廃鉄道倉庫 ②
足音が近付いてくる。
エマ
(酔っていて、今にも倒れそうな足取りで)
「うわぁ……何ここ……カクテルパーティー? それとも化学工場?」
原は目を細める。
フードを被った若い女性。
立ち方はどこか滑稽だ。
ふらついているのに妙に静か。
一歩ごとに重力と戦っているようだった。
原はすぐに誰なのか分かる。
酒井センの取材をしようとして学校に潜り込んだ記者。
あの女だ。
原は心の中でため息をつく。
そして素早く近付き。
腕を掴む。
人目のない場所へ引っ張る。
エマ
「おっと……こんばんは」
短い沈黙。
エマ
「積極的ですねぇ」
原
(低い声で)
「エマ……だったな?」
エマ
「えっ?私たち知り合いでしたっけ?」
その時。
手下の懐中電灯が通路を横切る。
光が二人のすぐ横を掠める。
原は反射的にエマを引き寄せる。
ドラム缶の陰へ。
口を塞ぐ。
少しでも音を立てないように。
手下たちは咳き込んでいる。
手下①
「くそっ……この臭いもう限界だ。今夜で終わりで助かったぜ」
手下②
「だよな」
短い沈黙。
手下②
「明日の酒井の顔、見てみたいわ」
原は眉をひそめる。
原
(心の中で)
「酒井だと……?」
手下①
「俺もだよ」
短い沈黙。
手下①
「ほら急げ。ハロウィン班に怒鳴られるぞ」
二人は歩き去っていく。
その間。
エマはようやく原の正体に気付く。
口を塞がれたまま何か言おうとする。
エマ
(聞き取れない)
「んー! んんー!」
短い沈黙。
エマ
(聞き取れない)
「校長先生ー!」
足音が遠ざかる。
原は待つ。
十秒。
二十秒。
そしてようやく手を離す。
エマ
「有毒物質のドラム缶に全力で押し付けてくれてありがとうございます」
原
「あなたは何をしているんですか」
エマ
「私ですか?」
エマは周囲を見回す。
エマ
「捜査です」
短い沈黙。
原は目を閉じる。
大きく息を吐きそうになるのを堪える。
原
「ここは危険です。非常に危険だ。この薬品は吸い込むだけでも――」
エマ
(妙に真面目な顔で)
「でも今の私、何でも死因になりそうなんですよ」
短い沈黙。
エマ
「失業とか。激安の日本酒とか。湿気臭いアパートとか」
短い沈黙。
エマ
「あ」
エマは少し首を傾げる。
エマ
「危険って言いました? じゃあ原さんは何してるんです?」
原は小さく咳払いをする。
原
「私は……連盟の仕事で来ています」
エマ
「へえ」
短い沈黙。
エマ
「つまり面倒くさい善人ってことですね」
原は何も答えない。
そのまま周囲を確認する。
再び慎重に進み始める。
エマもついてくる。
忍者のつもりらしい。
だが実際は酔っ払ったペンギンだった。
原
(小声で)
「ついて来ないでください。家に帰りなさい」
エマ
(小声のつもりで)
「私すっごく静かですよ!」
その瞬間。
足元の缶にぶつかる。
――ガンッ。
原はゆっくり振り返る。
まるで災害の発生を確認するように。
エマ
(不満そうに)
「私じゃないです」
短い沈黙。
エマ
「缶です」
原は深く息を吸う。
顎に力が入る。
それでも前へ進む。
木箱の間を抜ける。
エマも後ろをついていく。
少しずつ。
酔いが覚め始めていた。
アドレナリンが頭を回し始める。
エマ
(独り言のように)
「なんで廃倉庫に灯りがついてるんだろ……」
短い沈黙。
エマ
「なんでこんな薬品が……」
記者の顔が戻ってくる。
酔っていても。
点と点を繋ぎ始めている。
原
(意外そうに)
「何か分かったんですか?」
エマ
「知ってます?」
短い沈黙。
エマ
「調査っていうのは素人には向かないんですよ」
原はゆっくり目を閉じる。
本気で思う。
気絶させておけばよかったと。
_
原は青白い光が漏れる半開きの扉へと忍び寄る。
その後ろをエマがついてくる。
原は扉を押し開ける。
無数のモニターが放つ電子音が彼を迎える。
画面には監視映像。
地図。
設計図。
違法な監視ネットワークだ。
エマ
「うわぁ……なんかジェームズ・ボンドの秘密基地みたい」
短い沈黙。
エマ
「もっとダサいけど」
だが原にそれを観察している余裕はない。
