視線の先で
センは教室に入り、自分の席に座る。視線は窓の外に向けたまま。
朝の光が、その無表情な横顔を照らしている。
アヤメ
「ねえ…酒井。」
センはゆっくりと顔を向ける。
アヤメは彼の前に立っている。いつも通り完璧な佇まい。
その笑顔は柔らかい――けれど、どこか作り物じみている。
アヤメ
「これ…休んでた分のノート、まとめといたよ。」
プリントを机の上に置く。
アヤメ
「よかったら、放課後一緒に見直そ?」
センはしばらく彼女を見る。無表情のまま。
――そのとき。
ミナが教室に入ってくる。後ろには日野先生。
センはすぐに視線をミナへ向ける。
日野先生
「はい、席につけー。」
生徒たちが席に着く。
ミナが座ろうとした瞬間――
バキッ。
乾いた音。
椅子が壊れる。
一瞬の静寂。
それから、くすくすと笑い声。
アヤメたちの方から。
ジュン
(小声で)
「ねえ日野、昨日ちょっと食べすぎたんじゃない?」
小さな笑いが広がる。
ミユは口元を押さえて笑いをこらえる。
アヤメは声を出しては笑わない。ただ、微笑んでいる。
ミナはすぐに立ち上がる。髪を整え、何事もなかったかのように振る舞う。
日野先生
「日野?大丈夫か?」
ミナ
「うん、大丈夫。」
日野先生
「別の椅子取ってこい。」
その瞬間――
扉が開く。
原が入ってくる。
教室のざわめきが一気に消える。
原校長
「何があった?」
日野先生は体を強張らせる。
日野先生
「原校長…いえ、大したことでは――」
ミナ
「椅子壊しちゃっただけです。すみません。」
センは気づく。アヤメ、ジュン、ミユがまだ小さく笑っていることに。
原校長は教室を見渡す。
視線がミナに向く。
そして――
センへ。
原
「酒井。
(間)
日野と一緒に、椅子を取りに行け。」
静寂。
ミナが固まる。
日野先生も動きを止める。
ミナ
(心の中で)
「は?マジで?」
日野先生
「原校長、それは必要ありません…椅子くらい――」
原校長は一瞥する。
その瞬間、日野先生は口を閉ざす。背筋に冷たいものが走る。
原
「早く。」
センはため息をつき、立ち上がる。
アヤメたちの空気が変わる。
笑顔が消える。
ジュンとミユが視線を交わす。
アヤメはミナを見つめる。
冷たい視線。
ほとんど誰にも気づかれないほどの。
ミナはわずかに目を伏せる。
明らかに、この場にいたくない。
そして教室を出る。
センがその後を追う。
***
廊下に出ると、教室のざわめきは背後に消えていく。
静けさが落ちる。
ミナが前を歩く。足取りは速い。
センはゆっくりと後ろをついていく。
ミナ
(小声で、独り言のように)
「なんで私なの…」
(ため息)
「別に話すことなんてないし…」
やがてセンが口を開く。
セン
「なんで中でも手袋してんの?」
返事はない。
セン
「何隠してんの?」
ミナは歩き続ける。
肩がわずかにこわばる。
セン
「あと、そのネックレス。なんか変だよな。どこで手に入れたんだ?骨董市とか?」
ミナの中で何かが煮え立つ。
短い沈黙。
セン
「部屋の前のダンボールとかさ。さっきの椅子も。
お前、ああいう連中にとってはちょうどいい標的だよな。」
ミナがぴたりと止まり、勢いよく振り返る。
ミナ
「いい加減なこと言わないで!」
セン
「いじめられてんなら、別に我慢する必要ないだろ。」
ミナの表情が強張る。
指を突きつける。
ミナ
「私が勝手にそうしてるの!選んでるの!
