傷跡
原慧は、気を失ったセンを抱えている。
センの身体から流れる血が、隠し部屋へ続く階段へぽたぽたと落ちていく。
一歩進むたびに、原の腕の筋肉がわずかに強張る。
それでも、その目は揺るがない。
やがて執務室へ辿り着く。
ミナがいる。
信夫の隣で立ち尽くしている。
センの姿を見た瞬間――
ミナの顔から血の気が引く。
身体が固まる。
呼吸さえ止まりそうになる。
原慧
「心配するな……
生きている」
空気が重い。
息苦しいほどに。
誰も、すぐには言葉を見つけられない。
信夫
「……保健室へ運びましょう」
***
原慧は、誰もいない校舎の長い廊下を歩いている。
その腕の中で、センは動かない。
意識を失ったまま。
頭は、大人の肩へ静かに預けられている。
血はまだ制服へ染み込んでいた。
腕を伝い、ゆっくりと滴り落ちる。
一定の間隔で、床へ赤い雫を残しながら。
原の足音だけが、小さく廊下へ響く。
重たい空気に飲み込まれるみたいに、その音さえ鈍い。
原は視線を落とす。
センを見る。
その目が、わずかに変わる。
鋭く。
揺らぎ。
そして、どこか遠くを見るように。
まるで、苦しみを押し殺しているみたいだった。
それでも原は歩き続ける。
無言のまま。
決意を宿したまま。
胸の奥へ沈めた何かを、決して表へ出さないまま。
***
原慧が勢いよく保健室の扉を開ける。
中では、ミナと信夫が部屋の準備をしていた。
原はセンをベッドへ寝かせる。
荒っぽい動作の中にも、どこか父親みたいな慎重さが混ざっていた。
センは動かない。
呼吸は浅い。
顔色も悪い。
その時――
扉が勢いよく開く。
日野先生が駆け込んでくる。
息を切らしながら。
彼の視線はすぐに、意識を失ったセンへ向く。
そして――
その場で立ち止まる。
衝撃を受けたみたいに。
日野先生
「……ここまでやる必要、本当にあったのか?」
原は表情を変えない。
声も落ち着いたまま。
原慧
「日野。
ミナの訓練に付き合ってやってくれ」
ミナ
「は?
嫌。私ここにいる」
原慧
「提案じゃない」
ミナは、原の強い視線に逆らえない。
小さくため息をつく。
そして父親と共に保健室を出ていく。
静寂。
信夫と原は、記者たちの件以来ほとんど口を利いていなかった。
空気が重い。
張り詰めている。
信夫はセンの傷へ手当てをしながら、原を見る。
一方の原は、椅子へ腰掛けたまま黙っている。
信夫
「……ここまでする必要はなかっただろ」
原慧
「センの怪我のことか?
それとも、記者の件か?」
信夫
「両方だよ」
冷たい空気。
原慧
「センが進む道は、厳しいものになる」
原は静かに続ける。
原慧
「時には、感情に流されそうになることもあるはずだ。
沈黙。
原慧
「センが、自分の怒りを抑えられるのか……
それとも、その怒りに飲み込まれていくのか。
俺は、確かめる必要があった」
信夫
「……それで?」
原はセンへ視線を落とす。
原慧
「一度も反撃しなかった」
信夫
「お前も少しは見習ったらどうだ」
沈黙。
原はすぐには答えない。
やがて立ち上がる。
帰るつもりのように。
原慧
「……お前には、話しておくべきだった」
原が扉へ向かおうとした瞬間。
信夫が呼び止める。
原が足を止め、振り返る。
信夫
「センがこの学校に来るって聞いた時……
俺は、お前が坂井に近づくために、あいつを利用するんだと思ってた。
(間)
表向きだけでも、手を組むつもりなんだってな」
短い沈黙。
空気が張り詰める。
信夫
「でもまさか……
あんな少年まで傷つけるとは思わなかった。
……まして、俺に嘘までつくなんてな」
長い沈黙。
原慧
「……悪かった」
信夫が一歩近づく。
だが、原はそれ以上何も言わせない。
そのまま、保健室を後にする。
***
(数か月前。)
星守高校の豊かさをすぐに感じ取れるが、鏡ヶ丘高等学校ほど派手ではない。
センは廊下を歩きながら周囲を見ない。
フードをかぶり、だるそうな足取りは、空気に漂う優秀さのオーラと対照的だ。
まるで間違った扉を開け、整いすぎた世界に迷い込んだかのようだ。
いつものようにポケットに手を入れ、目立たないように通り過ぎようとする。
それはもう第二の天性になっている。
周りの生徒たちが話している声も、窓に水が流れるようにセンの耳を素通りする。
