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心で結ばれて

数年前――

酒井邸。


屋敷の廊下は広く。

静かで。

冷たい。


夕陽がステンドグラスを通り抜ける。

色とりどりの光が磨き上げられた床へ落ちる。


十二歳のセンが廊下を歩いている。

足音が響く。


センはゆっくり進む。

心臓が落ち着かない。

まるで。

見えない誰かに見られているような気がしていた。


その時。

背後で物音がする。

センが飛び上がるように振り返る。


ユウト

「わっ!」


暗がりの中から現れたのはユウトだった。

二十五歳。

センの兄。


悪戯っぽい笑みを浮かべている。

センが驚いて後ずさる。

その背中が。

廊下に置かれた古花瓶へぶつかった。


ユウトが咄嗟に手を伸ばす。

だが間に合わない。

花瓶が床へ落ちる。

――ガシャーン。


粉々に砕け散る。

音が広間へ響き渡る。

静まり返った屋敷中に。


ユウトが固まる。

その瞬間。

廊下の奥から女性の声が飛んできた。


田辺静

「今度は何事ですか!?」


酒井家の家政婦長。

田辺静が足早にやって来る。

そして。

床に散らばる破片を見る。


田辺静

「誰がやったんです!?」


ユウト

「俺です」


一切迷わず答える。


センが口を開く。

否定しようとして。

だが。

ユウトと目が合う。

何も言えなくなる。

身体が強張る。

言葉が喉に張り付いたようだった。


***


廊下は相変わらず静まり返っている。

だが――


音だけが響いていた。

乾いた打撃音。

何度も。

何度も。


そして。

抑えきれない短い呻き声。

ユウトのものだ。


センは廊下に座り込んでいる。

両手で耳を塞ぎながら。

涙が頬を伝う。


それでも。

音は聞こえてくる。

乾いた音。

苦しそうな声。


センは立ち上がる。

そして走り出した。

廊下を。

必死に。

自分の部屋へ向かって。


***


殺風景な部屋。

冷たい空気。


センはベッドの中にいる。

毛布を頭まで引き上げて。

身体を小さく丸めながら。


しばらくして――

廊下から足音が聞こえてくる。

ゆっくりと。

近づいてくる。


ユウト

「セン……」


その声を聞いた瞬間。

センは飛び起きる。

そして。

兄の胸へ飛び込んだ。


セン

「ユウト!

ごめんなさい!」


ユウトが小さく笑う。

ベッドの端へ腰を下ろす。

袖が少しだけ捲れていた。


ユウト

「気にするな」


センの視線が止まる。

兄の手首。

そこに残る痣。

痛々しい痕。


ユウトは気付く。

何も言わず。

袖を引っ張って隠した。

センは目を逸らす。


ユウトがポケットへ手を入れる。


そして。

小さな木彫りを取り出した。


ユウト

「ほら」


センが受け取る。

驚くほど軽い。

それでいて。

繊細な彫刻だった。


ユウト

「ツバメだ」


センの胸が締め付けられる。

兄を見上げる。

その目には。

尊敬と。

憧れと。

愛情があった。


セン

「ありがとう……」


ユウト

「今度、一緒に作ろう」


ユウトが笑う。


ユウト

「お前の分と。

俺の分」


セン

「えっ!」


顔が明るくなる。


セン

「彫り方、教えてくれるの?」


ユウト

「もちろん」


口元に笑みを浮かべる。


ユウト

「そうすれば、

ようやく俺に張り合える相手ができるからな」


センが満面の笑みを浮かべる。

木彫りのツバメを胸に抱きしめた。


***


夜が酒井家の屋敷を包む。

十二歳のセンが庭を歩いている。


何度も後ろを振り返りながら。

凍った砂利が足元で音を立てる。

ジャリッ。

ジャリッ。


センは足を止める。

木々に隠された小さな離れ。

古びた木造の建物だ。

隙間だらけの板壁の向こうから。

かすかな灯りが漏れている。

揺れている。

生きているように。


センはゆっくりと手を伸ばす。

軋む扉を押し開けた。

_


小屋の中には木屑と樹脂の匂いが満ちている。

削りたての木の香り。

床一面には木屑が散らばっていた。

まるで金色の絨毯のように。


オイルランプの灯りが壁を照らす。

揺れる影が小屋の中で踊っていた。

奥には簡素な作業机。


その前にユウトが座っている。

ナイフを手に。

木片を削りながら。


ユウトが顔を上げる。

そして悪戯っぽく笑った。


ユウト

「セン!

