雨上がりの再会
ミナはビーヴの村にある小さな家の中にいた。
決して広くはない。
だがどこか落ち着く空間だった。
部屋には温かな香りが漂っている。
天井から吊るされたシバザクラの花束。
奥では古いストーブが静かな音を立てていた。
ミナ
「母を知っていたんですか?」
女性は湯飲みにお茶を注ぐ。
女
「ああ。ほとんど昔からね」
ミナ
「母はシバザクラが大好きだったんです。よく言ってました。“記憶する花”だって」
女
「……涙が落ちた場所に咲くからね」
ミナは少しだけ微笑む。
どこか寂しそうに。
湯飲みの表面を見つめる。
穏やかな沈黙。
ミナは部屋を見回す。
棚。
瓶。
リボン。
古びた道具。
そして。
花瓶の陰に隠れるように置かれた木彫りの小物。
ミナは動きを止める。
ミナ
「この木彫り……あなたが作ったんですか?」
女性もそちらを見る。
そして小さく笑った。
女
「ああ、それ?そうだよ。まあ……上手とは言えないけどね」
短い沈黙。
遠くで雷が鳴る。
丘に遮られた鈍い音。
ミナ
「ずっとここに住んでいるんですか?」
女性は少し考える。
女
「ああ…忘れるために出て行く人もいる…思い出すために残る人もいる」
穏やかな笑顔。
だがその目には。
懐かしさとも悲しみともつかない何かが宿っていた。
女
「ミナは?どうして今になってここへ?」
ミナ
「父が……」
少し迷う。
ミナ
「家を見たかったみたいで。きっと必要だったんだと思います。それに……私も」
女は優しくミナを見る。
女
「お父さんか……」
短い沈黙。
女
「日野は良い人だよ…まさか戻って来るとは思わなかった。しかもミナと一緒にね」
ミナ
「どういう意味ですか?」
女性は少し驚いたような顔をする。
女
「慧はまだ生きているのかい?」
ミナ
「え?」
予想外の質問だった。
ミナ
「はい……」
小さな沈黙。
その時。
外で何かが大きくはためく音がした。
女
「ああっ!そんな馬鹿な!」
女性は慌てて立ち上がる。
庭のブルーシートが風に煽られている。
そして外へ飛び出していった。
ミナは湯飲みへ視線を落とす。
胸の奥がざわついている。
理由は分からない。
外では雨脚が強くなっていた。
***
空は少しずつ雲に覆われていく。
光は灰色に沈む。
重く。
静かに。
センはまだ座っている。
座布の上。
背筋を伸ばしたまま。
足の感覚はとうに薄れている。
やがて雨が降り始める。
最初はわずかに。
遠慮がちに。
雨粒が石畳を叩く。
湿った土の香りが広がる。
センは目を閉じたまま。
一分。
二分。
時間だけが過ぎていく。
遠くで雷が鳴る。
それでも動かない。
山道の下。
信夫が茶碗を抱えて立っている。
上着を頭に被り、どうにか雨を凌いでいる。
その時。
一本の竹杖が行く手を遮る。
ケイリン
「放っておきな」
信夫
「いやいや...こんな雨の中ですよ?腹だって空いてるはずだ」
ケイリン
「だから何だい」
信夫はため息をつく。
雨脚はさらに強くなる。
センの髪を濡らす。
頬を伝う。
手を濡らす。
それでも。
センは動かない。
雨が身体をすり抜けていくようだった。
信夫
(小声で)
「なんなんだよあいつ……この天気で平然としてるなんて」
ケイリン
「平然としているわけじゃない」
ケイリンの声は静かだ。
ケイリン
「雨を聞いているんだよ……一粒一粒を……風も……振動も。全てを受け入れ。混沌を静寂へ変えている」
センは深く息を吸う。
雨と風が顔を打つ。
それでも動かない。
意識を向けるのは呼吸だけ。
水の感触だけ。
信夫は黙って見つめる。
感心しているのか。
心配しているのか。
自分でも分からない。
雨は降り続く。
絶え間なく。
雨粒が時間を刻む。
雲はゆっくり流れていく。
竹は風に揺れる。
葉擦れの音だけが響いている。
誰も何も言わない。
そのまま。
何時間も。
――
やがて。
空が橙色に染まる。
紫色が混じる。
日が沈み始めている。
静かな一日。
まるで儀式のように。
センはゆっくり目を開ける。
雨粒がこめかみを伝う。
それでも眉一つ動かさない。
膝の上に置かれた手。
いつの間にか力は抜けている。
目の前にはケイリン。
わずかに満足そうな笑みを浮かべている。
***
雨上がりの村。
夕暮れの光が濡れた道を照らしている。
ミナは女の隣を歩いている。
女
(どこか懐かしそうに笑いながら)
タミが君くらいの歳だった頃ね、一度学校の壁をよじ登ったことがあるんだ」
ミナ
「え?」
女
「作文コンクールでね。校長先生が生徒の一人を不正に勝たせた証拠があるって言い張って」
ミナ
「本当に?」
女は吹き出す。
女
「本当さ。見張りの先生たちに見つからないように忍び込んでね。結局、膝に大きなコブを作って帰ってきたんだけど、ノートだけはしっかり持ってた」
ミナは思わず笑う。
その時。
遠くから声が響く。
日野
「ミナ!どこにいたんだ!ずっと探してたんだぞ!」
日野が家の方から駆けてくる。
息を切らしながら。
そして。
ミナの隣にいる女性を見た瞬間。
足が止まる。
表情が固まる。
まるで幽霊でも見たかのように。
女は軽く頭を下げる。
親しみのある笑顔。
だがどこか慎重だ。
女
「こんばんは、日野」
日野
「ア……アサ……?」
あり得ない。
慧 は言っていた。
崩落の日に死んだと。
なのに。
どうして――
アサ
「久しぶりね。元気そうでよかった」
沈黙。
日野はアサを見つめている。
まるで時間が止まったかのように。
目がわずかに潤む。
だが言葉は出てこない。
アサ
「村でミナと会ったの。雨も降っていたから、そのまま一緒に過ごしていたのよ」
日野
「そうか……」
再び沈黙。
二人は見つめ合う。
話したいことは山ほどあるはずなのに。
言葉だけが出てこない。
アサ
「それじゃあ私はこれで。またね、ミナ」
アサは背を向ける。
歩き出す。
日野
「アサ……」
アサは振り返らない。
日野とミナはその背中を見送る。
ミナは父を見る。
何かがおかしい。
そう感じずにはいられない。




