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09 不動の騎士団長

 翌日。

 ギルドは、昨日から続く『シルバー・ベヒモス大宴会』の二日目に突入していた。


 大の大人が三人がかりでも抱えきれないほどの巨大な絶焉獣の腿肉は、当然ながら一晩の宴会では到底食べきれるはずもない。

 今日も今日とて、お昼時から極上ステーキの芳醇な香りがギルド中に満ち、冒険者たちは朝から晩まで信じられないご馳走の恩恵に預かっている。


「美味しい……! 一晩寝かせたお肉も最高ですね!」


「そうか。なら、俺がまたいつでも狩ってこよう。君が望むなら、世界の果てからでも」


 私も、レオンさんが丁寧に切り分けてくれた柔らかいお肉を頬張り、その美味しさにほっぺたが落ちそうになっていた。

 レオンさんは翡翠色の瞳を細め、昨日と変わらない熱っぽい視線で私を見つめている。


 そんな至福の喧騒と甘い空気を切り裂くように、その嵐は唐突にやってきた。


 突如、ギルドの分厚く重い扉が左右に弾け飛び、冷たい風とともに、一糸乱れぬ足音がなだれ込んできたのだ。

 現れたのは、白銀の甲冑に身を包んだ精鋭の騎士団。

 その胸に刻まれているのは、剣と獅子をあしらった隣国アルヴェリア王国の鮮やかな国章だった。


「――見つけたぞ! 昨日、空を焦がすほどの凄まじい魔力フレアが観測されたのはこの街だ! 間違いなく我らが団長の仕業に違いない!」


 先頭に立つ、真面目そうな眼鏡をかけた副団長らしき騎士が叫ぶ。

 徹夜で駆け通してきたのか、その顔には深い疲労と焦燥が刻まれていた。

 ただならぬ気迫と、明らかに国家レベルの武力組織の乱入に、ギルド中が水を打ったように静まり返る。


 私は手に持っていた取り皿を落としそうになりながら、隣に座るレオンさんを見つめた。

 彼は、串に刺した肉の焼き加減を真剣に見極めていた手を止め、ひどく面倒くさそうに、けれど深く重い溜息をついた。


「騒がしいぞ、シオン。今は大事な食事中だ。……それに、ユフィが驚いているだろう」


「殿下!? その格好は……それに、一体何をされているのですか……!?」


 シオンと呼ばれた騎士が、驚愕のあまり声を裏返らせ、持っていた剣を取り落としそうになる。

 無理もない。

 アルヴェリア王国が誇る「最強の第二王子」にして「不動の騎士団長」であるレオンティウス様が、信じられないことにエプロンを身に着け、受付嬢の隣で甲斐甲斐しく昨日の残りの肉を切り分けているのだから。


(――レオンさん……本当に隣国の王子様だったのね……)


 震える声で呟くと、レオンさんは翡翠色の瞳に微かな切なさを滲ませて、私の方を向き直った。


「……隠すつもりはなかった。ただ、最初から王族だと名乗れば、君が俺を敬遠して、遠くへ逃げてしまう気がしたんだ」


 その言葉に、私は思わず首を傾げた。


(――え? なんで逃げるの? 王族でも冒険者でも、レオンさんはギルドの大切なお得意様なのに?)


 私の呑気な疑問など知る由もなく、レオンさんは酷く真剣な顔をしている。

 彼は、この国のどんな貴族よりも高貴な、雲の上の人。

 対して、私は。ハズレスキルを引いたというだけで、実家である伯爵家から『一族の恥』と罵られ、勘当同然に辺境へ追い出された身。

 私のような「無能」とされた女が、彼のような輝かしい太陽の隣にいるのは確かに不釣り合いだ。


「団長! 国境付近の異常事態の調査任務は理解しておりますが、これほど長く音信を絶たれては国王陛下も案じられます! さあ、そのふざけたエプロンを脱いで、すぐに帰還の準備を――」


「おいおい、ちょっと待ちな、お高貴な騎士様方」


 シオンが歩み寄ろうとした瞬間、ガルドさんが大剣を肩に担ぎながら前に出た。


「ここは俺たちのギルドだ。いくら隣国の騎士団様だろうが、扉をぶっ壊して押し入り、うちの可愛い受付嬢を怯えさせるような真似は感心しねえな」


 ガルドさんの言葉に同調するように、ブロンさんや他の冒険者たちも武器に手をかけ、騎士団を睨みつける。

 一触即発の空気。

 しかし、それを制したのは、他でもないレオンさんだった。


「ガルド、手出しは無用だ。……これは、俺の問題だ」


 レオンさんが静かに立ち上がると、彼の周囲に、物理的な衝撃を伴うほどの冷たい魔力が吹き荒れた。

 ギルドの空気が一瞬で氷点下に達したかのように錯覚する。


「帰還は断る。俺の任務はまだ終わっていない。いや……俺の真の任務は、ここから始まるのだ。この街には、俺が何に代えても守らねばならない『至宝』がある」


 レオンさんは低く響く声で言い放つと、私の肩を力強く、けれど壊れ物を扱うような極上の繊細さで抱き寄せた。

 騎士団全員を射抜くような鋭い視線が、彼らをその場に縫い付ける。


「し、至宝……? 団長、まさかその小娘――」


「ユフィだ。言葉に気をつけろ、シオン。彼女こそが、俺がこの地に留まる唯一の理由だ」


 レオンさんの腕に力がこもる。


「……俺を連れ戻したいというのなら、剣で語れ。この俺から彼女を引き剥がせる者が、お前たちの中にいればの話だがな」


 完全に殺意すら混じったその宣言に、白銀の騎士団たちが、その圧倒的な威圧感に一歩、また一歩と恐怖で後退りする。

 自国の騎士団長が、たった一人の少女のために国を敵に回しかねない覇気を放っているのだ。


 ギルド中が「あの受付嬢、マジで隣国の王子の本命か!?」という驚きと困惑で騒然とする中、私は彼の熱い腕の中で、一人だけ明後日の方向の結論に行き着いていた。


(――なるほど! そういうことか!)


「レオンさん……ダメですよ……そういうの」


「ユフィ」


 私の言葉を遮るように、彼が甘く、ひどく優しい声で私の名を呼んだ。

 さっきまで騎士団に向けていた冷酷な態度が嘘のような、とろけるような声音だ。


「君の価値を決めるのは、君の力を理解できずに捨てた愚か者共ではない。この俺だ」


 彼は私の耳元でそう囁くと、あやすように私の髪を指先で梳き、その場にいる全員に見せつけるように、私の額にそっと唇を落とした。

 チュッ、という小さな音が響き、ギルドの空気が完全に固まった。


(――な、なんて迫真の演技……っ!)


 私は内心で盛大な拍手を送っていた。

 要するにレオンさんは、国に帰りたくないのだ。

 この辺境の街でのスローライフが気に入りすぎて、なんとか帰還を引き延ばそうとしているのに違いない。

 そのための口実として、「この受付嬢に執着しているから帰れない」という設定をアドリブででっち上げたのだ。


(王子様ともなると、嘘をつくためのパフォーマンスも本気すぎるわね……!)


 謎の冒険者、レオン。

 その正体は、あまりに重く、あまりに眩しすぎた――のだが。


 当の私は「王子様の現実逃避に巻き込まれた」と見当違いの勘違いをしたまま、言わば『実家を家出してきた同志』のような謎の親しみすら湧いてしまい、見事な大根役者っぷりでただフリーズするしかなかったのである。

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