第139話 君侯
鎖を伝って地下10階層の床に再び降りたつと、眼前には変わらず意味不明の文字が刻まれた壁面が見える。
うーん、余計な時間をかけさせられた。
人間をその身体ごと別の空間に転移させてしまうとは、恐るべき罠ではあるが…それをこんな嫌がらせに使うんじゃないと言いたい。
おそらくは魔法的な何かなんだろうが、よく考えてみると俺が頭に嵌めている緊箍児にも同様の力が宿っているのだから不思議は無い。
さて、このL字の通路を右手に向かうと地下1階層の地上付近に転移させられてしまうことが分かった。
次は当然、正面方向に向かって行こう。
クランク状に曲がりくねった通路を歩むと、やがて突き当りに扉が見えた。
身体を寄せて内部の気配を窺うと…、人型の存在が2体。
片方は「破戒僧」タイプの迷人で、しかし同タイプではこれまでで最も強い気配を備えていることが分かる。
そしてもう片方の気配、これも迷人だろうが…計り知れない存在だ。
全身に金属鎧をまとった背の高い迷人で、右手に持った武器の種類は分からないが左手には地面に着くほどの巨大な盾を備えている。
ともかく強烈な魔力が漏れ伝わって来るが、しかしそれでいて…なんというか。
荒々しくも決して卑しくない、むしろ高貴さを感じさせるというか…。
これはどこかで感じた種類の気配だぞ…どこだったか?
…そうか、ボドワンに似ているな。
もちろんボドワンよりもはるかに強大な気配だが、その性質には通じるものがあるのだ。
ふむ、つまりは「君侯」の迷人という訳か。
ボドワンのクラスの性質を参考にするならば、武器による攻撃と「僧侶」の魔法を使い熟すことが予想されるな。
よし、作戦が決まったぞ。
懐でまだかまだかとうるさい手裏剣たちには「破戒僧」の迷人をやるから、俺は「君侯」の迷人だ。
俺は両手の人差し指から小指までの間に手裏剣たちを挟み込み、腕をクロスして…扉を蹴破ると同時に振り抜いた。
喜び勇んで空間を飛翔する手裏剣たちに混じって俺も奔る。
眼前の黄金鎧の「君侯」は凧のような形をした長大な盾を俺に向けながら、右手に握り込んだ長剣をぐっと腰に溜めた姿勢だ。
俺は両手に打刀と槌鉾を握り込んで、まずはけん制の一撃を…。
ヤバい!
急ブレーキをかけて停止する俺の鼻先に剣閃の残滓が煌めく。
予感をもって殺傷圏内に飛び込むことを避けられたが、斬撃そのものは起こりも何もあったもんじゃない光の剣技だ…!
俺は飛び退って間合いを取る。
ヤツの剣の間合いにいるということは、そのまま死を意味するからな。
と、そのとき「破戒僧」の迷人を細切れに切り裂いた手裏剣たちが余勢を駆って「君侯」の迷人に次々と襲い掛かかる。
あ、こら…勝手な真似を。
「…ディヤアアアア!」
室内にビリビリと響き渡る「君侯」の咆哮、それは俺の烈気と似たもので魔力を帯びているらしい。
その証拠に空中で軌道を制御する魔力をかき消された手裏剣たちは、そのまま明後日の方向へ散り散りに飛散してしまった。
そういうことも出来るのか…勉強になったよ。
次なる闘いの参考にさせてもらおう。
兜の奥にある「君侯」の表情は読めないが、苛立ちと嘲りの気炎が揺らめいた気がした。
ふふっ…、俺が生きて帰るつもりでいることが気に喰わないか。
死ぬことを前提としない態度に甘さを見ているか。
俺は両手の得物を収めて、三日月の太刀を引き抜く。
…どう思われようが俺は生きて帰る。
貴様が闘いの業火に包まれていたいのならば止めはしないし、その在り様も分からんではない…が。
どうあれ俺は生きる! 貴様は死ね!
「りぃあああああああ!」
「ズオオオオオオオオ!」
剣の刃と刃が喰い合って、両者が込めた必殺の魔力が激しい火花を散らす。
…光の剣閃を躱すことはできないが、人間の形をしている以上は剣を振って刃が通る軌道は限られる。
ならばその軌道にこちらも剣刃を割り込ませて押し切るのみだ…!
五合、六合と刃を打ち合わせるがここまで全くの互角。
両手に握った国宝がビリビリと唸って、その貴き存在の全てをこの一戦に注いでくれていることが分かる。
…しかし、押し切るためには俺の出力が不足しているか。
公方様から授けられた宝剣をもってして情けないことだが…いや?
光、そうか。
俺は三日月の太刀を八双に持ち上げて、肩の力をふっ…と落とした。
眼前の「君侯」が一瞬たじろいだような気がしたが、俺は視るとはなしに全体に浸透しているのでそんな些細なことはどうでもいい。
俺は鏡のごとき水面だ。
猛き者は猛き姿を映すといい。
その武勇を見事示して見せよ…。
気炎を収束させ研ぎ澄ませる「君侯」は弓を引くように長剣を絞り込んで、光の突きを繰り出す構え。
ヤツは突く、俺は斬り下げる。
両者行動の意図を欺瞞する意図は最早ない。
永遠にも似た須臾が流れ。
刹那。
水面に入射した光は撓められ、屈折して俺の肩を貫き、三日月が美しく煌めいた。
兜の頂点から鳩尾まで黄金の鎧を断ち割られた「君侯」は、その場にがくりと膝を突く。
…ようようと塵と化していく「君侯」は、笑っただろうか。
まるで彼は闘いの渦が終焉することにどこか満足そうな、安堵したような気配をかすかに残して、はらはらと散ってこの世界を去っていったのだった。
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