酒井邸への帰還
陸上競技場脇の小さなトレーニングルーム。
サンドバッグが激しく揺れている。
ミナが拳を叩き込む。
鈍い音。
何度も。
何度も。
ただの練習にしては力が入りすぎていた。
一歩下がる。
構え直す。
そしてまた打つ。
サンドバッグが軋む。
大きく揺れる。
戻ってくる。
ドン。
扉が小さく軋む。
ミナは振り返らない。
日野が入口に立っていた。
しばらく黙って様子を見る。
日野先生
「そのうち本当に壊すぞ」
ミナが動きを止める。
サンドバッグだけが揺れ続ける。
拳は握られたまま。
ミナ
「酒井に何を言ったんですか?どうして急によそよそしくなったんですか?」
日野が小さく息を吐く。
日野先生
「少し混乱してるんだろう...短い間に色々ありすぎた」
ミナが視線を落とす。
サンドバッグはもう止まっている。
ミナ
「私は……どうすればいいんですか?」
日野は真っ直ぐミナを見る。
日野先生
「今やっていることを続けろ」
ミナが顔を上げる。
日野先生
「鍛えるんだ」
沈黙。
ミナが奥歯を噛み締める。
そして再び構える。
次の瞬間。
拳が突き刺さる。
サンドバッグが大きく揺れた。
***
車が幹線道路を離れる。
森の奥へと進んでいく。
長い私道の先。
やがて酒井家の屋敷が姿を現す。
巨大な屋敷。
木々に囲まれ。
静かで。
近寄りがたい。
高い塀が敷地を囲んでいる。
ほとんど目立たない監視カメラ。
あらゆる出入口を見張っていた。
見落としは一つもない。
車が速度を落とす。
門をくぐる。
そして。
屋敷の正面で停車した。
変わらない。
まるで時そのものが止まっているかのように。
巨大な屋敷がそこに立っている。
大きな窓には。
周囲の暗い森が映り込んでいた。
アキが先に車を降りる。
後部座席のドアを開く。
センは少しだけ躊躇する。
それから車を降りる。
足元で砂利が鳴る。
センが顔を上げる。
二階の窓。
一つの人影が立っていた。
酒井隼人。
父親だ。
ガラス越しに視線が交わる。
ほんの一瞬。
次の瞬間。
隼人は背を向ける。
そのまま屋敷の奥へ消えていく。
センはしばらく動かない。
その場に立ち尽くす。
やがて肩のバッグを持ち直す。
そして。
屋敷の入口へ向かって歩き出した。
_
屋敷の中は静まり返っている。
静かすぎるほどに。
田辺静が声をかける。
田辺静
「お帰りなさいませ」
センの前。
大階段の途中に立っている。
背筋は伸びている。
隙のない姿勢。
両手を前で重ねていた。
センは足を止める。
顔を上げる必要はない。
田辺の視線が自分に向けられていることくらい分かる。
田辺静
「隼人様がお待ちです」
センは小さく頷く。
それだけだった。
田辺の横を通り過ぎる。
その瞬間。
センの肩がわずかに強張る。
昔から染みついた反応だった。
田辺は動かない。
だが。
その視線だけが一瞬動く。
フードの下。
まだ残る擦り傷へ。
田辺静
「また問題を起こされたようですね」
センは立ち止まらない。
そのまま歩き続ける。
長い廊下。
見慣れすぎた景色。
足音が響く。
部屋が見える。
同じ扉。
同じ取っ手。
中へ入る。
何も変わっていない。
ベッド。
机。
棚。
配置も。
匂いも。
何もかも。
同じだ。
まるで檻のように。
***
酒井隼人の執務室は西棟の奥にある。
扉は半開きになっている。
隼人は誰かと話している。
中村義。
大臣の右腕だ。
中村義
「爆発現場から数ブロック離れた場所で、
放置されたトラックが見つかりました。爆薬を運んでいた可能性があります...現在も鑑識が調査中です」
酒井隼人
「そうか」
義が頭を下げる。
立ち去ろうとした時。
隼人が呼び止める。
酒井隼人
「もう一つ」
中村義が振り返る。
酒井隼人
「レスベストのパーティーで使われた入館バッジの記録に..." シェイド "という署名が残っていた」
短い沈黙。
酒井隼人
「心当たりはあるか?」
扉の外。
センが目を見開く。
..." シェイド




