お前が探しているものも、お前を探している。
朝日がようやく昇り始める。
センは外へ出る。
ケイリンは縁側で待っていた。
静かに。
遠くを見つめながら。
目覚めていく谷を眺めている。
ケイリン
「夢の話を聞かせて」
センは驚いたように彼女を見る。
ケイリン
「そんな顔をしないで」
短い沈黙。
ケイリン
「原から聞いてる」
センは視線を落とす。
セン
「ただの記憶みたいな時もあります」
短い沈黙。
セン
「でも時々……誰かが……いや、何かが俺に……」
センは言葉を探す。
セン
「よく分からないんです」
ケイリン
「なぜ人は残響術を極めようとして死ぬのか、知ってる?」
センは顔を上げる。
ケイリン
「残響術は絶対的な静寂を求める術だから」
短い沈黙。
ケイリン
「生きた存在の精神へ入り込み、その流れを変える」
短い沈黙。
ケイリン
「でも本当に失われるのは精神じゃない……記憶なんだよ」
セン
「記憶……?」
ケイリン
「他人の力を吸収するということは、その感情や記憶までも取り込むということ」
短い沈黙。
ケイリン
「そうすると自分自身の物語が少しずつ溶けていく。やがて私たちは別の何かになる」
短い沈黙。
ケイリン
「相手になるわけじゃない……でも、もう自分でもなくなる」
セン
(ためらいながら)
「死んだ人たちは……」
短い沈黙。
セン
「自分で自分を殺したってことですか?」
ケイリン
「残響術は、一つの意識で抱えられるほど小さなものじゃない」
短い沈黙。
ケイリン
「だから混乱が魂を蝕み始めることもある」
静寂が訪れる。
ケイリン
「飲み込まれないことを覚えなさい」
短い沈黙。
ケイリン
「残響は人を惹きつける……そして同じように喰らう」
風が少しだけ穏やかになる。
ケイリン
「覚えておきなさい」
短い沈黙。
ケイリン
「呼びかけに応えるものがあるように」
短い沈黙。
ケイリン
「お前が探しているものも、お前を探している」
センは黙ったまま頷く。
ケイリン
「ついて来なさい」
***
ケイリンはセンをさらに山の奥へ連れて行く。
ケイリン
「同調の段階は単純だ」
短い沈黙。
ケイリン
「呼吸、心拍、動作――自分の生命のリズムを相手に合わせる」
セン
「どうやってそんなことをするんですか?」
ケイリン
「内なる静寂が教えることを使うんだ」
短い沈黙。
ケイリン
「相手の中へ入りなさい……考える前に感じるんだ」
険しい山道の先。
一人の男が待っていた。
黙ったまま。
ケイリン
「紹介しよう」
短い沈黙。
ケイリン
「涼司だ」
セン
(少し戸惑いながら)
「はじめまして……」
男は答えない。
笑わない。
動かない。
ケイリン
(肩をすくめながら)
「口数の多い男じゃないからね」
セン
(皮肉っぽく)
「それは見れば分かります」
涼司は微動だにしない。
だがその佇まいそのものが挑戦状のようだった。
ケイリン
「よし。始めよう」
涼司は前へ出る。
センの手首に縄を結ぶ。
その縄は涼司の手首へと繋がっていた。
ケイリン
「前を見なさい」
センはケイリンの肩越しに視線を向ける。
そこに道はあった。
だが道とは呼べない。
死へ続く細い獣道だった。
ケイリン
「二人で山頂まで辿り着いてもらう」
短い沈黙。
ケイリン
「この道を通ってね」
セン
「冗談でしょう……」
ケイリン
「私が冗談を言っているように見える?」
セン
「でも無茶苦茶ですよ!俺は死にたくありません!」
ケイリン
(冷たく)
「なら死ぬな」
ケイリンは一歩下がる。
腕を組む。
その瞬間。
涼司が縄を引く。
言葉はない。
だが意味は明白だった。
ここに躊躇する時間はない。
センはため息をつく。
顔を手で覆う。
そして拳を握った。
セン
「分かりました……」
涼司は歩き始める。
正確に。
滑らかに。
無駄なく。
センも後を追う。