魔女に見つからずに来られたか?」


センは慌てて振り返る。

すぐに扉を閉める。


セン

「たぶん……

気付かれてないと思う」


ユウトが小さく笑う。


ユウト

「上出来だ」


センが近づく。

兄の隣へ腰を下ろす。

少しだけぎこちなく。

沈黙。


しばらくして。

センがおそるおそる顔を上げる。


セン

「ねぇ、ユウト……」


言いづらそうに。


セン

「田辺さんって……

いつか僕たちのこと好きになってくれるかな」


ユウトの手が止まる。

ナイフが宙で静止する。

笑みが少しだけ消えた。

視線を木片へ落とす。

少し考える。


ユウト

「無理だと思う」


静かな声。


ユウト

「自分の子供じゃない子を、

無理に愛することはできないからな」


センが俯く。

聞かなければよかった。

そんな顔だった。

ユウトはそれに気付く。

そして小さく笑った。


ユウト

「でもさ」


センが顔を上げる。


ユウト

「お前が寂しくならないくらいには、

俺がお前のこと好きだから」


優しい声。


ユウト

「だから心配するな」


セン

「でも……

僕たち本当の兄弟じゃないよ?」


ユウト

「何だよそれ」


セン

「だって……

血が繋がってないし」


ユウトがナイフを置く。

そしてセンの方へ身を乗り出した。


ユウト

「セン」


真っ直ぐな目。


ユウト

「血なんかじゃ人は繋がらない。

(短い沈黙。)

誰と一緒にいるかは、

心が決めるんだ」


ユウトが微笑む。


ユウト

「俺は、

お前の兄になるって決めた」


二人の視線が重なる。

言葉はない。


だが。

そこには確かなものがあった。

二人を結ぶ絆は何よりも強かった。


やがて。

ユウトがセンの肩を軽く叩く。

少し照れ隠しをするように。

話題を変える。


ユウト

「ほら」


再びナイフを手に取る。

木彫りへ視線を戻す。


ユウト

「木の声を聞くんだ」


セン

「木の声?」


ユウト

「どんな木の中にも、

最初から形は隠れてる」


ゆっくり刃を滑らせる。

木屑が落ちる。


ユウト

「俺たちはそれを外へ出してやるだけだ」


刃の先から。

少しずつツバメの翼が現れる。

木屑が雪のように舞う。

センが身を乗り出す。

目を輝かせながら。


セン

「でも……

どこを削ればいいの?」


木片を見つめる。


セン

「僕にはただの木にしか見えない」


ユウトが笑う。


ユウト

「最初はみんなそうだ。

「俺も何も見えなかった」


木片をセンへ渡す。


ユウト

「目を閉じてみろ」


センが目を閉じる。


ユウト

「何を感じる?」


センが眉を寄せる。

指先で木の表面をなぞる。


セン

「……丸い」


少し考える。


セン

「鳥の頭……

かな?」


ユウト

「正解」


嬉しそうに笑う。


ユウト

「次はお前の番だ」


センも少し笑う。

ユウトがナイフを差し出す。


ユウト

「一本だけでいい」


センが緊張する。


ユウト

「力はいらない」


優しい声。


ユウト

「木を撫でるみたいにな」


センが恐る恐る刃を入れる。

少し滑る。

不格好な傷が残る。

センの顔が強張る。


セン

「失敗した……」


ユウトが手を伸ばす。

センの手を包むように。


ユウト

「違う」


ゆっくり導く。


ユウト

「失敗も彫刻の一部だ」


小さく笑う。


ユウト

「きっといい味になる」


それからしばらく。

二人は並んで木を削る。

聞こえるのは。

刃が木を擦る音だけ。

やがて。

小さな翼が形になる。

センが顔を上げる。

目を輝かせながら。


セン

「ユウト!

見て!」


嬉しそうに木片を掲げる。


セン

「僕が作った!」


ユウトが笑う。

温かい笑顔だった。


ユウト

「ほらな」


センを見る。


ユウト

「最初からお前の中にも、

ツバメはいたんだ」


センがポケットへ手を入れる。

以前ユウトから貰ったツバメ。

丁寧に彫られた木彫りだ。

それを机の上へ置く。


そして。

今作ったばかりのツバメを隣へ並べた。

二羽のツバメ。

不格好で。

けれどよく似ている。


ユウト

「きっとはぐれないさ」


センが顔を上げる。


ユウト

「たとえ風に流されてもな」


センは二羽のツバメを見つめる。

まるで宝物を見るように。


_


原の執務室地下――秘密の部屋。

センが勢いよく目を覚ます。


セン

「ユウト!!」

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