仮面の下で
街の中心部は人であふれている。
朝、誰もが仕事へと急ぎ、足音やクラクション、会話がぶつかり合いながらも、どこか秩序だった喧騒を生み出している。
その人混みの中を、一人の女性が進む。
優雅で、姿勢は堂々としており、隙のない装い。
自然な身のこなしで人の流れを縫っていく。
ヒールの音がアスファルトに響く。
黒い髪がわずかに揺れる。
彼女は足を止める。
目の前には、空を飲み込むかのような巨大な高層ビル。
ガラスと鉄でできたその塔の前で、彼女の姿はあまりにも小さい。
アヤは深く息を吸い、そして吐く。
これからのことに備えるように。
アヤ
「……酒井。……行くわよ。」
自動ドアをくぐり、中へ入る。
レスベスト・メディア――酒井インダストリーズ。
内部は広く、明るく、そして洗練されている。
磨かれた大理石、大きな窓、デザイン性の高い家具。
空気には、かすかなコーヒーと新しい紙の香りが混じっている。
アヤは軽く周囲を見渡し、すぐに受付を見つける。
姿勢を整え、魅力的な笑みを浮かべると、迷いなく歩み寄る。
アヤ
「こんにちは。牡丹・エミコと申します。本日はよろしくお願いいたします。」
受付係は丁寧に応じるが、どこか距離のある表情を浮かべている。
受付
「いらっしゃいませ……」
アヤ
「本日、採用面接の予定で伺いました。」
一瞬、空気が止まる。
受付係は素早く画面を確認し、わずかに眉をひそめる。
受付
「……確認いたします。」
アヤの笑みがほんのわずか揺らぐ。
口元がわずかに強張る。
***
エレベーターが八階で開く。
アヤが降りると、ヒールの音が磨かれた床に響く。
目の前には明るい廊下。
その先には、広々としたオープンスペースが広がっている。
モダンなデスクとガラスの仕切りが整然と並んでいる。
アヤはさりげなくスマートフォンを取り出し、周囲を撮影し始める。
視線は細部まで鋭く動いている。
ハタ・シオ
「牡丹さんですか?」
アヤはわずかに肩を揺らし、スマホを落としかける。
だがすぐに体勢を整え、自信に満ちた笑みを浮かべる。
アヤ
「はい、そうです!
それで……あなたは?独身ですか?」
(言った瞬間、固まる)
アヤ
「……あ、今のは忘れてください。」
シオは静かに彼女を見る。
長身で洗練され、何もせずとも場を支配するような存在感。
沈黙。
空気そのものが張り詰める。
シオ
「……こちらへどうぞ。」
アヤは素早くスマホをしまう。
心臓がわずかに速く打つ。
シオの後をついて歩き出す。
一歩一歩、慎重に。
背後では、オープンスペースが静かに広がっている。
まるで彼女の意図を見透かしているかのように。
***
アヤは広々とした上品な会議室に座っている。
大きな窓からは街が一望でき、朝の光に包まれた高層ビル群が広がっている。
部屋には権力と富の気配が満ちている。
中央には重厚な木の大きなテーブルが据えられている。
その奥で、一人の男がアヤの履歴書に目を通している。
陳様。
シオはその隣に立ち、手を後ろに組んだまま静かに様子を見ている。
陳様
「なぜ、当社を志望されたのですか。」
アヤはとびきりの笑顔を浮かべる。
自信を完璧にコントロールしながら。
アヤ
「ええと……御社が最も優れている企業だからです。」
陳様
「公共メディアでのご経験が長いようですね……
ですので、もう一度お聞きします。なぜ、当社なのですか。」
アヤはわずかに言葉を詰まらせる。
視線が部屋をさまよう。
深く息を吸い、立て直す。
アヤ
「御社であれば、より安定した雇用と、キャリアの発展機会を得られると考えました。
資金力もあり、他では得られない安定性があります。
それに、より多くの読者に届く発信がしたいのです。
……どっかの媒体で、星占いに頼って離婚するかどうか決めてる、反骨気取りの読者三人相手に記事書くよりさ。」
