第138話 地下10階層
よし、身体の芯に火が入ったぞ。
やっとウォームアップが完了した俺は身体を捻じってストレッチを行っている。
…手裏剣たちと交互に魔物を斃したせいで余計に時間が掛かったぞ。
本当にこいつらときたら…、魔物と見るや斃したくて堪え性がないんだから仕方ないもんだ。
ん…? なになに…。
お前も一緒だろ、だと!?
うるさい!
お前たちを迷宮に連れて来なくたって、俺はいいんだぞ!?
俺の横暴に抗議する手裏剣たちとの口論はしばらく続き…。
…いや、こんなことに時間を使っている場合ではないのだ。
今回はいよいよ新階層に突入するので、その準備を行わなくては。
俺の眼前には迷宮の石畳に偽装された床…だった穴が見える。
覗き込むと直下の階層の床が見えるのだが、今いる地下9階層の床の厚さがおよそ10mに加えて地下10階層の空間も高さ10mほどもある。
合わせて20mの垂直移動となるわけで、そのまま飛び降りても着地は可能だろうが帰還手段が無くなってしまうだろう。
そこで用意をして来たぞ。
俺はマジックバッグに手を差し入れ、ジャラジャラと長い鎖を引き出す。
30m以上の鎖は地上でも売っていなかったので、多数を買い集めて鍛冶屋に連結させてみたがまあ問題はないだろう。
この鎖の片方の端を、穴のすぐ近くにある扉の取っ手に括り付けて…と。
もう片方の端を穴に垂らしてみると…よし、ちょうどピッタリ下層の床に接した。
わざわざ縄ではなくて鎖にしたので、まあ意図的な切断を受けなければ大丈夫だろう。
俺は鎖を両手で握って、綱懸垂の要領で腕の力だけで体重を制御しながらスルスルと降りていく。
あっという間に下層の床に降り立つと…頭がクラクラするほど濃密な迷宮の空気が押し寄せて来る。
足先から興奮の震えが身体を昇って、腰のあたりもそわそわと落ち着かない…。
俺はその場で深呼吸を繰り返す。
落ち着け…。
この空気に呑み込まれてはならない。
…きっとここでなら、俺は力尽きるまで闘うことが出来るだろう。
その予感がプンプンとしている。
だがそれはしてはならない。
俺には俺を待つ家族があり、妻には俺の子が宿っている。
必ず生きて帰ることを、闘いの渦中にあっても忘れてはならないのだ。
俺は脳裏にエリカの微笑む姿を思い浮かべる。
…こんな底冷えのする迷宮の奥深くにあってすらも、手を伸ばせばあの暖かさに触れられるような気がしてきた。
よし。
やっと身体の震えが収まったところで、俺は地下10階層の探索を開始する。
まず、眼前の壁面には俺を出迎えるように長文の文字が刻まれているのが見える。
…が、例によってなんと書いてあるやらさっぱり読み取ることができないぞ。
うーん、俺は地上で使われている文字ならば問題なく読めるのだが…。
まあいいか。
次に周囲を見渡すと俺が降りて来た場所は一本道の通路の途中で、L字型の曲がり角になっているな…。
まずは右手に向けて進んでみるか。
さて、鬼が出るか蛇が出るか…。
そういえば鬼は見かけたが蛇はまだ見て無いな。
懐の手裏剣たちからも抑えきれない興奮が伝わって来るぞ。
さあ、この階層最初の魔物はどんなやつだ…?
そのとき、俺の身体は猛烈な浮遊感に包まれる。
なんだ!?
素早く周囲を警戒するが、魔物の気配はない。
魔法攻撃を受けたのかと思ったが…いや、通路の先から近づいて来る気配があるな。
数は5体…やけに弱々しい気配だが、これは擬態だろう。
この魔物どもが行った攻撃なのか…?
果たして俺の眼前に現れたのは、コボルトの集団であった。
一見すると地下1階層で出遭うコボルトと見分けがつかないぞ…、その足取りも動きの様子もそっくりそのままだ。
まるで擬態の正体が掴めないが…ええい、ままよ!
両手に得物を構えた俺は、敵の出方が読めないことに微かな焦燥を得つつも先手を取る。
「しぃあっ!」
丁子乱れの打刀で斬りつけ、粟田口の脇差で薙ぎつける。
迷宮に閃く剣刃となった俺は、瞬く間に五つの首級を宙に舞わせた。
…
…あ、あれ?
弱々しいコボルトに擬態した姿からどんな隠し球を繰り出してくるのかと思ったが、5体ともあっさり首を刎ねられて塵になってしまったぞ…?
これまでの経験上、塵になった魔物がさらに反撃してくることは無かったが…。
…いや、それ以前にさっきからやけに迷宮の空気が薄いような?
まるで本当に地下1階層にいるかのような…。
その時、俺の頬を風が撫でる。
まさかと思って振り返ると、そこには地上の光が差し込む登り階段が見えて…。
えっ、本当に地下1階層なの…?
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