ぎこちなく。
縄が張る。
風が吹く。
土埃が舞う。
冷気が肌を刺す。
足元には深い谷。
ケイリンは後方から見守っている。
何も言わずに。
最初の数十メートル。
均衡は不安定だった。
センは涼司に合わせようとする。
だが動きはちぐはぐだ。
焦りが先に出る。
センが急げば涼司は遅くなる。
センが遅れれば涼司は進む。
二人を繋ぐ縄は無言の戦場になっていた。
ケイリン
(風に乗って)
「まだ自分のリズムにしがみついている」
短い沈黙。
ケイリン
「手放しなさい。逆らうな。呼吸を合わせるんだ」
やがて道が途切れる。
崩落していた。
一本の枯れ木だけが向こう岸へ伸びている。
濡れた木肌。
強風に揺れている。
セン
「本気ですか……」
涼司は迷わない。
そのまま枯れ木へ足を乗せる。
身体は微動だにしない。
一歩。
また一歩。
縄が張る。
センに選択肢はない。
センは深呼吸する。
足を乗せる。
木が軋む。
風が強くなる。
その時だった。
二人のリズムがずれる。
涼司は進む。
センは止まる。
縄が激しく引かれる。
二人の身体が揺れる。
セン
(歯を食いしばりながら)
「そんな引っ張るな!」
その瞬間。
足が滑る。
セン
「ああああっ!!」
縄が張り詰める。
涼司は全力で踏ん張る。
センの身体は宙に投げ出される。
谷の上。
セン
「早く! 引き上げてください!!」
涼司は縄を引く。
全身の力で。
センは枯れ木にしがみつく。
必死に身体を引き上げる。
ようやく這い上がる。
人生で一番の恐怖だった。
筋肉が震える。
呼吸が乱れる。
セン
「何なんだよこれ……!」
短い沈黙。
セン
「俺は何でこんな所にいるんだ!?」
ケイリン
「誰も助けには来ない」
センは息を整えようとする。
深く吸う。
ゆっくり吐く。
迷いが生まれる。
だから目を閉じる。
ほんの一瞬だけ。
瞑想に入るように。
風。
縄。
鼓動。
全てが一つに重なっていく。
センは呼吸を整える。
涼司の呼吸に合わせる。
そして立ち上がる。
再び進み始める。
二人の歩幅が揃う。
足音が重なる。
枯れ木はもう揺れない。
向こう岸へ辿り着く。
センは膝をつく。
息が上がっている。
だが涼司は違う。
平然としていた。
道は再び途切れる。
今度は岩壁だった。
切り立った崖。
根が突き出ている。
濡れた岩肌。
風が唸る。
谷が近付くほど強くなる。
涼司は見上げる。
静かに。
冷静に。
岩壁を見定める。
セン
「いや……」
短い沈黙。
セン
「いやいやいや」
短い沈黙。
セン
「嘘でしょう……」
涼司は登り始める。
無言のまま。
動きは正確だった。
規則正しく。
ほとんど音も立てない。
縄が張る。
センに選択肢はない。
センも登り始める。
冷たい岩。
指先が痛む。
掴み損ねる。
滑る。
慌てて体勢を立て直す。
何度も。
何度も。
動けなくなるたび。
焦るたび。
縄が張る。
だが涼司は待つ。
振り返らずに。
何も言わずに。
セン
(息を切らしながら)
「一言くらい励ましてくれてもいいんじゃないですか……?」
涼司は反応しない。
センは歯を食いしばる。
そして登り続ける。
風はさらに強くなる。
崖はさらに険しくなる。
縄が二人の間で揺れる。
まるで生き物のように。
その時。
縄が岩の隙間に挟まる。
涼司は気付かない。
登り続ける。
縄が張る。
セン
(焦って)
「おい!」
短い沈黙。
セン
「待ってください!」
縄はすでに傷んでいた。
先ほどの落下で。
センの目が見開かれる。
岩に挟まれた部分が擦り切れていく。
セン
(叫びながら)
「涼司! やめろ!!」
涼司が止まる。
だが遅かった。
縄が切れる。
センの手が離れる。
身体が傾く。
視界が反転する。
全身を悪寒が駆け抜ける。
その瞬間。
初めて。
涼司の表情が変わる。
恐怖だった。
センは落ちる。
虚空へ。