陳様はわずかに口元を緩める。
その大胆さに、興味と面白さを感じているように。
陳様
「なるほど……牡丹さん。
ずいぶんと野心的ですね。」
アヤはその言葉を受け止める。
少しだけ不安げに。
その大胆さが、果たしてどう受け取られたのかを測るように。
***
天気はいい。
センは体操服姿で、校内の奥まった場所を歩いている。
スニーカーが砂利の上でかすかに音を立てる。
視線は塀へと向けられている。
監視カメラ、警備員、そしてその圧倒的な高さ――細部まで見逃さない。
ここは警備が厳重すぎる。
一つ一つの動きに、無駄は許されない。
やがて、少し離れた場所に目を留める。
木々の間を縫うように、細い道が伸びている。
塀に沿って続く、人目につきにくい通路。
_
センは大股で、校舎の裏手にある小さな公園を横切る。
細い道が木々の間を伸び、足元では葉がかすかに音を立てる。
耳にはイヤホン。
リズムの強い音楽が流れ、外の世界を遮断する。
何も考えない。
ただ走る。
血の中で脈打つアドレナリンだけを感じながら。
その後ろで、雄輝とヒラキが必死に追いかけている。
息を切らしながら名前を呼ぶが、その声は音楽にかき消される。
センは気づかない。
さらに加速する。
地面を蹴る脚は速く、鋭い。
額に浮かんだ汗が、首筋を伝って流れ落ちる。
それでも速度は落ちない。
雄輝とヒラキは顔を真っ赤にしながら、どうにか食らいつこうとする。
だが距離はどんどん開く。
やがて――
二人は芝生の上に崩れ落ちる。
膝に手をつき、呼吸もままならない。
走り続けるセンの視界に、遠くの高台が入る。
その上に、大きな木。
視線を細める。
――何かが光っている。
木の枝に引っかかっているように見える。
理由も分からないまま、センの視線は木に引き寄せられたまま離れない。
足取りがゆっくりになる。まるで、時間そのものが鈍くなったかのように。
足音。風。
すべてがくぐもる。
遠くなる。まるで、水の中にいるみたいに。
木が、どんどん存在を増していく。
視界の中で。
意識の中で。
ぞくり、と背筋に寒気が走る。
何かが――引き寄せている。
身体じゃない。もっと深いところを。
まるで、自分の中の何かがこの場所を“知っている”かのように。
あるいは――向こうに“認識されている”かのように。
呼吸がゆっくりになる。
周囲の世界が、静止したみたいに止まる。
そして――
かすかな声が聞こえる。
ヒラキ
「酒井……」
センは振り返る。
雄輝とヒラキが、地面を這うように近づいてくる。
完全に消耗しきっている。
セン
「何してんだよ、お前ら。」
雄輝
(かすれた声で)
「伝えたくて……その……」
ヒラキ
(息も絶え絶えに)
「コンテストまで……あと一日だ……」
雄輝
「コンテストの問題を盗むなら……」
ヒラキ
「今夜しかない……」
センはため息をつく。
そして、短くうなずく。
セン
「……分かった。今夜だな。」
センはそのまま歩き出す。
迷いはない。
ヒラキ
(弱々しく)
「いいな……先行っててくれ……」
雄輝
「すぐ……追いつく……」
***
公園の少し奥、木陰の下で、ミナはスケッチブックに絵を描いている。
若い女性。
繊細で、優しい線。
穏やかに微笑んでいる。
首元には、ひとつのネックレス。
ミナが身につけているものと、同じだ。
ミナはその絵を、しばらく見つめる。
やがて――
片方の手袋を外す。
素手があらわになる。
ゆっくりと、その手を絵へと近づける。
指先で触れようとして――
ミナは、静かに息を吐く。
そのとき――
セン
「お前……説明があるだろ。」
センが、いつの間にか目の前に立っていた。
真っ直ぐな視線。
その真剣さは、命令のように突き刺さる。




