痕跡
原の執務室の地下。
秘密の部屋。
ミナは机の上に腰掛けている。
日野先生が小さなペンライトで診察していた。
日野先生
「打撲はいくつかあるが……大したことはない。すぐ治る」
ミナが顔を上げる。
疲れた笑みを浮かべた。
ミナ
「だから言ったじゃないですか...大丈夫だって」
少し離れた場所。
原が立っている。
腕を組み。
考え込んでいた。
原慧
「偶然じゃない。あれは待ち伏せだ。奴らは知っていた。俺たちがどこに行くのかも。いつ行くのかも」
沈黙。
原慧
「アヤは間違いなく連れ去られている。だが……なぜミナを連れて行こうとしたのかも分からない」
日野が小さく咳払いする。
日野
「慧...少しいいか?」
原が振り向こうとする。
その瞬間。
階段を駆け下りる足音が響く。
信夫だった。
表情は険しい。
信夫
「慧!来てくれ!」
原が振り返る。
***
原と信夫が監視室へ入る。
壁一面のモニター。
床から天井まで並んでいる。
ネットワークマップ。
データフロー。
システムログ。
人気のない廊下を映す監視カメラ。
無数のコンピューターが唸り続けている。
部屋は人工的な緑色の光に包まれていた。
黒沢はすでにそこにいた。
メインモニターの前。
腕を組んで立っている。
原慧
「何か分かったのか?」
信夫がゆっくり頷く。
信夫
「場所まではまだ分かりません」
短い沈黙。
信夫
「でも発信源は見えました」
壁のモニターを操作する。
グラフが表示される。
細い曲線。
ほとんど同じ動きを描いている。
黒沢
「火災報知器の件の後、全てのログを洗い直しました。
アクセス履歴じゃありません。
通信記録です」
原が眉をひそめる。
信夫
「温度センサーは予定通りに動いていました。正確すぎるくらいに...だから調べたんです。誰が命令を送ったのかじゃなく。どこを通って送ったのかを」
画面が拡大される。
信夫
「こいつら中央サーバーの時計を見てないんです」
短い沈黙。
信夫
「もっと古い基準で同期しています」
黒沢
「産業用の時刻同期です。今ではほとんど使われていない方式ですが」
沈黙。
原慧
「昔の鉄道設備では一般的でした」
信夫が頷く。
信夫
「ええ。通信経路を追いました。すると同じ基準を使っている設備が見つかったんです」
地図が表示される。
現在の市街地。
そして古い路線図。
二つが重なる。
画面を指差す。
信夫
「旧設備だけです。保守拠点。資材庫。技術施設」
黒沢
「今では誰も監視していない場所ばかりです」
原は画面を見つめる。
原慧
「人を隠すには十分だな」
信夫
「一人とは限りません」
沈黙が落ちる。
原慧
「一番孤立している場所から当たる」
黒沢
「すでに移動していた場合は?」
原が振り向く。
原慧
「その時はまた別の痕跡が残る」
冷たい視線。
原慧
「永遠に姿を消し続けられる人間はいない」
***
酒井家。
廊下は闇に沈んでいる。
静まり返り。
まるで聖域のようだった。
センは足音を殺しながら進む。
やがて一つの扉の前で立ち止まる。
取っ手の裏には小さな「Y」の刻印。
センはドアノブを回す。
だが開かない。
鍵がかかっている。
その時。
車のヘッドライトが窓越しに廊下を照らした。
センが息を呑む。
反射的に壁へ身を寄せる。
鼓動が速くなる。
光の向こう。
黒い車が屋敷の前に停まる。
隼人が降りる。
その後に冷煌。
センは二人を見つめる。
_
階段の上。
センは身を潜めている。
視線は下から離れない。
二人の動きを追う。
隼人はいつも通りだった。
落ち着いていて。
無駄がない。
その隣を歩く冷煌。
まるで影のように静かだ。
センは息を殺す。
耳を澄ませる。
冷煌
「解放したのは危険だったのでは?」
酒井隼人
「必要な危険もある」
短い沈黙。
酒井隼人
「駒がどこまで進むのかを見るためにな」
隼人が階段へ向かう。
その時。
冷煌
「タミとは誰ですか?」
隼人の足が止まる。
表情は変わらない。
沈黙。
重い静寂だけが流れる。
数秒後。
隼人は何事もなかったように歩き出す。
答えない。
冷煌もそれ以上は聞かない。
セン
(心の中で)
「タミ……?誰なんだ……?」
***
雨が降っている。
夜の闇の中。
音もなく。
静かに。
ミナはゆっくり歩く。
フードを深く被っている。
鏡の樹が目の前にそびえている。
荘厳で。
異様で。
雨に濡れた無数の鏡が揺れている。
ミナは数メートル手前で立ち止まる。
なぜか胸が騒ぐ。
遠くで雷が鳴る。
稲妻が夜空を裂いた。
鏡が震える。
無数の光が反射する。
ミナはセンを思い出す。
センだけが何かを見たことを。
呼吸が浅くなる。
指が首飾りを握り締める。
ミナ
「分かんない……」
ミナは樹を見上げる。
顎を強く結ぶ。
ミナ
(震える声で)
「どうして……私には何も見せてくれなかったの?」
風が吹く。
鏡が小さく鳴る。
ミナはさらに近づく。
ミナ
「どうしてセンで?私じゃないの?」
そして。
声を荒げる。
ミナ
「私に何を求めてるの!?」
ミナは勢いよく踏み込む。
拳を振り上げる。
幹を殴りつける。
ミナ
(涙混じりに)
「何か言ってよ!」
殴る。
もう一度。
さらにもう一度。
何度も。
何度も。
雨が跳ねる。
拳の皮が裂ける。
ミナ
(涙声で)
「答えてよ!」
呼吸が乱れる。
雷鳴。
風が強まる。
ミナ
「答えて!!」
血が流れる。
ミナ
(叫ぶ)
「私に何を求めてるの!?」
その時。
首飾りが幹にぶつかる。
閃光。
一瞬だけ。
光が弾けた。
――――
脳裏に浮かぶ。
田舎道。
道の両側には芝桜が咲いている。
木々の隙間から光が差し込む。
一本の光の筋。
それは森に覆われた丘へ続いている。
――――
ミナが膝から崩れ落ちる。
両手が震える。
泥に沈む。
雨が頬を流れる。
涙と混ざり合う。
首飾りのオーレアスがゆっくりと光を失う。
やがて。
ただの石のように鈍く沈んだ。
ミナは荒く息をする。
混乱していた。
何も分からない。
震える指が首飾りを握り締める。