立ち止まらない。
誰も見ない。
ただ歩き続ける。
しかし…
違和感がある。
ごくわずか。
匂い。
暖かさの気配。
高校には似つかわしくない何か:
焦げた匂い、通気のせいかと思えるほど微かに。
センは眉をひそめる。
後ろで乾いた音が響く。
振り返る。
何もない。
ただの廊下。
普通すぎる。
あまりにも普通。
歩き続ける。
しかし進むにつれて、周囲の色が抜けていく。
壁は暗く見える。
影が長く伸びる。
角の床タイルが…熱でひび割れたように見える。
センは唾を飲み込む。
頭を振り、奇妙な廊下から早く抜けようと足を速める。
しかし教室の前を通り過ぎると、何かが彼を止める。
窓ガラスの反射の中、肩越しに…
男。
よく知る顔。
二十八歳の視線。
血まみれ。
センは振り返る――
何もない。
誰もいない。
呼吸が速くなる。
――「おい、酒井?大丈夫?」
急に振り向く。
一人の生徒。
同い年くらいの男の子、心配そうな顔。
しかし、一瞬――微かな心拍の間――
顔が歪む。
そしてセンはもう一人を見る。
自分を苦しめる壊れた顔。
死んだ目。
血。
センは激しく後ずさる。
――「酒井…?」
何も聞こえない。
廊下が震え、二重に、重なり合う:
高校。
酒井邸。
高校。
邸宅。
足元の床が振動する。
そして突然――
全てが燃え上がる。
頭の中で。
もはや高校ではない。
もはや現在ではない。
もはや自分ではない。
ユウトの手が落ちるのを思い出す。
血まみれの顔。
そして背後――
黒い服の男。
現実ではないとしても、衝撃はリアルだ。
パニックが怒りに変わる。
自分のものではない怒り。
センは叫び、黒服の男に飛びかかる。
映像が溶ける:
拳、叫び声、震える床、
目の奥の赤い閃光。
セン
「死ね!!聞こえるか?!死ね!!」
センは打つ。
また。
そしてまた。
遠くの声
「酒井!酒井!!」
センの拳はリズムも制御もなく振るわれ、まるで体が言うことを聞かなくなったかのようだ。
一つ一つの衝撃が耳に響き、呼吸を妨げる。
関節が燃える感覚を覚えるまで殴り続ける。
セン
「死ね!!!」
手が彼の腕を掴み、強く引く。
廊下は元に戻る。
残るのは煙の匂いだけ…おそらく記憶の中だけ。
センは自分の手を見る――赤い。
先生は叫ぶが、彼はその叫びを聞かない。
生徒たちはパニックになるが、センは叫び声を聞かない。
目の前で、生徒が血まみれの顔で倒れている。意識はなく、動かない。
_
静寂。
真っ白な静寂、あまりに白い。
センがぱっと目を開ける。
天井がわずかに揺れて見える、まるで夢から引き剥がされたかのようだ。
蛍光灯の冷たい光が一瞬、目を眩ませる。
消毒液の匂いに、思わずむせそうになる。
何度も瞬きをして、自分がどこにいるのかを理解する。
保健室。
呼吸は速く、乱れている。
体を起こそうとするが、肩に鋭い痛みが走り、再び倒れ込む。
手は震え、喉が締めつけられる。抑えきれない嗚咽がこみ上げる。
隣には、日野先生が椅子にだらりと座り、頭を垂れて眠っている。
目を覚まさない。
センはまたひとつ、破れた息を抑え、涙が目に溢れる。
その時、小さな頭が扉の隙間からのぞく。
ミナだ。
センはまだ湿った目で彼女を見る。
ミナは動けず、その視線をそらせない。
彼の脆さを目の当たりにする — 想像もしなかった脆さ。
その表情、その瞳… センの顔にあるとは思えなかった。
ミナは慎重に、そっと近づく。
ミナ
「酒井…?」
声は柔らかく、儚く、耳を澄まさなければ壊れてしまいそうなささやき。
センは視線を逸らし、袖で不器用に目をぬぐうが、指は震え、何も隠せない。
頬が恥ずかしさで熱くなる。
自分がガラスでできているかのようで、言葉ひとつで砕けそうだ。
ミナの軽い足音が部屋に響き、ついに日野先生を目覚めさせる。
日野先生、まだ眠そうに、しかし急に体を起こして:
酒井…気分はどうだ?
日野先生はベッドのそばに寄り、心配そうに見る。
センはしばらく視線を逸らす、まるで自分の中を簡単に読まれたくないかのように。
セン
「大丈夫…」
日野先生
休んでいたほうがいい。体は明らかに—
セン
「いや。
会わなきゃいけない人がいる」
言葉は鋭く、速く飛び出す。




