呼ぶ声
夕陽が沈んでいく。
学園は静まり返っていた。
見回りは減っている。
――だが、完全になくなったわけじゃない。
センの部屋の窓が開く。
赤いバッグを背負ったまま、センは窓を乗り越える。
薄暗い公園の中を進んでいく。
警備員たちの巡回を避けながら、静かに。
隙を見つけると、そのまま本館へ忍び込む。
そして――
数日前、ミナに教えられた侵入ルートを辿っていく。
教師用廊下の奥。
非常口の扉。
センは足を緩める。
一歩ごとに、足音が小さくなる。
手を伸ばす。
指先がドアノブに触れかけた、その瞬間――
誰かの手が肩に置かれる。
センは飛び上がる。
ミナ
「何してる?」
セン
(小声で)
「っ……ビビらせんなよ、日野!
何してんだお前?!」
ミナ
「ここ、父親と住んでるんだけど」
セン
「へえ、そりゃどうも。
俺は今、脱出しようとしてる」
センは再び扉へ向き直る。
ミナ
「私なら、それ開けないけど」
センはため息をつく。
セン
「……なんで?」
ミナは扉の上にある、小さな赤いランプを指差す。
点滅している。
そして、少しだけ笑う。
ミナ
「警報鳴らしたいなら別だけど。
(間)
そのまま家まで送還されたいならね」
センが小さく笑う。
セン
「家に帰るくらいなら、
(間)
一生この学校に閉じ込められてた方がマシだ」
ミナはセンを見る。
驚いたように。
本当に。
ミナ
「……じゃあ、どこ行くの?」
沈黙。
セン
「どっか」
ミナはじっと彼を見る。
少し考えて――
ミナ
「じゃあ、私も行く」
セン
「は? 無理。絶対連れてかない」
ミナ
「外に出たいなら、私も連れてって」
ミナは警報ボタンの近くに指を置く。
ミナ
「じゃなきゃ――
(少し笑って)
試しに押してみようかな」
セン
「おい、それ脅迫だろ」
ミナ
「えー、なんで?
(少し笑って)
なんか覚えでもあるの?」
センが、わずかに笑う。
ミナも笑った。
***
バスが停車する。
機械音とともに、扉が開く。
ミナが先に乗り込む。
まるで初めて見る世界みたいに、車内の座席を一つひとつ見回している。
その後ろを、センが続く。
そしてすぐに気づく。
ミナを見ている男。
軽蔑と好奇心が混じったような視線。
センの目が、その男を捉える。
黒く、動かない視線。
男は即座に目を逸らした。
センはそのまま進み、空いている席へ座る。
少しして、ミナが隣へやって来る。
柔らかさと悪戯っぽさの混じった表情。
口元には、小さな笑み。
センはため息をつく。
少しだけ、ミナの方へ顔を向けながら。
セン
「……窓側、座りたいんだろ」
ミナは呆れたように目を上げる。
だが、笑みは消えない。
ミナ
「そんなに優しく言ってくれるならね」
ミナが軽くセンを押す。
二人は席を入れ替わる。
ミナは窓に頭を預ける。
流れていく街の灯りを、夢中になって見つめていた。
センは、そんな彼女をしばらく見つめる。
静かに。
まるで、守るみたいに。
***
寝室も兼ねた小さな研究室で、日野先生は一つの資料を読んでいた。
表紙には――
『糸の守護者』。
発行元には、酒井インダストリーズの名前が記されている。
そのとき――
扉がノックされる。
日野先生
「どうぞ……」
扉が開く。
原慧が入ってくる。
静かに。
だが、その存在感は圧倒的だった。
日野先生はわずかに肩を揺らす。
日野先生
「……原?
