揺らぐ確信
地下駐車場――夜。
蛍光灯が不規則に明滅する。
湿ったコンクリートを青白く照らしながら。
地下駐車場から人が少しずつ消えていく。
四人の警備員が車の列の間を歩いている。
ジャケットは開けたまま。
肩には鞄。
警備員
「今日は散々だったな……」
警備員
「ああ。
爆発のせいでみんな神経質になってる」
小さな笑い声。
足音が響く。
その時――
空気が変わる。
まるで禍々しい何かが。
ゆっくりと近づいてくるように。
一人の警備員が足を止める。
警備員
「……おい。
何か感じないか?」
全員が立ち止まる。
駐車場の奥。
一つの人影が立っている。
男だ。
濃密な闇のような気配を纏っている。
二十六歳。
茶色の髪。
凍りつくような緑の瞳。
幾つもの修羅場を潜り抜けてきたような顔。
だが――
その瞳の奥には。
どこか子供のような光が残っている。
警備員
「おい!
ここは立入禁止区域だぞ!」
返事はない。
男が一歩前へ出る。
蛍光灯が激しく明滅する。
世界が揺らぐ。
距離感がおかしくなる。
近い。
いや遠い。
男の位置が定まらない。
警備員
「なっ――」
掌底。
喉へ。
正確に。
静かに。
警備員が声もなく崩れ落ちる。
警備員
「クソッ!」
残る三人が警棒を抜く。
空間が歪む。
男が突然目の前に現れる。
警備員の腕を掴む。
逆方向へ折り曲げる。
嫌な音。
悲鳴。
別の警備員が背後を取ろうとする。
肩を掴んだ――
はずだった。
手は空を切る。
男は怒りも見せない。
焦りもない。
一つ一つの動作が正確だ。
計算されている。
静寂。
不自然なほどの静寂。
最後に意識を保っていた警備員が立ち上がる。
息も絶え絶えに。
男は何事もなかったようにシャツのボタンを整える。
争った痕跡すらない。
冷煌
「さて。最初からやり直そう」
警備員
「な……
俺に何の用だ……?」
冷煌が拳を振るう。
鋭く。
正確に。
脇腹へ一撃。
骨は折らない。
だが痛みだけは確実に残す。
警備員が呻く。
半ば崩れるように床へ落ちる。
冷煌がしゃがみ込む。
目線を合わせるように。
冷煌
「岡部直人」
短い沈黙。
冷煌
「爆破事件当日。
お前は現場の警備責任者だったな」
岡部の顔が強張る。
冷煌
「爆破当日。
お前の区域で使われた臨時パスは何枚だ?」
岡部が目を瞬かせる。
予想外の質問だった。
岡部直人
「な……
何だって……?」
その瞬間。
岡部の身体が激しく痙攣する。
理由もなく。
痛みに悶える。
岡部直人
「み……三枚……
いや……
四枚だ」
冷煌
「身元確認はしたのか」
岡部直人
「していた……
有効な認証だった……
中央システムから発行されたものだ」
冷煌がわずかに首を傾ける。
冷煌
「中央システムが痕跡も残さず、
複数の臨時入館証を発行することはない」
岡部が悲鳴を上げる。
冷煌
「何を見た」
岡部直人
「ログに……
記録があった……」
冷煌
「何の記録だ」
沈黙。
岡部直人
「署名だ……」
冷煌
「誰の」
長い沈黙。
岡部直人
「シェイド」
***
原の執務室の地下――
秘密の訓練室。
ミナは大広間を囲む側階段を上る。
扉を開く。
センはまだベッドの上に横たわっていた。
意識は戻っていない。
ミナがゆっくりと近づく。
ベッドの傍で立ち止まる。
そして息を吸う。
ミナ
「本当に……
倒れるのだけは得意だよね」
沈黙。
ミナはゆっくりと片方の手袋を外す。
少しだけ躊躇う。
呼吸が浅くなる。
そして――
そっと手を伸ばす。
センの手へ。
あと少し。
ほんの数センチ。
時間が止まったような静寂。
その時。
信夫
「ミナ?」
ミナが飛び上がるように振り返る。
信夫が入口に立っている。
信夫
「何してるんだ?」
信夫はその場から動かない。
視線がミナの素手へ向く。
そして。
眠るセンへ。
重い沈黙。
ミナ
「別に……」
慌てて手を引っ込める。
ミナ
「ちゃんと生きてるか確認しただけです」
信夫は何も言わない。
だが信じていない。
部屋へ入る。
信夫
「そんなことしちゃ駄目だって、
お前も分かってるだろ」
ミナはため息をつく。
