気に漂う。
カイトは少し離れた場所に座らされている。
昨夜と同じ場所だ。
両手は今も縛られたまま。
表情は動かない。
目は開いている。
だが、
どこも見ていない。
まるで心の奥深くへ閉じこもり、
もう何も届かない場所へ逃げ込んでしまったかのようだった。
母親はまだそこにいる。
固い地面の上に横たわったまま。
身体はもう冷え切っている。
まるで捨てられた物のように放置されていた。
誰一人、
その姿を気に留めようとしない。
一人の野盗があくびをし、
顎で母親を指し示す。
野盗1
「こいつ、このままでいいのか?」
野盗2
「ああ。
獣どもが片づけてくれるさ。」
頭目は無関心に頷きながら、
鞘を腰へ結びつける。
その時――
土埃の舞う道の先に、
一つの人影が現れる。
たった一人。
細身の若い女。
質素な着物をまとい、
歩きやすいよう袖をたくし上げている。
黒髪が朝風になびく。
野盗たちは一斉に笑い出す。
野盗3
「おい見ろよ。
山で迷子になった花が一輪だ。」
野盗2
「場所を間違えたな、お嬢ちゃん!」
女は歩みを止めない。
静かに。
何も答えず。
居心地の悪い沈黙が流れる。
まだ恐怖ではない。
だが、
わずかな違和感が広がっていく。
女は数メートル手前で立ち止まる。
男たちを一人ずつ見渡す。
そして、
その視線は彼らの向こうへ向く。
母親の亡骸。
胸が締めつけられる。
ほんの一瞬だけ。
ほんのわずかな揺らぎ。
だが次の瞬間には、
その表情は再び静まり返っていた。
若い女
「旅のお方……
一つ、お話を聞いていただけませんか。」
野盗1
「話だぁ?
俺たちにか?」
野盗3
「久しぶりの見世物じゃねえか!」
若い女は小さく頭を下げる。
朝風のささやきのように穏やかな声で語り始める。
若い女
「これは、遠い旅をした一人の女性のお話です。
その人は母親に会うために旅をしていました。
もう何年も会っていなかった母親に。」