だから放っておいて!」
沈黙。
センは彼女を見る。
からかうでもなく。
ただ、興味を持つように。
セン
「なんで?」
ミナはすぐに視線を逸らす。
そのまま歩き出す。
さっきより速く。
何も答えない。
_
ミナは脇の静かな廊下に入る。
センも、少し距離を保ったまま後をついていく。
ミナは原校長の部屋のすぐ横にある、目立たないドアの前で立ち止まる。
プリンターのある小さな部屋だ。
迷いなくドアを開けて中に入る。
センも続く。
中はやや狭いが、清潔で整っている。
物はきちんと片付けられていて、無駄なものは一切ない。
ミナはまっすぐ奥へ進み、迷うことなく椅子を一つ掴む。
まるで場所を完全に把握しているかのように。
センはドアの近くに立ったまま、様子を見ている。
セン
「こういうとこ、やけに詳しいんだな。」
ミナは答えない。
椅子を引きずる。
セン
「ここで暇つぶしてばっかりなんだ?」
ミナ
「無駄話、ほんと好きだよね。」
ミナが振り返る。
センはわずかに口元を緩める。
セン
「相手によるかな。」
沈黙。
二人は見つめ合う。
表情は変わらない。
でも、どこか空気が落ち着く。
ほんの一瞬、周りのすべてが遠のいたかのように。
――やがて。
ミナがわずかに視線を逸らす。
椅子を持ち上げる。軽々と。
ミナ
「ほらね。別にあんた、いらないし。」
ミナはそのままセンの横を通り過ぎる。
一度も彼を見ずに。
***
同じ頃――
整えられた住宅街。
近代的な家々。
手入れの行き届いた庭。
そんな静かな街並みの中で――
二つの人影だけが、その平穏を完全にぶち壊していた。
エマ――三十代、ブロンドのボブカット、強い意志を宿した目。カメラを肩に担ぎ、命がけのように全力で走っている。
その後ろで、サムが息を切らしながら巨大な三脚を引きずっている。走るたびに太ももにぶつかる。
エマ
「サム!早く!」
サム
(顔をしかめながら)
「早くしてる!心臓がついてこないだけだ!」
通りの先で、三人の警官が現れ、すぐに二人を見つける。
警官
「おい!あそこ!」
エマとサムは慌てて目を合わせる。
エマ
「左!」
二人は横道へと駆け込む。
きれいに洗われた歩道で滑りかけながら、そのまま低木の茂みに飛び込む。
サムはほとんど転がるように葉の中へ突っ込み、荒く息を吐く。
エマはすぐに彼の口を手で押さえる。
警官たちが通りを駆け抜けていく。
静寂。
やがて足音が遠ざかる。
エマは手を離す。
エマ
「もう大丈夫……行ったわ。」
サムは大きく息を吐く。
サム
「なんか今日、いつもより速くないか……?」
エマは植え込みから出て、ジャケットについた葉を払い落とす。
周囲を確認し、決意を込めた声で言う。
エマ
「行くわよ。」
サムは目を見開く。
サム
「は!?エマ……三日だぞ。三日。ずっと別荘の前で張り込んでんだぞ……
いや、正確には“酒井家の数ある別荘の一つの前で”だけどさ。」
エマ
(頑なな笑みで)
「優秀な記者は粘るものよ。」
サムは天を仰ぐ。すべてを悟ったように。
サム
「それか過労で死ぬもんだな……まあいい。せめて立派に死のう。」
そう言って、三脚を引きずりながら後を追う。
***
突然、校内にチャイムが鳴り響く。
金属的な音が、静まり返った廊下を貫いていく。
その音は壁や大きな窓に反響し、ざわめきや急ぐ足音、鞄の擦れる音を残して消えていく。
そのとき――
日野先生が廊下へ飛び出してくる。
足音が磨かれた床に響く。
息は荒く、顔には焦りが浮かんでいる。
日野先生
「原校長! 原校長!」
少し離れた場所で、原慧はスマホを操作している。
そして――
その手が止まる。
静かに。
ようやく日野先生が彼の前まで辿り着く。
息を切らし、膝に手をつく。
日野先生
「話が……あります。今すぐに」
原慧はしばらく無言で彼を見る。
鋭く、それでいて冷静な視線。
日野の焦った声とは対照的に、慧の空気は異様なほど静かだった。
日野先生
「……酒井のことです。」
***
エマは素人スパイのように進む。壁にぴったりと張り付き、やけに慎重な様子で周囲を見回す。
サムは三脚をまるで錨のように引きずりながら、その後をついていく。
エマ
「サム、先に行って。」
サム
「なんで俺?」
エマは一瞬迷い、目を細める――そして。
エマ
「……正直、よく分かんない。」
サムは空を見上げる。おそらく神に助けを求めている。
そのとき、スマホが震える。
サムはびくっとして画面を見る――そして青ざめる。
サム
「エマ!これ見て!」
スマホを差し出す。
エマはそれを読み、その表情が一瞬で変わる。
エマ
「ほんとに? それ、どこの情報?」
サム
「分からないよ。追跡できない番号だったから、仮に知ってても教えないけど。」
エマ
「……とにかく、そのコンテストには行かないと。」
サム
(思わずむせる)
「この学校、どう見ても名門校のフリした軍事施設だろ!
許可もなしに、門すら通れないって!」
エマはゆっくりと振り向く――ゆっくりすぎるほどに。
その目が鋭くなる。
エマ
「よく聞いて、サム。
入る方法を見つけて。」
サムはごくりと唾を飲む。本能的な危機感が目を覚ます。
サム
(早口で)
「い、いとこに聞いてみる!まだあそこで働いてるはずだから……たぶん……いや、分かんないけど、とにかく聞いてみる!」
エマは満面の笑みを浮かべる。眩しいほどに、そしてどこか恐ろしい笑顔。
エマ
「いいじゃない。それでいきましょう。」
彼女はすでに歩き出している。迷いなく。
サムはその場に取り残される――
そして、ようやく息をつくように、その場に崩れ落ちそうになる。