お前、ここに来ることなんてほとんどない」
原慧は散らかった部屋を見回す。
原慧
「今、理由を思い出した」
日野先生は気まずそうに、物で埋まった椅子を片づける。
日野先生
「悪い、ちょっと散らかってて!」
原慧
「気にするな」
慧は部屋を歩き回る。
そして、小さな本棚の上に飾られた写真に目を止める。
本の隙間に並ぶ写真。
若い研究者たち。
笑っている。
まだ何も失っていなかった頃みたいに。
原慧
「……タミは、お前のそういうところが好きだった」
日野先生
「そういうところ?」
原慧
「お前の家族観だ」
日野先生
「お前もだろ」
原慧
「俺は……感情に関しては、まともに歩けない人間だ」
日野先生
「好きな人を守る時に、足を引きずってるお前なんて見たことないけどな」
重い沈黙が落ちる。
原慧
「……この前は悪かった。
お前に、ミナに対する権利はないなんて言って」
日野先生
「別に気にしてない」
原慧
「いや。
タミは、お前を信じてミナを託した。
なのに俺は……その想いを侮辱した」
日野先生
「タミはお前のことも信じてた。
でも時々……お前の復讐心が怖くなる」
再び沈黙。
慧は静かに腰を下ろす。
どこか疲れた表情で。
原慧
「……もう、どうすればいいのか分からない。
今さら引き返せないんだ。」
日野先生
「だったら、あいつに選ばせればいい」
原慧
「誰に?」
日野先生
「酒井セン」
原慧は思わず笑ってしまう。
原慧
「冗談だろ?」
日野先生
「どうせ……ミナは、お前とそこまで相性がいいわけじゃない。
(沈黙)
案外、酒井の方が守護者に向いてるかもしれない」
原慧は眉をひそめる。
意外そうに。
原慧
「何を言ってるんだ。
酒井が守護者だと?」
(間)
そんなの、この世で一番皮肉だろ」
日野先生
「でも、お前の敵の息子を引き込めたら――
隼人への一番の攻撃になる」
原慧は深く息を吐く。
その目に、わずかな疲労が滲む。
原慧
「……まさか、お前からそんな話を聞くとは思わなかった」
日野先生
「お前はセンを利用するつもりなんだろ。
俺はミナを守りたい。
だったら……
この状況をうまく使うしかない」
二人は無言で見つめ合う。
言葉はない。
だが、互いの考えは理解していた。
やがて慧は立ち上がり、出口へ向かう。
原慧
「助言には感謝する。
……あと最後に一つ」
ドアの前で立ち止まる。
原慧
「この部屋、少しは片づけろ。」
日野先生は気まずそうに笑う。
日野先生
「……善処するよ」
***
バスが街外れで停車する。
近くには、公園。
ほとんど人のいない停留所。
日の光は、もうほとんど消えかけている。
センとミナがバスを降りる。
ミナ
「えっと……来たかった場所って、ここなの?」
センはすぐには答えない。
ただ、公園を見つめている。`
セン
「早く来い」
センは歩き出す。
ミナも、その後を追う。
_
センとミナは、公園の奥までやって来る。
海を見下ろす崖の近く。
夕陽が、最後の光を落としていた。
ミナは思わず見入ってしまう。
風が木々の葉を静かに揺らす。
広がる海面は、夕陽を反射して淡く輝いている。
周囲には誰もいない。
あるのは、二人と――遠くで響く波の音だけ。
センはベンチに腰を下ろす。
ミナ
「ここ、よく来るの?」
セン
「昔はな。
(間)
兄貴と一緒に」
ミナも隣に座る。
センの方は見ない。
少しだけ視線を落とす。
ミナ
「私――」
セン
「……無理に話さなくていい」
ミナは小さく頷く。
それ以上、何も言わない。
沈黙が流れる。
心地いいのに、どこか重い沈黙。
セン
「ここには、あれ以来来てなかった」
視線は、ずっと海に向いたまま。
セン
「……なんとなく、分かってた気がする。
(間)
もし一人でここに戻ってきたら――
俺は、帰らないって」
沈黙。
風が、二人の間を通り抜ける。
ミナ
「……私のお母さん、五歳のときに亡くなったの」
センがミナを見る。
ミナは海を見つめたまま。
ミナ
「私も、こういう場所があればよかった。お母さんのこと、考えられるような」
沈黙。
セン
「……っていうか、なんで学校に住んでるんだ?」
ミナ
「説明するの、難しいんだよね……」
そのとき――
ミナの肩越しに、センの視線が止まる。
男。
暗闇の中に立っている。
黒い服。
センは、その男を見つめる。
なぜか、顔が見えない。
まるで仮面でもつけているみたいに。
目が離せない。
恐怖はない。
警戒もない。
ただ――視線を逸らせない。
謎の声
「……セン」
その瞬間――
センの表情がわずかに歪む。
頭の奥を、何かが刺したみたいに。
セン
「っ……」
ミナ
「酒井? 大丈夫?」
セン
「……ああ、大丈夫。
(男の姿は消えている)
行こう。
原にバレる前に戻った方がいい」
センとミナは立ち上がる。
そのまま、バス停へ向かって歩き出した。
***
夜の気配が、少しずつ街を包み始める。
センとミナは、バス停でバスを待っていた。
冷たい夜風が、頬を撫でていく。
ミナ
「ねえ……もし私を動物で例えるなら、何だと思う?」
セン
「リス」
ミナ
「は?」
セン
「ずっと落ち着きなく動き回ってるし、うるさいし、ちょっと鬱陶しい」
ミナ
「ちょっ――リス?!
私ほっぺ膨らんでないし!
どんぐり食べないし!
歯だってあんな大きくないし!」
センは小さく笑う。
少しだけ、からかえたことに満足したみたいに。
その瞬間――
謎の声
「……セン」
セン
「……何だ今の。
日野、お前聞こえたか?」
ミナ
「何の話?」
そのとき――
センは再び見る。
闇の中に立つ、あの男。
男はしばらくセンを見つめる。
微動だにせず。
そして、そのまま暗闇へ消えていく。
センは眉をひそめる。
逃げていく影を、じっと見つめながら。
やがて、ミナを見る。
セン
「……帰り道、分かるよな?」
突然真剣になったセンの声に、ミナは驚きながら頷く。
ミナ
「え……うん。
なんで?」
セン
「ちょっとやることできた。
後で戻る」
ミナ
「は?!
ちょっと、どういう意味――」
ミナが言い終わる前に、
センは足早に走り出す。
あの男を追うように。
ミナ
「酒井!」
ミナだけが、バス停に取り残される。




