第36話 解毒
いや、いつまでも興奮してる場合じゃないぞ。
まずは全身の熱傷をどうにかせねば、明らかに命に関わる熱傷面積である。
俺は手探りで腰袋から治癒薬を取り出すと、封を切って一気に飲み下す。
一瞬にして全身の激痛が和らぎ、おぼろげだった視界も無事に戻って来た。
相変わらずの即効性で助かるな。
最悪は気配察知だけでの迷宮移動を覚悟していただけに、視界が戻ったのは本当にありがたい。
手足を確認すると熱傷の痕跡はまだ残っているのだが、これ以上の治療は俺の作るポーションでは難しそうだ。
地上に戻ったらドロテア婆さんの治癒薬を貰おう。
続いて滋養薬を飲み下して、身体の芯がスカスカになっているような虚脱感を回復させる。
これも万全には程遠いが、ダメージも虚脱もまあ5割方回復したというところか。
さて、普通に考えると撤退すべきなんだろうが…、先ほどの斬撃の手応えが脳裏からまだ消えていない。
メラメラと燃える胸の炎が収まらず、今にも俺を迷宮の奥へと衝き動かしてしまいそうだ。
次なる階層への階段はすでに発見している。
あの馥郁と香って来るような、迷宮深部の匂いを身体いっぱいに取り込みたくて堪らないのだ。
…いや、分かってるよ。
万全を期さず蛮勇を持って死地に臨んで、それで果てることはただの犬死だ。
かつての自暴自棄だった俺とは違う。
迷宮の引力に抵抗する自制心も、この世界で俺が身に着けるべき力に違いあるまい。
それに…、こういう場合にいいクールダウン法を俺は得ている。
俺は全身の熱傷痕やボロボロに焦げた装備を確認し、目を閉じて脳裏にイメージを描く。
うん、間違いない。
エリカの叱責確定で、どんどんテンションが下がって来たぞ。
というか迷宮の魅力に興奮してる場合じゃない。
なるべくエリカの怒りを小さく収める方策を考えなければ、下手をすると迷宮出禁になってしまうじゃないか。
エリカ自身は物欲に弱い傾向を攻めればまだ何とかなるが、その背後には漂人局という統治権力の存在があることを軽視してはなるまい。
この世界における俺の身分保証を握っているのだから、行動の自由を制約することも可能に違いないのだ。
素行不良や無頼の類と見なされないようにしなくては。
よし、帰りは漂人局に直行せずに下宿に戻って衣類を着替え、婆さんに頼んで傷も癒して偽装工作を行おう。
衛士のウーゴにも口止めを依頼しないとな。
さて、まずは帰還だ。
これ以上の被害は抑えつつ、戦闘の判断は慎重に行こう。
俺は闇に身を溶かしながら魔物の気配を避け、時に回り道を選んででも戦闘を回避して登り階段を目指す。
もう間もなく目的の階段に到達するという頃、それは起こった。
うーん、余計な遭遇は避けたいわけだが、しかし無視できない事態が発生してしまったぞ。
目の前には、もう見慣れたと言って過言ではない探索者の集団がいる。
「ベリンダ、どうだ? 解毒薬は効いたか」
「…ダメだよ。毒が強すぎて、また…痺れてきた」
ふむ、毒を受けて横たわっているのは両手剣の女戦士で、周囲を囲む仲間達が必死に介抱している。
「こうなりゃ俺が背負って、走って地上を目指すしかねえ!」
これはダリオとか言う前衛の戦士の言だが、ベリンダと呼ばれた両手剣の女は弱々しく首を振って拒否の意思を伝えている。
「馬鹿! 諦めないで!」
「体力馬鹿のダリオなら平気だって! ベリンダは寝てたらいいんだから!」
僧侶風の衣装を着た女探索者やら、例の女斥候のアニタやらが必死に励ましの声を送っているが、全員の青い顔色を見るにどうやら望み薄の選択肢のようだ。
「みんな…、アタシの分も、この世界で、生きて…」
「ふざけんな! お前の分はお前が生きろ!」
うーん、この愁嘆場に割って入るのは気が引けるが、そんなこと言ってる場合じゃないか。
行こう。
「おい、この解毒薬を試してみろ」
「なっ!?」
迷宮の暗がりから急に俺が現れたもんだから、探索者の集団はみな呆気に取られた表情で固まっている。
俺だって余裕がある場面ならもっと穏当に接触したいのだが、仕方ないじゃないか。
「だ、誰!? いつの間に、こんな近くに」
「そんなことはいいから、早くこれを飲ませろ」
「…!」
俺が解毒薬の瓶を差し出すと、目を白黒させていた女斥候のアニタが真っ先に再起動して、瓶をひったくるようにして封を切る。
「ベリンダ。飲んで、お願い!」
すでに意識朦朧といった様子の女戦士の唇に瓶があてがわれ、慎重に中身が注がれた。
一同が緊張しながら見守る中、女戦士の喉が小さく鳴って解毒薬が飲み下されていく。
さあ、俺からも頼むぞ。
ドロテア婆さんの薬効なら間違いないとは思うが、手遅れということはあり得る。
もし救助が成功しなかったならば、この後の空気をどうしてよいやら想像もつかん。
★★★★★やブックマークはもちろんのこと謎スタンプもいただけますとモチベーションになります!