ドラム缶の山の向こう。
わずかな動き。
注意していなければ見逃すほど小さな動きだ。
誰かが立ち上がる。
手にはナイフ。
そのまま原へ飛びかかる。
原と男がもみ合う。
その間。
エマは倒れた机の陰へ。
ふらつきながら周囲の書類を漁り始める。
原
「下がっていろ!」
原は床に落ちていたケーブルを掴む。
引き寄せる。
投げる。
ケーブルが男の足首に絡みつく。
男は体勢を崩す。
苛立ったように唸りながら振り返る。
ナイフはまだ手の中だ。
エマ
「もう少し静かにできません?」
短い沈黙。
エマ
「集中できないんですけど」
原は拳銃を抜く。
親指が静寂のルーンに触れる。
鈍い発砲音。
ほとんど聞こえない。
一発。
正確だった。
男は悲鳴一つ上げずに崩れ落ちる。
エマは固まる。
今。
人を撃ったのではないか。
二人目の男が部屋へ飛び込んでくる。
反撃しようとする。
だが原は一瞬で間合いを潰す。
首を押さえつける。
床へ叩き伏せる。
何度も経験してきた動きだ。
英雄的ではない。
ただ効率的だった。
原は立ち上がる。
エマは完全に凍り付いている。
視線が死体へ向く。
拳銃へ向く。
また死体へ戻る。
理解を拒むように。
エマ
「……その人」
唾を飲み込む。
エマ
「死んだんですか?」
原は答えない。
すでに最初の男の傍へしゃがみ込んでいる。
ポケットを調べる。
手際よく。
淡々と。
まるで日常業務のように。
エマはしばらく動けない。
やがて視線を逸らす。
エマ
「最高……」
短い沈黙。
エマ
「もともと素敵な夜だったのに」
原は手帳を見つける。
鍵束。
文字の消された社員証。
エマは深呼吸する。
別の物を見る。
何でもいい。
資料。
設計図。
ファイル。
視線が次々と情報を追う。
原の指先は別の物にも触れる。
小型の制御装置。
通信妨害用のマイクロコントローラーだ。
原
「なるほど……こうやって存在を隠していたのか」
原は引き出しを開ける。
空。
次も空。
動きは正確だ。
無駄がない。
視線は細部を見逃さない。
動かされた埃。
不自然な隙間。
金属に残る指紋。
その時だった。
壁に貼られた大量の資料。
名前。
日付。
新聞記事。
その中の一枚が原を止める。
タミ。
彼女の写真だ。
隣には走り書き。
『敵に協力した?』
原は動けなくなる。
ゆっくりと写真に触れる。
本物か確かめるように。
その一方で。
倒れた机の陰からエマの声が聞こえる。
酔っている。
だが頭は回っている。
エマ
(小声で)
「この名前……この日付……」
短い沈黙。
エマ
「この失踪事件全部……やっぱり私の勘違いじゃなかった」
原は彼女を見る。
呆れ。
そして少しの感心。
酔っ払いだが有能な記者だった。
エマ
「南一雄……2005年に交通事故死……捜査なし」
ページをめくる。
エマ
「武田浩……2006年1月に失踪……」
さらにめくる。
エマ
「青山美紀……2008年12月に遺体で発見……」
速度が上がる。
エマ
「坂本大地……2010年に転落死……未解決事件の重要証人」
エマ
「成瀬恵子……2012年に精神病院へ収容……『見えてはいけないものが見える』と証言」
エマ
「小川俊……2015年に感電死……報告書は3回改訂」
エマ
「荒田健司……2019年に心臓発作で死亡……32歳……既往歴なし」
短い沈黙。
エマ
「2021年……2023年……」
ページをめくる。
そして。
止まる。
エマ
「酒井ユウト……」
原も視線を向ける。
写真。
ユウトだ。
エマ
「2024年11月に殺害」
短い沈黙。
エマ
「捜査なし」
重い沈黙が落ちる。
原
(ためらいながら)
「タミという名前は見つかったか?」
エマ
「いいえ。どうしてです?」
その時。
遠くから声が聞こえる。
近付いてくる。
聞き覚えのある声。
セイラム
「事務所を片付けろ」
短い沈黙。
セイラム
「さっさと撤収しろ。計画の第二段階に移るぞ」
足音が近付いてくる。
セイラム。
そして二人の部下。
金属の廊下に反響している。
原
(低く鋭く)
「出るぞ」
短い沈黙。
原
「今すぐに」




