第64話 灯火
エリカに案内されながら不動産の下見をする俺は、この世界の住環境が意外と良いことに感心する思いであった。
下見した物件はどれも奇麗な内装をしており、どうやら婆さんの下宿はずいぶんと老朽化していることに気付かされる。
ふーむ、姉弟が来て手狭になったことだし、いっそポーション店ごと引っ越しを考えてみるのもありかもしれない。
なにしろ空いていた部屋にはタマラたちが起居しているが、さすがに3人では狭すぎるので末っ子のヴィクトルは俺と相部屋になっているのだ。
まあ俺は相部屋でも別に構わないし、ヴィクトルの方もあっという間に俺を兄弟の擬制に組み入れてしまったくらいなので、嫌がってはいないようだが。
とは言えいずれアイツも大きくなるだろうしな。
男二人がいつまでも同室では狭苦しいだろう。
「どうですか、シュウさん? ここなら店子に部屋を貸しながら、シュウさんの生活スペースも確保できますよ」
エリカは今回で決めなくとも良いと前置きしながらも、俺に所感を求めてくる。
そうだなぁ…。
「エリカ。俺は店子に貸すよりも、子供たちの部屋にしたいと考えている」
「…!」
俺の言葉を聞いてエリカは固まってしまった。
みるみる内に頬を上気させてうつむいたエリカは、いつもの威勢はどこへやら蚊の鳴くような小声で問うてくる。
「あ、あの…。それって、もしかして…、その。私が…、私とって、ことですか…?」
俺は一瞬、エリカの質問の意味を測りかねたが、よく考えてみるとタマラたち姉弟の身元はあくまでも漂人局に属している。
たしかに、エリカが便宜を図ってくれない限り、簡単に引っ越しとはいかないかもしれない。
ここは話を通しておくべきか。
「ああ、そうだ。エリカはどう思う、同意してくれるか?」
「あの、あの…。まだそこまでは、こ、心の準備が…」
まあそれもそうか。
姉弟はつい2日前にこの世界にやって来たばかりなのだから、そう急かすこともあるまい。
「分かった。だが、いずれそうするつもりだから、よく考えておいて欲しい」
「はぃぃ…」
エリカは息も絶え絶えと言った様子だが、大丈夫だろうか?
しかし、エリカの言う通りもっと準備を真面目に考えるべきか。
きっとこれからも俺は、迷宮から漂人を拾いあげる機会があるだろう。
大人の漂人ならば漂人局に任せておけばよいが、またタマラたちのように子供の漂人を拾うことも考えられる。
そうなると…、もっと部屋数が多い物件を検討するべきか?
「エリカ。子供部屋は10室くらい設けたいが、どうだ?」
「10…!? そ、そんなに無理ですぅぅ…」
どうも本格的にエリカがオーバーヒートしてきたぞ。
漂人局の勤務終わりに無理をさせてしまったし、これは悪いことをしたな。
最後に下見した物件からの帰り道、俺は次に検討したい物件の要望としてポーション店の店舗部分を併設することや、鍛錬のための広い庭などをリクエストした。
しかし、何を言ってもエリカは上の空と言った様子で、フワフワとした返事を寄こすのみである。
うーん、また日を改めて要望を伝えればよいか。
あ、そうだ。これはいま伝えておこう。
「ところで、エリカ。俺は次回の探索で、例の地下4階層の迷人部屋を攻略するつもりだ」
「…え?」
そう。
先日の瞑想において、ついに迷人部屋攻略への確信が俺の中に生まれたのである。
また戦利品を持ち込んだところでエリカには露見するだろうから、こうして事前に伝えておこうと考えたわけだ。
これならばきっとエリカも…、あれ?
俺を見上げる2つの瞳からは、ぽろり、ぽろりと、大粒の涙がこぼれ落ちていた。
エリカは声を震わせながら俺を糾弾し始める。
「どうして、どうしてですか…? さっきの話は、全部嘘だったんですか!? シュウさんが死んじゃったら、子供部屋もなにも…、ないじゃないですかぁ!」
ついにエリカは顔を覆い、声を放って泣き始めてしまった。
…そうか、そんなにも俺のことを心配してくれるのか。
たしかに俺が迷宮の闇に消えたならば、婆さんのポーション店を移す計画も水の泡となるだろう。
これほど他人のために親身になれる人間がいるとは。
暖かな感覚で心が満たされていく。
ああ、そうか。今わかった。
エリカは地上の灯火なんだ。
いつか俺が迷宮の暗闇に飲み込まれそうになったなら、この暖かな光を目印にして、きっと還ってこよう。
俺はエリカを抱き寄せ、誓う。
「俺は死なない。必ず、戻って来る。これは約束だ」
「…はい」
「そうしたら、物件を決めよう。子供部屋がたくさんある物件がいい」
「…はい」
徐々にエリカの声に力強さが戻り、何かを決意したような返事が返って来た。
よし、分かってくれたか。
あともう少しエリカが落ち着いたら帰路に…、ん? 誰だ。
「ダメだよぉ、お兄さん。往来で泣かしちゃってさ。彼女が落ち着くまで、ウチで休んでいきな」
俺の肩をつついて声をかけてきたのは、ちょうどドロテア婆さんと同じくらいの年頃の老婆である。
…たしかに、さっきから俺たちは通行人にジロジロと見られているな。
この婆さんは店をやってるのか?
丁度いいな、エリカの気分が回復するまで腰を落ち着けさせてもらうか。
「ああ。少し休ませてくれ」
「あいよ。今ならどの部屋でも、好きに選んでいいからね」
ん、部屋?
エリカと抱き合ったまま老婆の店の軒を潜りながら、俺はふと思い出して現在地を脳内で照合する。
あっ、ここはドロテア婆さんの言っていた…。
こりゃマズいぞ、こんなところに連れ込まれてはエリカも怒るに違いない。
叱責を覚悟してチラリと見やると、エリカは目を伏せてしなだれたまま、俺に身を委ねて一言も発しない。
あ、あれ?
どうしてこうなったんだっけ…?
その夜が白むまでに、幾度かそうした疑問が俺の脳裏に浮かんでは、とめどない熱情に押し流され、すぐに消えていった。
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