第150話 道化師
さあ、人魂の群れのせいで時間を消費した分を取り戻して行こう。
部屋の隅にあった転移空間をくぐると、今度の通路は比較的長かったが、やがて突き当りには5つ目の部屋の扉が見えて来る。
…おっと、こりゃあ凄い魔力だ。
部屋の中から漏れ出す禍々しい魔力は、これまでに感じた中では最大のものである。
カタチを見るに人型なのだが…しかし迷人と考えて良いものかどうか。
およそ人間が醸し出す気配ではないというか…。
喜びや悲しみ、冒涜や信仰心…、様々な感情がごちゃ混ぜになって訳の分からない色を成している。
うーん、これは…狂人?
まあ、魔物を相手に話しかけたところで通じたためしはないので、狂っていようがそうでなかろうが構わんのだが。
しかもこちらの気配もすでに察知されているので、これまた奇襲は覚束ない。
…もちろん俺としては呼吸や足音、魔力の漏洩などは完ぺきに抑えているのだが。
人体から発する微弱な生体電波までは抑えようがないので、このレベルの魔物が相手ではもう奇襲は成立しないのかも知れない。
では真正面から行くか。
忍者としてはどうかと思わないでもないが、忍べない物は仕方ないのだ。
戦闘を察した手裏剣たちも喜び勇んで俺の周囲に浮かび上がり、俺は両手に得物を引き抜いて臨戦態勢のまま扉を蹴り開けた。
「…キキ、キャアアアAAAA!!」
そこにいたのは、なるほど狂人…いや、道化師か。
赤と緑の派手な衣装に身を包んだ人型の魔物は長い鷲鼻が特徴的で、その手には錫杖のような棒を備えているがあとは武装の類は見当たらないな。
哭いているのか笑っているのか不分明な貌が不気味で、あたかも人々が思い描く理不尽な死のイメージをそのまま具象化したような…
「キャウ!!」
猛烈な勢いで飛び掛かってきた道化師の錫杖を飛び退って躱すと、俺は空中に残された魔力の残滓の異常性にすぐに気が付く。
「キャウ!! キィアアアAA!!!」
目にもとまらぬ速さで振り回される錫杖は、しかも武術も何もあった物ではないトリッキーさで…こりゃ中々やっかいだな。
刃を合わせることなくステップとスウェーで躱し続ける俺は、やっとこの魔力の分析を終えるところだ。
…なるほど、これは悪魔どもが使うような強力な魔力毒の、そのまたさらに強烈版といったところか。
まるで濃縮された不吉そのものと言うべきか…、身体に受けた者をそれだけで死に誘うかも知れない。
「ヒキィイエエエ E E E!!!」
俺の分析をよそに道化師はますます狂気の気勢をあげ、めちゃくちゃな動きで予測しがたい無軌道の攻撃を繰り出してくる。
つむじ風を巻き起こすように振り回される錫杖と、盛大に振り撒かれる死の魔力に晒されながら…俺は。
もうちょっと身体の慣らしに付き合ってもらおう、と考えていた。
今にも飛び掛かりそうな手裏剣たちに「待て」の指令を飛ばしたのちに、俺は敢えてもう一歩踏み込んで道化師が巻き起こす死の旋風に身を置く。
「ヒキッ…!? キョエアアAAAAAA!!!」
首筋…、脛…、突いて胸…、肩…、また首筋…、その次も首筋。
繰り出される致命の一撃を躱し続ける俺は、一秒ごとに身体能力への慣熟が進むようで心地よさを覚えていた。
まるで銃弾が通過しているような鋭利な風切り音が全周から襲って来る。
ときおりピリピリとしたカマイタチの衝撃が肌を打つので、もしかすると本当に錫杖の尖端は音速に近づきつつあるのだろうか。
…ん、笑ってる?
俺がか?
周囲の手裏剣たちからはドン引きしたような指摘が入る。
いやまあ、笑っていたとすると確かに俺の油断だろう。
…もう少し気を引き締めてかからないとな。
「キョ…キョ…!?」
先ほどまで調子よく錫杖を振り回していた道化師も、少し疲れたのかその手が止まってしまっている。
もう終わりかな…?
おかげでこちらも、身体の感覚がかなり掴めて来たぞ。
あまりにも出力が上がり過ぎてまだ完全とは行かないが…まあ、それでも9分の出来にはなった。
さあ、ここらで終わりにてして…おっ。
「…ギョアアAAAOOOOO!!!!」
やおら道化師が発した咆哮は、濃厚な死の魔力の奔流となって向かってくる。
なるほど、そういうのもあるのか。
「かぁっ!!」
俺は肚から気合を発して死の魔力を打ち消す。
むぐ…。
やはりこれだけの魔力を口から繰り出すと、喉がビリビリとして辛いものがあるな…。
「…キ、………フゥ」
俺が喉元を擦りながらふと見ると、道化師は被っていた派手な頭巾を脱いでその亜麻色の髪を晒していた。
いつの間にか狂気に満ちていたその表情も失われて、端正な顔立ちながら…どこか疲れた様子で無表情の壮年の男になってしまっている。
えーと、戦意喪失なのかな…?
「…ムンッ」
道化師だった男は錫杖をこちらに向けて正眼の構えを取り、その足取りも正統な剣術を修めた剣士のように無駄がない。
なぜ急に雰囲気が変わったのかは良く分からないが…まあ、そういう事なら。
俺も両手の得物を構え直し、腰を沈めて元道化師に正対する。
向かい合うのはほんの一瞬。
…しゅるり。
予兆なく振り下ろされる錫杖。
しかし俺は寸毫の先を取って、元道化師の首をすでに刎ね飛ばしていた。
はらはらと塵となりゆく元道化師の男は、何かから解放されただろうか…?
どうにも無表情な男で、あるいは世の全てを倦んでいたのかも知れないが…。
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