第76話 商館
「いいんじゃないか、婆さんはどう思う?」
「あんたたちの家なんだから、アタシのことはいいんだよ。…だいいち立派過ぎて、文句を言えるわけないやね」
「すごーい。広いね、お姉ちゃん」
「お屋敷みたいですね…」
「広い! 広い!」
今日はエリカが探して来た物件を総出で下見しているところだ。
この物件は、元は繊維を扱う商家が建てた商館だとかで、1階は頑丈な石造りで2階は木造建築となっている。
通りに面する正面は広い店舗スペースになっているし、倉庫は薬房に丁度良く、従業員用の部屋数も数多く揃っている。
さらに俺が鍛錬に使用するための広い庭も備えているのだから、本当に要求の通りで申し分ない物件を見つけてくれた。
立地は南区と呼ばれる地域で、これまでよりも迷宮入り口や漂人局からは遠くなってしまうが、まあ大した距離でもないので構うまい。
もちろん、商館を個人が買い取るというのは剛毅な話である。
しかし、先日鑑定に出した短杖が本物の「ワンド・オブ・フレイム」であると判明しているので、それ一つでお釣りが来る予定なのだ。
「はい、では手続きを進めておきますね」
エリカには俺の持つ金のほとんどを預けているので、次の探索の間にでも成約してもらおう。
金を預けると言ったら最初は遠慮されたのだが、そんなもの探索に持ち歩いても意味がないので押し通した。
…万が一、俺が迷宮から帰らないことがあったとしても、財産くらいは残したいからな。
もちろん死ぬつもりは無いのだが、念のためだ。
「それで婆さん、タマラたちも、部屋はどこにしたい?」
「僕はシュウ兄ちゃんの隣がいいな~」
「ダ、ダメよ。ヴィクトル」
「夫婦の部屋は1階におし、どうせ毎晩地震を起こすんだろう? 石造りでないと床が抜けちまうよ。アタシらは2階の部屋にしておくからね」
ドロテア婆さんの直接的な物言いにエリカとタマラは顔を赤くして俯いてしまうが、しかし全くもって正論である。
俺としても皆の安眠を妨害することは本意ではないのだ。
「じゃあ1階の奥の部屋を俺とエリカ、2階に婆さんたちと…、アデリナさんだな」
「はい、母にも伝えておきます」
アデリナさんというのはエリカの母親で、今現在は母娘2人暮らしをしている。
エリカの父親はすでに亡いそうで、アデリナさんを一人残すことも忍びないので、俺から是非にと頼んで移り住んでもらうことにしたのだ。
彼女はおっとりとした雰囲気の中年女性で、先日初めての顔合わせでエリカを娶ることを報告したのだが、「あらぁ、お願いしますねぇ」と二つ返事だった。
またアデリナさんは「子供を10人と聞いていますのでぇ、私も子守りを頑張りますねぇ」とも言っていて、俺はそこで初めてエリカの子沢山願望を知ることとなった。
10人とはさすがに驚いたが、そうと聞いてはなおさら殖産に励まねばなるまい。
なお、アデリナさんの勤め先である服飾工房も南区にあるそうなので、職場が近くなることは大いに喜んでいた。
朝もやの中で俺は顔に剃刀をあてていく。
鏡も無しに手探りだけで髭を剃っているが、俺の場合は大して濃くもないし髭も細いのでこれで十分である。
井戸から冷水を汲み上げて顔を洗うと、眠気が吹き飛んで頭が冴えてくる。
手拭いで顔をふいて勝手口の方に振り返ると、俺の装備を持ったエリカが佇んでいた。
迷宮探索に赴く日を伝えたところ、こうして早朝から見送りに来ているのだ。
俺は受け取った綿襖甲に袖を通しながら、何度もエリカに口づけを贈る。
エリカは俺に腰帯を回しながら、何度も口づけを贈り返してくる。
やがて、啄むような口づけのもどかしさに我慢ならなくなった二人は、熱い吐息を交わして唇を重ね合った。
そうしていつまでも抱き合っていると、やがて起床してきたタマラに目撃されて、俺たちは苦笑しながら身体を離す。
「…お気をつけて」
「戻ったら、10人のうちまず1人目だ」
頬を真っ赤に上気させるエリカを脳裏に焼き付け、俺はポーション店を出発した。
通りはすでに、人々が活動を始める時間に差し掛かっている。
すこし急ぐか。
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