第124話 報告
地上の光が差し込む階段まで、俺は一人で帰って来た。
ボドワンたちと分かれた後に俺は地下1階層にやって来たが、新たな漂人や遭難中のパーティの気配は無かったのである。
…うん、それでいいんだ。
誰も災難に遭っていないならば、それに越したことは無いのだ。
俺は一息を吐くと…、重い足取りで石階段を登り始める。
一歩ごとに周囲の明るさが増していき、肺腑の中の空気も徐々に迷宮の物から地上の物へと入れ替わっていった。
頭の冴えが少しずつ解けてきて…、俺の脳裏は後悔の念で満たされつつある…。
どうしてもっと早く帰還しなかったのか…。
過去の俺の軽率な行動のせいで、現在の俺が重い叱責を受けなければならない。
…思えば、これは理不尽ではないだろうか?
今現在の俺はある意味被害者であって…。
などと、益体もないことをグルグルと考えていると、聞きなれた声がかけられた。
「おう、シュウか。なんでぇ…今日もボロボロじゃねえか。まあ、早く家に帰るこったな。エリカの嬢ちゃんも、話があるから真っすぐ帰って来いってよ」
話か…。
優しく話してくれるだけでは済まないだろうな…。
俺はウーゴに返事をすることも無く、とぼとぼと南区の方向へと家路に就いたのだった。
「シュウ兄ちゃん、お帰り! エリカ姉ちゃんは奥で待ってるよ!」
自宅の軒をくぐると、ヴィクトルが元気な声で迎えてくれた。
その頭をクシャクシャと撫でながらポーション店の様子を見ると、探索者や冒険者と思しき客の姿よりもむしろ主婦や若い娘の姿の方が多いように見える。
彼女たちはタマラが勧める石鹸のサンプルの匂いを確かめては、女性同士であれこれと楽しそうにお喋りをしている。
相変わらず石鹸が人気のようだが、俺が教えた化粧水を手に付けて試してみる女性もたくさんいるな。
この世界にはラベンダーやカモミール、マリーゴールドなんかのヨーロッパ原産植物があったので、化粧水も色々作ってみたのが良かったかな?
どうやら住宅地の多い南区という立地にも化粧品がハマっているらしい。
こりゃ、いずれポーションよりもコッチの方が主力商品になるかも知れんな。
ヴィクトルも客が多い時間には店に出て対応にあたっている様子で感心である。
…さて、家族が頑張っていることも確かめたところで、俺もちゃんと勤めを果たそうかな…。
俺はポーション店の店舗区画と住居区画を隔てる扉を開けて、ホールへと踏み入った。
…っと。
「お帰りなさい、シュウさん」
「や、やあ。今日は漂人局は非番だったんだな…?」
表情の読めないエリカの様子に、俺は背中に汗が滴るのを感じた。
ここでは人目があるので自室へ、とエリカが言うので俺は黙ってその背中に付き従っていく。
…たぶんエリカは前回の叱責時に、漂人局で俺に正座をさせたせいでトラブルが起きたことを気にしているのだろう。
だから人目に触れない自室でという訳だが…。
それだと助けが入らないから叱責時間が長くなってしまうじゃないか。
もっと人目に付きやすい場所での叱責にしてくれないだろうか…?
夫婦の部屋に入るとエリカは無言のまま、俺が装備を解く介助をしてくれる。
エリカが装備品を櫃に収めたのを見届けた俺は、その場にすばやく正座の姿勢を取った。
「シュウさん…」
「済まなかった。この通りだ」
床に手をついて謝罪する俺に手を伸ばしたエリカは…打擲するのではなく、俺を支えて立たせてくれた。
…おや?
すぐに叱責モードではない感じか。
「シュウさん、その前にお話があります」
な、なんだろうか…?
不思議と嫌な感じはしないが…。
エリカは俺から手を離すと、自身の腹部をそっと優しく撫でながら…。
すこしはにかんで俺に教えてくれた。
「…一人目を授かりました」
…。
……お、…おお、…ぉおおおおおお!?
俺は震える手でエリカの手をなぞり、まだなんの変化も見られないエリカの腹部をそっと触る。
手では分からん…直接聴いてみよう…!
俺はその場にしゃがみこんでエリカの腹部に耳をあて、目を閉じて精神を集中する…。
心音が聴こえるかと思ったのだが…まだなのか? 動いたりしないのか?
その俺の様子を見てエリカは吹き出してしまう。
「うふふ。まだですよ…シュウさん。赤ちゃんが動くのは、まだかなり先のことです…」
「そ、そうなのか…」
なんてこった。
俺にはそんなことは何も分からないぞ…。
まともな人間として身に着けるべき知識を何一つ身に着けていない俺に子供が…。
迷宮で暴れるしか能の無い俺が父親に…。
いや、それより。
俺はもう一度立ち上がると、エリカの身体をおそるおそる優しく抱き締めた。
「…エリカ、ありがとう。愛しているぞ」
「…はい、私も愛しています。まだ一人目ですから、もっと頑張りますね」
俺を抱き返すエリカの温もりを感じながら、俺はいつまでもこの感動に浸っていた。
そうして二人だけの世界がいつまでも…いや、今や三人の世界となった幸せの空間に、俺はいつまでも浸り続けていた。
どのくらいの時間が経っただろうか、エリカはそっと俺を離して美しい瞳を上げてくる。
そして、柔らかな声で俺に告げた。
「…シュウさん」
「…うん」
「…では、次は正座をしてください」
「……うん」
俺はいつ終わるとも知れない叱責を受けながら、ともかくエリカが立っていると心配でならないのでしつこく椅子を勧めて苦笑させてしまった。
脛に感じる床板の固さと、胸に感じる温かさとで俺はいつまでもいつまでも満たされていたのだった。
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