視線を落とす。
ミナ
「使えないなら……
こんな力、何の意味があるんですか」
信夫
「アウレアスは危険すぎる」
信夫が真顔になる。
信夫
「導きなしで使えば、
相手に――」
信夫とミナ
「人格崩壊か精神昏睡を引き起こす」
ミナ
「分かってます」
信夫が小さく笑う。
ミナ
「お母さんが生きてたら」
視線を落とす。
ミナ
「使い方を教えてもらえたのに」
信夫は答えない。
沈黙。
ミナ
「センは……
もうすぐ目を覚ましますか?」
信夫
「身体の方は回復している」
センへ視線を向ける。
信夫
「だが……
あいつがやったことは」
言葉を選ぶ。
信夫
「俺たちの知識の外にある」
信夫がベッドへ近づく。
ルーンが残した痕を見つめる。
信夫
「あるいはセンは……」
小さく呟く。
信夫
「守護者なのかもしれない」
原慧
「守護者にルーンを発動する力はない。
連中にできるのは、
トラマを読むことだけだ」
ミナと信夫が振り返る。
原が扉の前に立っていた。
その時――
センの指先が動く。
ほんのわずかに。
ミナの息が止まる。
ミナ
「……セン?」
瞼が震える。
だが開かない。
呼吸だけが少しずつ深くなる。
規則正しく。
それだけだ。
目は覚めない。
信夫
「ミナ」
優しい声。
信夫
「上に戻れ。
目を覚ましたら知らせる」
ミナは動かない。
視線だけがセンに向いている。
やがて。
ゆっくりと頷く。
そして部屋を出ていく。
何度も振り返りながら。
原慧
「信夫。
お前もだ」
信夫が原を見る。
原慧
「もうすぐ生徒たちが出てくる」
信夫は最後に一度だけセンを見る。
そして無言で部屋を後にした。
静寂。
原だけが残る。
椅子を引く。
ベッドの向かいに腰を下ろす。
両手を組む。
動かない。
視線はセンの肌に残る痕へ向いている。
ルーンが焼き付けた傷跡。
小さな吐息が漏れる。
長い間なかったことだ。
原慧は――
迷っていた。
***
酒井邸――隼人の執務室。
酒井隼人は壁に飾られた一枚のタペストリーを見つめている。
古いものだ。
手織りで作られている。
幾世代もの人々が描かれていた。
赤い一本の糸によって。
顔から顔へ。
まるで傷跡のように繋がっている。
隼人は何の前触れもなく手を伸ばす。
そして。
タペストリーを引き剥がした。
布が床へ落ちる。
その裏。
壁の中には現代的な金庫が隠されていた。
隼人が暗証番号を入力する。
金属音。
扉が開く。
中には三つの首輪。
古く。
丁寧に保管されている。
そして――
四つの空いた場所。
扉がノックされる。
酒井隼人
「入れ」
扉が開く。
そして静かに閉じる。
冷煌が部屋へ入ってくる。
無言のまま。
冷煌酒井
「監視カメラには何も残っていません」
短い沈黙。
冷煌酒井
「エルナの保持者かもしれません」
隼人の目がわずかに細まる。
酒井隼人
「エルナ……沈黙の息吹」
隼人は静かに続ける。
酒井隼人
「保持者が平静を保っている限り。
意識に映らない。
音も。
意図も。
精神的な存在感すらも」
小さく笑う。
酒井隼人
「実に興味深い首輪だ」
重い沈黙。
やがて隼人は首を振る。
酒井隼人
「だが違う」
金庫を閉じる。
酒井隼人
「エルナが欺けるのは人間の認識だけだ」
鋭い音。
金庫の扉が閉まる。
酒井隼人
「監視カメラまでは騙せない」
視線を上げる。
酒井隼人
「この建物に誰にも気付かれず侵入することは不可能だ」
短い沈黙。
酒井隼人
「建物を熟知している者でもない限りな」
冷煌酒井
「もう一つ」
隼人が視線を向ける。
冷煌酒井
「入館記録のログに署名がありました。
シェイド」
隼人が眉をひそめる。
酒井隼人
「シェイド?」
沈黙。
酒井隼人
「その名前の意味を調べろ」
冷煌酒井
「承知しました」
冷煌が踵を返す。
酒井隼人
「冷煌」
足が止まる。
酒井隼人
「原慧という男を調べろ」
短い沈黙。
酒井隼人
「センの高校の校長だ」
隼人の目が細まる。
酒井隼人
「奴の目……
どこかで見た気がする」
冷煌がわずかに頭を下げる。
そして部屋を後にする。
扉が静かに閉まった。




