第88話 餞別
太刀を振るって、巨大なタランチュラの魔物を両断する。
こいつには一度不覚を取ったが、もう種が割れているのでなんということは無い。
つまるところ糸の軌道上でしか突進は出来ないのだから、囲まれて身動きが取れないとならない限りはそうそう喰らうものでもない。
…とか油断してると危ないから、気を抜かないようにいこう。
それにしても、この階層は魔物の数こそ膨大ではあるがおおよその種類は出尽くしたように思う。
新たな種類の魔物と遭遇することがないとつまら…いや、油断はするまい。
油断するわけではないのだが、次の階層に至る階段は発見できているし地下5階層はもうこの辺でいいだろう。
隅々まで探索したわけではないが、エレベーターと階段という二つの軸さえ押さえていれば問題ない。
俺は地下6階層へと続く下り階段のある位置を目指す。
通路の曲がり角の先からは、憶えのある魔物の気配。
あと少し行けば地下6階層への下り階段というところで、地下5階層が最後に俺に餞別をくれようというわけだろうか。
床几に腰をおろしているのは、いつぞやの陣屋大名。
相変わらず見覚えのない家紋ではあるが、しかし前回と同じものであることは分かる。
ふーむ、これはどう理解したらよいのか。
迷人というものは一見して日本の武者のように見えても、俺や秋山どののように特定の人物がこの世界にやって来ているわけではないのだろうか…?
いや、どうせ分からんのだ。
余計なことは考えるまい。
俺はゆらり、と曲がり角から姿を現すと両手の肘先のスナップだけで棒手裏剣を放ち、取り巻きの槌鉾迷人ども6人を一息に全滅させた。
驚いた陣屋大名は、太刀を握りしめて立ち上がった。
ふむ、抜き払らわれた太刀も今現在俺が使っている物とそっくり同じだ。
…それにしてもこの陣屋大名。
前回、立ち会った時よりもひどく小さく見える。
これは俺の心が驕り高ぶっているのだろうか?
試してみれば分かるか…。
例によって太刀を水平に構えて真正面を向く陣屋大名に対し、俺はあえて背中の太刀を抜いて大上段に構える。
ぴくっ、と気勢を揺らがせた陣屋大名であったが、優位と見てかじりじりと間合いを詰めてくる。
まあそうだろうな。
具足の防御に自信があるからその構えをしているところに、俺は愚かにも太刀を大上段の構えである。
奴にしてみれば、俺の振り下ろしに後の先で突いても良いし、悪くしても太刀を浴びてからでもよい。
そう思っていることだろう。
それも試してみたらいい。
…ただし貴様の命を懸け金にしてもらうがな。
じりじりと迫る陣屋大名。
俺はほとんど右手一本で頭上に掲げた太刀の柄尻に、緩やかに開いた左手をあてて親指だけを支えにしている。
ますます気勢が充実する陣屋大名。
俺の左手の握りを見逃さなければ不覚はあり得ない、実戦と据え物斬りを勘違いした若造ばら、雑言の数々が聞こえてきそうだ。
そして、するりと顎先まで断ち下ろされる切っ先。
桃形兜の天辺から頭部を両断された陣屋大名は、自身の死に気付いただろうか。
真正面に見据えたはずの俺が、自身の視覚処理の隙間に左手を握り込み、さらには右足を踏み込み、左足も引き付けて、唐竹に振り下された太刀が兜割の奥義を成して見せたことに、気付いただろうか。
かくん、と膝を折った陣屋大名は、すぐに塵となって迷宮に消えていった。
…できるとは思ったがやはり出来た。
まあ奥義と言っても、クラスの恩恵も位階も持たない実在の剣豪に出来たことが、今の俺に出来ないのでは情けないからな。
…いや、待てよ。
実戦の最中に向かい合う相手の兜を断ち割って見せたというのは、さすがに伝説の上でも聞かない話かも知れんな…。
うんまあ、出来たからいいのだ。
深くは考えるまい。
俺は残された戦利品の中から美々しい太刀と立派な脇差を拾い上げた。
現在における最高の武器の予備を持つことが出来て、俺は地下5階層の粋な餞別に大満足である。
さあ、これでもういいだろう。
地下6階層に進もう。
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