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失われた記憶の先

朝の光が神殿に差し込む。


細い光の筋。

磨かれた床を静かに照らしていた。


センは布団の上で目を覚ます。

小さな寒気。


身体を起こす。

センは目を擦る。

まだ少し頭がぼんやりしていた。


その時。

気付く。


ケイリンはすでに起きていた。

広間の中央。

正座している。

微動だにしない。


ケイリン

「起きな」


信夫はその声に飛び起きる。

目を見開く。

布団から半ば転がるように身体を起こした。


信夫

「うわっ……!びっくりした……」


ケイリン

「酒井。外へ来な」


ケイリンは立ち上がる。

そのまま外へ出ていく。


信夫は再び布団へ倒れ込む。


信夫

「やっぱりあの人怖い……」


***


神殿の庭は静まり返っている。

朝の光が辺りを照らし始めていた。


風が竹の葉を揺らす。

心地よい葉擦れの音。


センは神殿から出てくる。

少し緊張した様子で。

ケイリンのもとへ向かった。


ケイリン

「ついて来な」


ケイリンは歩き出す。

センも後に続く。


二人は神殿の裏手へ回る。

山肌に沿って進んだ先。

そこには崖のように張り出した場所があった。


眼下には神殿。

その向こうには山々が広がっている。


ケイリンは先へ進む。

センも続く。

そこには一枚の座布が置かれていた。


ケイリン

「座りな」


センは従う。


目の前には壮大な景色。

遮るものは何もない。


ケイリン

「残響術について何を知っている?」


セン

「原先生から最初の段階だけ教わりました。吸収です。圧力に逆らうんじゃなくて、受け入れることだって」


ケイリンはセンの顔を見る。

頬に残る傷跡。

原との厳しい訓練の痕だった。


ケイリン

「残響術は反響の術だ。この山の前で、お前は自分自身の静寂を聞くことになる。そして心の雑音を消すんだ」


セン

「心の……雑音?」


ケイリン

「思考も、迷いも、恐れも…全て音になる。吸収に呑まれたくなければ、それを感じろ」


短い沈黙。


ケイリン

「名前を与えろ。そして流せ」


ケイリンは近くの竹へ手を伸ばす。


その瞬間。

風が吹く。

葉がざわめいた。

まるで彼女の動きに応えたかのように。


センは目を細める。

偶然だろうか。


ケイリン

「まずは瞑想だ。知っていることではなく、感じていることに意識を向けろ」


短い沈黙。


ケイリン

「呼吸に集中しな。吸って、吐く。それがお前の錨になる。他は全て無視しろ」


センは目を閉じる。

だがすぐに浮かんでくる。


ミナ。

原。

シェイドの襲撃。

隼人。

冷煌 。

ユウト。


胸が締め付けられる。

呼吸が乱れる。


ケイリン

「心の乱れから目を逸らすな」


ケイリンの声が響く。


ケイリン

「受け入れろ。そして流せ」


短い沈黙。


ケイリン

「花を潤すために茎を伝う雫のようにな」


センは呼吸を整えようとする。


その時。

小さな虫が頬に止まった。

センは思わず目を開ける。


ケイリンが見ていた。

容赦のない目で。


ケイリン

「葉一枚で乱されるようなら、何一つ吸収できやしないよ」


センは拳を握る。

再び目を閉じる。


枝の軋む音。

風の音。

胸の鼓動。

全てが邪魔をしてくる。

全てが試練だった。


長い時間が流れる。

やがて。

ケイリンは小さく頷く。


ケイリン

「よし。じゃあ良い一日を」


センは目を開く。


セン

「え?帰るんですか?」


ケイリン

「お前に私は必要ない。残響術は孤独な道だ。魂にとっての生を映すものだからね」


ケイリンは去っていく。

センだけが残された。


竹林が再び揺れる。

葉擦れの音。

だが先ほどまでとは違う。


ケイリンが残していった重圧が。

まだそこにあった。


センは深く息を吸う。

そして吐く。


再び記憶が浮かぶ。

ミナ。

原。

ユウト。

一つずつ。


心の中で名前を呼ぶ。

輪郭を感じる。

そして流していく。


まだ不格好だった。

それでも。

センは続けた。


***


朝の光が田舎家を照らしている。


ミナは階段を下りる。


居間では日野がまだ眠っていた。

ソファの上。

箒を握ったまま。


昨夜の掃除の途中で力尽きたらしい。

ミナは思わず小さく笑う。

疲れ切った父の姿だった。


やがて。

視線は窓の外へ向く。


庭の向こう。

あの大きな木へ。


_


外へ出る。

朝の冷たい空気が頬を刺した。


ミナはポケットに手を入れたまま歩く。

ゆっくりと。


そして立ち止まる。

大木の前で。


いや。


その根元にある墓石の前で。

見慣れた名前。


風雨に晒された文字。


**原タミ 1977-2014**


ミナは黙って見つめる。


胸が締め付けられる。

涙が込み上げる。

必死に堪えようとする。


だが。

無理だった。


堰を切ったように涙が溢れる。

静寂の中。


ミナはゆっくり膝をつく。

世界の重さに押し潰されたかのように。


ミナ

「お母さん……会いたいよ……」


ミナは素手を伸ばす。

ゆっくりと墓石へ。


指先が触れた瞬間――

首元のペンダントが淡く光る。

揺れるような光。


そして。

景色が崩れた。


――


アエノラ神殿。


山頂。

崩壊の日。


激しい風が吹き荒れている。

冷たい石の感触。


ミナはそこに立っている。


目の前にはタミ。


傷だらけの姿。

戦いの跡が残る顔。

乱れた髪。

そして頬を伝う一筋の涙。


誰かと向き合っている。

だが。


ミナには相手の姿が見えない。


タミ

(懇願するように)

「お願い……彼だけは見逃してください」


ミナが瞬きをする。

視界が揺れる。


――


世界が戻る。


ペンダントの光はゆっくり消えていく。


ミナは深く息を吸う。

身体はまだ震えていた。

視線が彷徨う。


そして。

遠くに何かを見つける。

朝の冷たい光に包まれた小さな村。

地平線の向こうに。

静かにその姿を現していた。


***


ミナは村へ辿り着く。


風が様々な音を運んでくる。

扉の開閉音。

人々の話し声。

どこかの家で鳴る鈴の音。


ミナは歩みを緩める。

赤い瓦屋根の家々。

木造の建物。


商店の前には思った以上に人が集まっていた。

どの窓の向こうにも。

自分の知らない穏やかな日常がある。


一人の年配の女性が店先を掃いている。

ミナを見る。

不思議そうに。

だが優しい笑顔で。


ミナは小さく会釈をする。

そして再び歩き出した。


村の広場。

中央には小さな円形の噴水がある。

澄んだ水。

朝日に照らされて静かに輝いていた。


ミナは足を止める。

しばらく見つめる。


その時だった。


「……ミナ?」


ミナは凍り付く。

ゆっくり振り返る。

そこに立つ女性。

見覚えはない。

まったく知らない顔だった。


それなのに――


どうして。


自分の名前を知っているのだろう。

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