第94話 象棋
「旦那様、これでしたら3日もあればお直しできます」
「旦那様というのはよしてくれ」
どうもそんな呼ばれ方をすると尻がムズムズする。
今日は鎧師を自宅に呼んで、鎖帷子の直しを相談しているところである。
ちなみに、この鎧師は普段からトレーニング器具を多数発注している鍛冶屋の紹介で、こうしてあちこち出向いては鎧や装具の直しを請け負っているらしい。
「ヘヘヘ。シュウは実際、旦那様なんだからよ。早いとこ慣れるこったな~、旦那様」
そう言って俺を茶化してくるのは元探索者のブラスで、今は俺の自宅の警護中である。
ちなみにブラスは所帯を持っているので、警護番の時だけ通いで我が家にやってくる。
「テメエはシュウを旦那様と呼ぶだけで、あとは丸っきり元の喋りじゃねえかよ。もっと俺みたいに丁寧な喋りを身に着けやがれ」
ブラスとまったく変わらない荒っぽい口調で窘めているのはベニートで、ブラスとパーティメンバーの元探索者である。
ベニートは独り者なので宿直室をほとんど自室のようにしてしまい、警護番でない時でもほとんど俺の家に居ついてしまっている。
もちろん、もう一人のパーティメンバーである斥候のセルヒオも雇っているが、彼は非番のときはあまり姿を見せないので今も不在である。
家族で住むだけの家に3人も警護を雇うのは過剰かとも思ったが、交代の事を考えると3人は最少人数かも知れない。
まあ、彼らは長期に雇われることを感謝していたので、これからは我が家の警護にチームワークを発揮してもらおう。
「3日で十分だ。ではこの鎖帷子は預けよう」
「いえいえ…、こんな高価な物を持ち帰っては、私の工房に賊が入ってしまいます。道具は持って来ておりますので、お屋敷のお部屋をお借りできれば…」
なるほど、じゃあ3日間は通いで作業をしに来るんだな。
空き部屋はたくさんあるから大丈夫だろう。
「シュウさん、頼まれていた象棋ですよ」
漂人局の勤務から戻って来たエリカが、上等そうな箱を俺に手渡してくる。
そうか、この世界にも将棋があったのか。
俺の曖昧な説明でもエリカはすぐにピンと来ていたようだから、もしかすると過去の漂人の誰かが将棋を持ち込んでいるのかも知れんな。
「おお、ありがとう。エリカは将棋を指せるか?」
「ほんのちょっとですけど…」
よしよし、将棋盤と対戦相手さえいれば不足は無いな。
エリカも指せるみたいだし、この世界にも将棋はかなり普及しているのかも…ん?
箱の中に納められていた将棋盤は敵味方の陣に区切られていて、両陣の間には流れる川の絵が描かれている。
赤黒2種類の駒も象みたいな動物やら戦車やらが精巧に模られていて見慣れないし…、そもそもマスの数も 9 × 9 じゃないぞ…?
両陣の奥地には線がクロスしているところがあって城塞の絵が描かれているし…。
ダメだこりゃ、ルールが想像もつかん。
「スマン、俺の知っている将棋とは違うみたいだ。ルールから教えてくれないか?」
「象棋って違うルールもあるんですか? じゃあ駒の置き方から…」
おっと、まず駒は線の枠内じゃなくて線の交点に置くのか…。
ふむふむ、将棋と比べると玉の動きは随分少ないんだな…えっ、玉と側近は城塞から出られないのか…!?
ふーむ、取った駒を使えないということは、こりゃチェスみたいなものか…?
象は川を越えられなくて…、戦車の動きは飛車と同じでこれは分かりやすい。
駒の動きと最低限のルールだけを教わって指してみるが、当然エリカに敵わない。
うーん、まさか未知のボードゲームを一から覚えることになるとは。
まずはエリカに勝つことを目標とするか…。
「おっ、象棋か! 俺は強いぜ~」
「こりゃいい駒と盤だなぁ、高かったんじゃねえか?」
夕食後に宿直室に将棋盤を持ち込んでみると、ブラスとベニートも指せることが分かった。
どうやら対戦相手を探すことに苦労は無さそうだな。
俺は二人の対戦を眺めながらおおよその定跡のようなものを探っていく。
昼間は二人と剣術ごっこをしていたヴィクトルも、今は俺の脇で熱心に駒の動きを目で追っている。
…どうも駒の精巧な形そのものに興味津々みたいだが。
その後、待ったを巡ってイザコザを起こす二人を宥めたりしながら、俺は近所の老人との勝負に熱くなる爺ちゃんを思い出して、なんだか懐かしい気持ちになっていたのだった。
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